第2話 しかく 2

 ショッピングモール内にある喫茶店まで彼女の手を引いた。

 彼女の逆側にはぴったりと盲導犬が歩く補助をしていて、俺は必要ないようにも思ったが、それでも彼女は握った手をぎゅっと掴んで、離しはしなかった。

 慣れない僕は慣れないなりに気を配って、彼女の椅子を引いて座ってもらった。

「どうぞ」

「ありがとうございます。お優しいのね」

 可愛さを表現するとき、お人形さんみたい、とはよく言うが、あれはどう考えても例えが上手くない。実際に可愛い人を見たら、お人形なんて比じゃないくらい暖かみのある笑みに、すぐに射ぬかれてしまう。人形にはこんな柔らかな表情はできない。

 見とれてなにを言われたか忘れかけていた僕は、急いで取り繕い、口早に質問する。

「いえ、そんな……。飲み物はなにがいいですか?」

「ではカフェラテでお願いします」

「カフェラテですね。すみませーん!」

 僕はテーブルを拭いていた店員さんに声をかけて注文しようとした。

 メニューを広げて自分もなにかを頼もうと考えていたとき、横に置いた鞄から、圧力を感じた。

 そうだ。今財布にはほとんどお金が入っていないのだ。こんな高い飲料を頼む余裕は今の僕にはない。

「ご注文ですか?」

「はい、えっと、カフェラテ一つ……」

 店員さんがメモをとる。僕はなるべく安い飲み物はないか、メニューの隅々に視線を走らせる。

「あと、アイスコーヒーで、お願いします」

「かしこまりました」

 にこやかにオーダーを持ってキッチンへ向かう店員さんに、ギリギリの笑顔を返すが、内心は笑っている余裕はない。

「では、自己紹介から致しましょう。私は松井逸華と申します。彼はウォーカーです」

 そう言って隣に大人しく座る盲導犬の頭を撫でた。とても賢いウォーカーくんだ。

「僕は前田明日夢です」

 こういう時の自己紹介はなにを言えばいいのか、あまり改まってしたことがなかったのでどうにも言葉に詰まる。

「私はとある事業をしておりまして、そのお手伝いをしてくださる方を探しているのです」

「事業?」

「はい。『アンダーブラックシアター』と呼称しているのですが、無差別に選出した複数の男女に一つの部屋に入ってもらい、テーマを出題してそれについて話し合っていただくという場を提供しているのです」

「その、よくわからないのですが、それって誰からお金をもらってるんですか? 話し合う男女からですか?」

「いえ、そこで話し合う方々は私が提供している『キャスト』になります。キャストにはその話し合いの時間分、謝礼を支払っています」

「キャストってことは、それを観ている人がいる?」

「そうです。観客、『オーディエンス』から会費としてお金をいただいております」

「でもそんなただの話し合いをお金を出してまで観たいという人がいるんですか?」

「ただの話し合い、というと違うのかもしれません。少し趣向を凝らしていますので」

 お金を払うくらいの特別な趣向とはいったいなんなのか、僕は服を着ていない男女がテーブルを囲んで話し合う姿を想像してしまった。

「目隠しです」

「目隠し?」

 意外な答えというか、それが趣向と言えるものなのか、僕は甚だ疑問だった。

「完全に視界を遮断して、話し合いをしてもらいます。それ以外の拘束は一切せしません」

「そんなんで観客が喜ぶんですか?」

「まあキャスト次第というのもありますが、概ねオーディエンスの方々は満足して帰られますよ」

「はぁ……」

「お待たせしました。カフェラテとアイスコーヒーです」

 台本のない公開会議がそこまで盛り上がるものなのか。理解はどこまでも届かない、底無し沼のようなそれは、入るリスクが大きすぎるように思えた。

 カフェラテで口を湿らせると、松井さんは思い出したかのように続ける。

「キャストに選ばれた方には時給五千円をお支払いしています。どうでしょう、一度キャストとして参加してはいただけませんか?」

「わかりました。参加します」

 僕の返事は自分でも驚くくらいなんの引っ掛かりもなく口からポンと出た。やはり背に腹は代えられないだろう。とにもかくにも今はお金が必要だ。普通のバイトの五倍の給料は、腹ペコの僕には丸々太った赤いリンゴにしか見えなかった。

「ありがとうございます。では詳細をメールにてお送り致しますので、アドレスを交換致しましょう」

「は、はい」

 女の子に連絡先を聞かれる体験なんて滅多に味わえるものじゃない。

 それどころか同性にだって連絡先を聞かれることはここしばらくなかったような。

 履歴書に書くことはあっても直接アドレスを渡す機会はない。アルバイトの人たちも、特に連絡先を聞かれることはなかった。

 そういえばどうやってメールアドレスを渡せばいいのだろう。

 松井さんはスマホを取り出すと、それは意外にも可愛い耳の生えたシリコンカバーを被せていて、迷いなく横についたボタンを操作し、声を発した。

「私の連絡先のQRコードを出してください」

『はい。松井逸華さんの連絡先情報のQRコードを表示します』

 電子の声が応答し、そのスマートフォンを僕に向けてきた。なるほど、音声操作の正しい使い方を見た気がする。

「この連絡先にメールを送ってください」

「あ、ちょっと待ってくださいね……」

 スマホなんて求人を調べるかゲームをするか呟くかくらいしか今まで使ってこなかった僕は、どこをどう操作すればQRコードの読み取り画面にいくのか、咄嗟のことであたふたしながらも、彼女ののスマホに僕のスマホを近づけて、どうにか連絡先を登録できた。

「はい、今、メール送りました」

 僕は自己紹介の文章を添えて、彼女にメールを送った。

 数秒のうちに着信音が鳴り、それを聞いて松井さんはにっこりと笑った。

「ありがとうございます。では、帰ったら詳しい日時などを含め、メールをお送り致しますね」

 そうか。彼女は目が見えないのだった。スマホを持っていても、それを使いこなせないのだ。特にスマートフォンじゃあボタンの凹凸もない。ガラパゴスケータイの方が使いやすいだろう。それでもいろいろな機能を駆使してどうにか利用している。

 こうやって盲目の人と対面すると、どれだけ自分が恵まれた存在かを実感する。

「前田さんは、コーヒーl、お飲みになりましたか?」

「え、あ、はい」

「では、私はこれで失礼させていただきますね。伝票を取っていただけますか?」

「はい……じゃあ僕の分……」

「いえ、ここは結構です。お時間をいただきましたので」

 彼女はそう言うとウォーカーくんに連れられてレジで会計を済ませる。

「では、失礼致します」

 松井さんはウォーカーくんと共にショッピングモールの人波に消えた。

 僕は残っていたアイスコーヒーを喉に流し込んで店を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンダーブラックシアター 鳳つなし @chestnut1010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ