本編

第1話 望まぬ縁談

 ここはクレナ国の王宮。精緻な草花の柄のレリーフが彩る朱色の柱と、権威と豊かさをを誇示する金細工が四隅に置かれた部屋での出来事だった。


 秘め事を周囲に漏らさぬよう配慮された墨色の御簾が四方に降りている。そんな閉ざされた空間にいるのは、三人の王族であった。


「お断りいたします」


 その声は、淡々としていながらも強い決意が滲み出ている。

 国王は、娘の初めての反抗に驚きを隠しえなかった。


 目の前に座す少女の名はコトリ。赤の衣に薄桃の背子はいし、鶯色のと紅の紕帯そえおびを合わせ、白い領布ひれを纏っている少女だ。


 これまで王女として厳しく教育されてきたことから、父親たる王に対し、こんな応えをした前例は無い。


 凛とした佇まいを崩さず冷静に放った問題発言に、王よりも早く反応を示したのはコトリの兄、ワタリであった。


「この縁談は受けるべきだ」


 此度の縁談は、オリハルコン帝国、通称帝国からのものである。ここ、クレナ国からは遠く離れた西の大国だ。


「しかしながら、既に私は他のお方が」


 コトリは、想い人の姿を思い浮かべて言い募る。ここで折れるわけにはいかないと、拳を固く握りしめた。

 ところが、父王と兄はコトリの思いなど、どこ吹く風。それどころか、とんでもない事実を突きつけた。


「かの国の王子には別の想い人がいるようだぞ」


 かの国とは、クレナ国の隣にあるソラ国のことだ。大昔、二国は一つの国であった時代がある。時の王は、自らの子ども二人を跡継ぎ候補としていたが、どちらも優秀であったことから、国を二つに分けてそれぞれ統治させることになったと言う。姉が治めることになったのが現在のクレナ国。弟が治める国はソラ国と名付けられた。


 二国は長きに渡って文化を共有し、協力し合って周辺諸国からの侵略の脅威に立ち向かってきた。それ故、二国を併せて双子国と呼ぶ者もいる。


 もちろん、王族同士の交流もある。年に一度、新年には国境付近の宮で宴が催されるのだ。その折、コトリは件の王子の人柄に触れ、恋に落ちたのだった。


「ワタリ兄上、それは真にございますか?」

「あぁ。お前の想いを知る父上が、わざわざ確認してくださったのだ。間違いない」


 コトリは一瞬訝しげに目を細めたが、すぐに俯いて分かりやすく肩を落とす。高く結上げられた紅の髪に刺さる金の簪が、小さく揺れた。


「その通りだ、コトリ。お前の幸せを思うからこそ、この縁談を用意したのだ。お前に見向きもしない馬鹿な男など捨て置け」

「帝国ならば、ソラ国とは比べ物にならぬ程の強大な力を持っている。お前が嫁いだ暁には、我が国の後ろ盾となってくれることであろう。国民も皆、此度の縁談を祝福するにちがいない」


 コトリは、父親と兄の猫なで声に肌が粟立つのを感じた。そもそも王である父親が、本当にコトリのことを顧みたことなど、これまで一度とて無い。せいぜい駒の一つだという認識に過ぎないだろう。


 兄はコトリを愛玩動物のように扱うことこそあれ、真剣に心を砕く機微を持ち合わせているようには見えなかった。基本的に、父親に忠実であること。それが兄、ワタリの信条なのである。


 それ故、コトリは二人の真意を図りかねていた。どう考えても裏があるように思えてならない。


「しかし、帝国には既に二十四名の妃様がいらっしゃるとか」


 王の説明によると、コトリは二十五番目の妃として召し上げられるという話だ。しかも、皇帝は御年五十二歳。未だ十六歳のコトリなど、下手をすれば孫のようなものだろう。


「良いではないか。まだ二十五番目なのだ。月に一度ぐらいはお渡りがあるかもしれぬ。お前の役目は分かってるな?」


 今度こそコトリは、目に見える形で身震いをした。とても受け入れられそうにもない命令。コトリは作戦を決行することにした。ゆっくりと首をもたげて、愛らしい顔を王へ向ける。


「ならば、こうするまでです」


 それは、王女という身分に相応しくない程の早業だった。妖しく光るものがコトリの懐から現れる。


「待て! 早まるな!」


 コトリの手には小刀が握られていた。少女の細い首に沿えられている。


 これまで、どんな馬鹿げた命令でも全て素直に応じてきた。しかし今回ばかりは、譲ることができない。この縁談に応じることは死と同義なのだから。


 文化も違えば言葉も違う。地理的にもクレナ国からは遠い。嫁いだところで、どうせ死ぬのを待つようにして生きるか、望まぬ男女の関係を強要されて心身共に壊れてしまうのがオチだろう。


 しかも帝国からすれば、クレナ国など干菓子よりも脆くて弱い国である。婚姻を結んだところで、本当にクレナ国が帝国の傘に守られて安泰となる保証は無い。どちらかと言えば、コトリは体の良い人質なのではないか。クレナ国が帝国の属国として搾取され、奴隷のように扱われることも考えられる。


「コトリ、そんな怖い顔をするな。死ぬのだけは駄目だよ」


 ワタリはコトリに近づいて小刀を取り上げようとする。しかし、どこか緩慢な動作で、切迫感に欠けていた。確かに、抵抗するコトリを傷つけずに制止することは至難の業だが、それを差し置いても不自然さが際立っていたのだ。


「兄上、本気でおっしゃっているのですか?」


 その瞬間、ワタリの顔が硬直したのをコトリは見逃さなった。


「やはり、それが本音なのですね」

「いや、違うんだ」


 ワタリが慌てて言い募るも、目が泳いでいる。コトリは眉を下げて、今にも泣き出しそうな顔になった。


「コトリ。王族の使命を忘れてほしくなかっただけだ。許しておくれ」


 コトリは唇を固く結んだまま、視線だけでワタリに拒否感を示す。すると王が仲裁をしようと口を挟んできた。


「コトリ、将来ワタリは次期国王となる。こんな事で仲を違えるのは賢明ではない」


 コトリが帝国に嫁いだ後、クレナ国と交流をしたいのならばワタリに従順であらなければ便宜を図らないということを示唆しているのだ。


 コトリは、ぷっと頬を膨らませて上目遣いをした。そろそろ二つ目の爆弾を投下する頃合だと判断したのである。


「コトリは、父上も兄上も大嫌いにございます」


 冷ややかな静寂が、豪奢な部屋を支配した。


 王もワタリも、コトリのことを軽視してはいるが、決して嫌われたくないとも思っている。相当に傷ついた様子の二人の顔を確認すると、コトリは笑みを浮かべそうになるのをぐっと堪えた。


「コトリ、どうすれば許してくれるんだい?」


 コトリはワタリへ返事する代わりに、部屋の片隅にあった楽器に目をやる。シェンシャンと呼ばれ、クレナ国に古くから伝わる弦楽器。ここにあるものは所謂国宝だ。


 コトリは、今思いついた風を装って話し始めた。


「私、王女を辞めさせていただきます。私は、楽師になりとうございます」


 王は無表情で、ワタリは心底呆れた顔でコトリを見つめている。


「これを認めてくださいましたら、私、自害は諦めますわ」


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