第2話【エピローグであり、プロローグ-02】

プロローグ・β


2018年9月13日



「あはっ、マヂで? ゼッテーそんな男とヤんなくてよかったじゃん。かなりの割合でヤリチンだよソイツ! いや、童貞とどっちがマシかって話なんだけどさ」



 カールの効いた金髪、白く透き通るような肌に塗られたファンデーションと真っ赤な口紅。


 着崩されたシャツは零峰学園れいほうがくえん高等部のブレザー服である筈だが、ブレザーは袖部分を腰で巻かれ、僅かにブラが覗き見える程に開かれたシャツが、男子の視線を集めていた。



「だからカオリは男見る目がねぇって言ってんじゃん。男なんて八割が身体目当て、もう二割は彼女がいるっていう世間体目的なんだから、ヘタな願望持っちゃダメ。せいぜい八割を避けつつ、二割とプラトニックな関係築いていきゃいいんだってば」



 本来勉学に励むべき机に足を乗せ、マニキュアを手の指に塗っている少女が、右肩と右耳に押し当てるスマホへ向けて声をかけている。少女の声は高く、周りの生徒達から迷惑そうに見られている事を、気付いているのかも分からない。



「アタシ? アタシは男なんて要らないよ。だってこの世の人間は、下種しかいないんだもん。アタシを含めてね」



 少女の顔立ちは非常に整っている。十代後半ではあるだろうが、若々しい肌の艶と整った顔、目・鼻立ち、そして何より化粧を落としたとしても綺麗であるとハッキリわかる、美貌そのものに溢れている。



「おい、水瀬……っ」


「あ?」



 水瀬と呼ばれた少女は、視線を僅かに声のした方向へ。初老の英語教師・沢木がプルプルと身体を震わせながら、声を荒げた。



「お前は、授業中だってこと、分かってんのか!?」



 バンッ、と。彼女の机が叩かれる。机上に広げていた化粧道具が僅かに揺れ、マニキュアの小さなビンが倒れた。沢木へ向けてギロリと睨み付けた少女は、ゆっくり席を立ちあがって、教師へと立ち向かう。


 沢木の身長は小柄で百六十センチ。対して少女の身長は僅かに大きく、百六十五センチはあるだろう。放たれる眼圧に、沢木は一歩たじろいだ。



「……センセー」


「な、なんだ。きょ、教師に向かって、ぼ、暴……っ」


「アタシ、チョー頭痛いんでー、早退しますね」



 机のフックにかけていたカバンを肩にかけ、化粧道具をせっせと片付けた少女は、カバンの中にしまい込んで、教室の後方扉から出ていく。


そんな光景を、ポカンとしたように見届けた、沢木と生徒一同。沢木は震えている足を隠しつつ、ゴホンとワザとらしく咳をついた。



「皆、奴に……水瀬遥香に惑わされるな。奴はこの零峰学園に似合わない、不良だ。君たちはより良い将来の為、勉学に励む事だぞ」



 沢木の放った言葉は、廊下で解けた靴紐を結んでいた少女――水瀬遥香にも、聞こえていた。



「……人の事満足に叱れねぇ糞教師が、粋がってんじゃねぇよ」



 そこで、今までポケットの中に入れていたスマホから『遥香ー?』と声が聞こえて、彼女も再びスマホを耳に当てた。



「あ、ゴメンゴメン。アタシ、チョー頭痛くってさぁ。学校早退しちゃった」


『ゼッテェ嘘じゃん! アンタが授業で頭痛くするってタマかよっ』


「うっせーってば! アタシこー見えて、チョー頭良いんだかんね?」


『ていうか早退したんだったら今から暇っしょ? 玄武高校と合コンセッティングしたんだけど、アンタもどうよ?』


「あー……やめとくわ。頭痛いのはホントだし」


『良い子ちゃんぶって』


「だから頭いい子ちゃんなんだってば」



 電話口の相手から『いいや、バイバイ』と言葉が聞こえて、遥香もスマホをポケットにしまい直した。零峰学園高等部の校舎を抜け、校門を通り過ぎる。


 零峰学園から歩いて十五分程度で、遥香は自宅へと辿り付いた。玄関へと続く扉を開けて小さく「ただいま」と名乗り上げると、赤色の髪を後頭部でまとめた美女が、手をエプロンで拭きながら現れた。



「おっかえりなさい、遥香さんっ」


「あー、ベネット。頭痛薬ある? ちょっち頭痛くってさ」


「はーいはい、片頭痛持ちは辛いですねぇ」



 玄関からリビングへと戻っていった女性――ベネットは、遥香の元へコップ一杯の水と、半分が優しさで出来ていると言われる頭痛薬を遥香へ差し出した。



「お昼ご飯は食べられましたぁ?」


「食べて無い」


「あ、じゃあ飲むの待――あぁ、飲んじゃいました」


「眠くなりにくく胃に優しいから大丈夫っしょ」



 水と頭痛薬の入っていたゴミをベネットへと押し付けた遥香は、リビングのソファに深く腰掛けて、テレビのリモコンを手に取った。



「遥香さん、まーた今日もずる休みですかぁ?」


「ズルくねーってば。今日も頭痛くって早退」


「アタシも勉強はキライなのでとやかく言いたくありませんが、学校へはちゃんと通った方がいいですよ?」


「ベネット、お茶」


「はーいはい」



 遥香はテレビのチャンネルを適当に変えていったが、面白そうなものがやっていなかったので、昼のニュース番組で操作を止め、ボーッと見るだけの作業に入った。


 ベネットがキッチンから、コップに入った麦茶を持ってきてくれたので、簡単に礼をしつつ、飲み干す。喉を潤すお茶に感謝をしつつ、隣に座ったベネットの言葉を聞く。



「なんか、テレビのニュースが凄い賑わってまして」


「へぇ」


「失言した芸能人の人が謝罪したんですけど、その謝罪の仕方に問題があるってネット界隈が話題―、みたいな。でもアタシってばバカだから、何がどうおかしいかわかんないんですよね」


「理由なんか無いよ。ただ芸能人を叩ける機会だから叩いてるだけだし、マスコミもそう言う騒動だと視聴率取れるから特集組んでやるだけ。他にもっと発信する情報ある筈なのにね」



 テレビでは、たった一人の芸能人を名指しで非難している。


 謝罪に倫理的問題などは無い、世間からのバッシングはほとんど難癖に近い、しかし『世間からのバッシング増す』というインパクトあるワードをただお題目に出す事で、視聴率を稼ごうと言う浅ましさが感じ取れて、フンと鼻を鳴らした。



「なんでこう――人ってここまで、悪意を悪意と認識できずに、人の事をバカに出来るんだろ」


「遥香さんは、人間がお嫌いです?」


「嫌い。……ホントに大っ嫌い」


「そう言っている遥香さんは、昔とは全然違いますねぇ」


「ベネット」


「……ごめんなさい、言い過ぎました」



 八年前、水瀬遥香が小学三年生の時である。


 彼女はひょんな事からベネットと出会い、【魔法少女】として戦う事となった。


 遥香が魔法少女となる為の力が、ベネット――マジカリング・デバイスである。


 彼女は普段人の形を成し、言葉を理解し、喋り、人間社会に溶け込んでいるが、本来の彼女は言ってしまうと「遥香が魔法少女へと変身する為の変身装置」なのだ。


 八年の月日が流れ、遥香は高校生となり、もう魔法少女となる必要も無い。ベネットは変身装置としての役割を長く果たしておらず、ただ遥香の召使として、日々の家事をこなしている。


 遥香とて、魔法少女として戦った過去を否定するつもりは無い。だが、既に役目を終えたとして、遥香は自由気ままに、青春を楽しんでいる……筈である。



「でも、そろそろ遥香さんも、色々考える時期ですよ? もう高校二年生、来年には受験が待ってます。遥香さんが頭の良い女の子である事は分かりますが、将来について、真剣に考えても」


「将来? 将来って、何」


「何って」


「別に、何がしたいわけじゃないし。テキトーに働いて、テキトーにお金稼いで、テキトーに生きる。そんでいつの日か、テキトーに死ぬ。それだけっしょ」


「遥香さん」


「アタシ、もう魔法少女じゃないんだから。レックスと戦う非日常から、離れたんだから――自由にさせてよ」



 制服姿のまま、再び玄関へと向かって歩き出す。靴を履いて、玄関を出て、ただ街へと向かって歩く遥香の姿を、ベネットはただ、見ている事しか出来なかった。



 目指す場所があるわけでは無い。ただ遥香は住宅街を、オフィス街を、繁華街を、無作為に歩き続ける。


 お腹が空けば適当なカフェに入り、軽食を摂りつつスマホに触れる。やりたい事があるわけでも無く、時間を潰した。


 そんな遥香が店を出て、次に歩くと選んだ道は、繁華街の裏道。居酒屋やクラブの集中する表通りの裏は、既に夜になろうとしている夕日を照らさぬ、薄暗い通りである。


 ――八年前、塾から帰る為に通った道。かつてここで、遥香は妙な存在と出会った。



それが【レックス】と呼ばれる、漆黒の獣。



犬やオオカミに似た外観、牙と爪、しかし全体が黒いものだから、夜道で遭遇すると視認し辛い事この上ないバケモノと、遥香は出会った。


遥香は殺されかけた。当時小学三年生であった遥香は、死を覚悟し、将来にしたい事を嘆きながら、弱々しい声で助けを求めた。


そして手にした力が、ベネットであり――斬撃の魔法少女【マジカル・カイスター】としての力だった。



「……あれから、もう八年」



 レックスを束ねる親玉、ドルイド・カルロスを倒した。レックスと戦わぬ日々が八年経過した。


あっという間の出来事、まるで夢のような時間を思い出し、遥香はフッと息をついた――



その時、長らく聞いていなかった奇声を、彼女の耳は聞き入れた。



 ――殺す。



ジャリ、ジャリ、と。砂が擦れるような音と共に、足音が聞こえてくる。それと共に、殺意のこもった鳴き声も。


 違う、殺意がこもっているわけでは無い。



――殺す殺す殺す殺す、殺す殺す殺す殺す殺す!



 声は「殺意そのもの」なのだ。



 遥香が振り返る。殺意の元はすぐに見つける事が出来た。


一時期は毎日のように見ていた、漆黒の獣。


子供の頃に感じる事の出来なかった純粋な殺意そのものが、遥香に向けて歩んでいる。



「レックス……っ!?」



 今遥香の眼前に迫る獣こそ、かつて遥香が敵とした【レックス】である。殺しつくした筈、諸悪の根源は、この手で倒した筈なのに!


そんな嘆きを知ってか知らずか、レックスは四肢で強く地面を蹴り付け、遥香へ向けて飛びかかってくる。牙をチラつかせ、爪を向け、その鋭利な刃が遥香の柔肌を貫く――



そんなレックスの背中から腹部を、何かが貫いた。



チュン、と小さな音を奏でて、貫通した光。


遥香へ襲い掛かろうとしたレックスは影となり消えてゆき、遥香は思わず崩した身体を起こそうとしたが、しかし足の震えが、動悸が止まらない。ハッ、ハッ、と漏れる息がやけに不快だった。



「い――今、のは」



 呟きは、風にかき消され、消えていく筈であったが。


 彼女には――遥香の溢した言葉が、届いていた。



 尻餅を付く遥香の向けた視線の先は、自身の居る場所の真上。雑居ビルの屋上。



 そこに一人の少女――かつての戦友が居たのだ。



「や……弥生、ちゃん……?」


「久しぶりね、遥香」



 まるでベッドから降りるかのような軽い動作で、二十メートル程あるビルの屋上から飛び降りた彼女――


【マジカル・リチャード】、如月弥生。


 弥生はスッと着地をした後、遥香の前へと歩み寄り、彼女に手を差し伸べた。


 照らされる月明かりが、今の彼女を彩る。


 かつて可愛らしい表情を有していた弥生の顔立ちは、年相応に成長を遂げて綺麗に、しかし元々細かった目付きを更に強調させていた。ジロリと睨み付ける様な視線と、ムッツリとした口元が、怒っているようにも見える。



「ベネットも連れずに歩いているなんて、感心しないわね」


「だ、だって。もう、レックス……いない」


「現に居るのよ。残党か、それとも新しく生み出されたかは、わからないけれど」


「ど――どうして!? ドルイドはアタシたちが殺したっしょ!? 何だってレックスはまだ」


「変わったわね、遥香。昔の面影なんてどこにも無い」



 フンッと、鼻で笑った弥生は、何時までも取られる事の無い手を引いて、遥香へ背を向ける。



「戦いは終わっていない。貴女も魔法少女なら、何時までもそんな所でお尻を付いていないで、戦いなさい」


「意味が――意味が分かんないってのッ! 何よいきなり、八年ぶりに顔見せたかと思えば、さらにクチワリィ女になって帰って来やがって! アンタホントに、あの弥生ちゃんなの!?」


「それは私の台詞。私が知っている貴女は、何時だって誰かの為に、身を挺して戦う事の出来る貴女。――そんな化粧に塗れた貴女の顔、見たくも無かった」



 地面を強く蹴って、空高く飛び上がった弥生の姿を――遥香はただ、視線で追いかける。



 しかし、彼女は月夜の中に消え、ただ遥香は一人で、繁華街に取り残された。

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