アンダーブラックシアター

鳳つなし

第1話 しかく 1

 生きているのって大変だ。

 みんなはどうやってあんなに上手く生きれるようになったんだろう。

 僕はたぶん、子供のまま、成長できないうちに成人というクラスチェンジをしてしまったんだと思う。

 レベルアップには経験値が必要で、でもスマホゲームではそれを取得するのにはアイテムやキャラだったりを合成すればいい。

 いつしか経験しなくてもその値だけが増やせる世の中になったのか。

 確かに、今は経験する前からネット上に無数にある記事や動画から知りたいことはだいたいわかってしまう。

 もしかしたら、もう経験なんて必要ないのかもしれない。

 でも僕は、やったこともないものを、堂々と「できる」と言えるほど、図太くない。

 心も体も細っちょろい、頼りない男だ。

 仕事も長く続かない僕は、2年だけやって向いてないとわかったバイトを辞めて、とぼとぼと自室へ帰ろうとしていた。

 ボロいアパートは暖房などはなく、そこは風を凌げるだけの空間だ。

 そこに帰っても特にやることもないし、お金もないし、ご飯もない。近くのショッピングモールで時間を潰して、頃合いを見て値下げされた弁当を買って帰ることにした。

 お金がない期間が長く続くと、物欲はどんどん減少するらしい。お店を見ていても、どうせ買えないから、欲しいという気持ちまでたどり着かない。

 服も、雑貨も、ゲームも、本も、なにもかもがぼやけて見える。

 いや、もしかしたらもう、僕には見えていないのかもしれない。

 ただ生きるために最低限必要な栄養だけ、その値札だけが、僕の目には映っている。

 それでも見なければいけない現実もある。

 今で言うと仕事だ。僕にもできそうな仕事があればいいのだが、見つけるのは難しい。

 とりあえずショッピングモールのベンチに腰掛け、スマホで求人を検索する。

 正社員で働けるのはいいことなんだろうけれど、僕にはその自身がない。

 僕は新しい体験が怖い。

 その恐怖はどこからくるのかはわからないけれど、とにかく心臓が飛び出しそうになる。

 そうやってアルバイトに逃げて、未経験者歓迎の文字を見つけては、心臓を押さえながら面接に挑み続けた。

 アルバイトの求人は余程変な人間や、極端に限られた時間しかシフトに入れないなどの理由がなければ採用になるのはわかっているけれど、それでも恐怖と戦わなければならない。

 そもそも仕事が向いてない。

 人様の役に立ってお金をもらう。そんな一般人には当たり前のことが、僕には難題過ぎる。

 どこも最低賃金で、働きやすいとか、やりがいのあるとか書かれているのを見ていると、どうかと思う。

 そもそも働きやすさややりがいは、正社員クラスになって初めて目指すものだと思う。

 基本的にパートやアルバイトをしている人は、仕事に働きやすさもやりがいも求めていない。一番求めるのは短時間で高収入、だと思う。

 そこで定年まで働き続けるわけじゃあるまいし、昇給やボーナスだって見込めない非正規雇用に、一番仕事を頑張ってもらえる方法なんてお金以外にないだろう。

 それをどの企業もいまいちよくわかってないんじゃないか。

 働いて楽しい、お客さんにお礼を言われて嬉しいなんて二の次。そもそもお客さんの8割が「店員は格下」だと思って買い物に来ているのだから、接客にやりがいを求めるのは非現実的だ。

 そんなことばかり考えていると、どうしてもため息が漏れ出てしまう。

「幸せ、足りていませんか?」

 そんなコマーシャルのような文句は、僕に投げ掛けられているとは思いもせず、最初、無視をしてしまった。

「もしもし? あなたに言っているのですが?」

 次は僕の顔を覗き込むように、可憐な少女の声が、僕に届いた。

「ぼっ僕ですか?」

 咄嗟のことに動揺を隠せず、恥ずかしい反応をしてしまったが、彼女はニッコリと微笑んだ。

 真っ黒な長髪はサラサラと、水流のように揺れ、目は蜥蜴のように真ん丸とした瞳が大きくこちらを捉えていた。

 衣服にもちゃんと気配りができているというか、こんな庶民の溜め池のようなモールに場違いに美しく咲く花のような、作りのしっかりとしたワンピースをお召しになっている。どう考えても住む世界の違う人だ。

「はい。口から幸せの絞りカスが飛んでいった音が聞こえてきたので」

「そうですか……」

 僕はこんな急に、見ず知らずの人から親しげに声をかけられた時の対処法を学んでいない。結果、返す言葉が浮かばなかった。

「もしよろしければ、お力添えさせていただけませんか?」

「いえ、結構です。自分でなんとかしますので」

 僕なんかがこの人の時間を使ってしまうのはもったいない。そう思い、立ち去ろうとすると、彼女は素早く体を寄せ耳元に吐息と混ざった声を奏でた。

「お金が必要なのではないですか?」

「え?」

 耳にかかった息にもだが、僕が欲しているものまでも言い当てられた、いや、それよりも、そう言ってきたということはそれを叶える手立てがあると言っているようなもので、頭が混乱した。

「もし興味がおありでしたら、説明させていただきます。どうでしょう?」

 新手の宗教団体か、はたまた詐欺師かなにかか。正体はわからないけれど、僕には彼女が悪い人には見えなかった。

 なぜなら……。

「お願いします」

「では、近くのカフェまでエスコートしていただいてもよろしいでしょうか?」

 ……彼女は盲導犬を連れた盲目の少女だったから、かもしれない。

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