第33話 露子の妊娠と祖母の恨み

「バタバタな新婚旅行から帰ってきてからは、それまでと変わらない毎日にゃ。露子ちゃんと一緒にご飯を食べて、仕事して。幸せな新婚生活にゃ」


「その頃からここに住んでいたの?」

「そうにゃ、露子ちゃんの会社から少し遠かったけど、始発駅だから通勤が楽だったにゃ。露子ちゃんの妊娠が分かって天にも登る気持ちだったにゃ」


「露子から知らせてもらって、悪阻が大変って言ってたし、絶対に手伝いが必要だと思って飛んできたんだけど私は要らない人間だったわ…」

「そんなことないにゃ。側に居てくれて露子ちゃんは喜んでいたにゃ」


「そうね、本当に側についているしか出来なかったわ…。正宗さんは露子の介護も完璧だし、露子が快適に過ごせるよう配慮も完璧。あらゆる瞬間に家に残してきたお爺ちゃんをぶん殴りたくなったものよ」

「お、お婆ちゃん?」


「正宗さんは、食欲のない露子のために、少しでも食べて貰えるように毎食のメニューを工夫していたわ。もちろん調理していたのは正宗さんよ。


私が露子を身篭って居た時、私は自分で料理したわ。お爺ちゃんの分の食事も私が作って…手をかけた料理はとても作れなかった。それでも無理して毎日作っていたのに、この料理も出来ない無能な男は文句を言ったのよ」


気配を殺し、空気に同化しようとしていた祖父がビクリとする。冷や汗が止まらないようだ。


「具合の悪い露子を休ませて、正宗さんは露子が少しでも快適に過ごせるよう、朝食の仕度。掃除、お弁当作り、仕事、買い物、夕食作り…すべての家事を当たり前のようにこなしていたわ。

…どれ一つ、そこの無能な男がしなかったことよ」

「お、お婆ちゃん?」


祖父が先ほどよりも小さくなったようだ。


「さ・ら・に! 正宗さんは副業のブログに妊婦向けのレシピなんかの情報をアップして副収入を得ていたわ。子供が生まれるし、収入は多い方が良いからって。

 生まれてくる赤ちゃんのためによだれ掛けを作ったり…赤ちゃんの性別が分かる前から率先して赤ちゃんを迎える準備をしていたわ。もちろん、どれ一つとして、そこで私と目を合わせないようにしている無能な男はしたことがないわ。

 子供が生まれると分かった途端にオツムの弱い会社の上司や同僚から、以前にも増して飲みに誘われるようになって、誘われるがままに飲み歩いて…。

 お祝いだーとか、大変だなー、なんて言われていい気になって…大変なのはお前じゃねえよ! って思っていたわ。何が大変だなーよ! 命懸けで身篭って出産したのは私よ」


祖母の恨みは深い。


「もうお爺ちゃんの顔も見たくないと思って、正宗さんに悪いとは思ったけど居座ってしまったの。そうしたら、そこのオツムが弱くて無能な男が怒鳴り込んできたのよ」


祖父がますます小さくなる。


「お前が帰ってこないから、もう着るものがないし、使える食器もないし、外食は飽きたし、家が埃っぽいって怒鳴ったのよ」

「えええ…」


「あらあら、オホホ。たった1人の孫娘にゴミを見るような目で見られて、どんな気持ち?ねえ今、どんな気持ちかしら?」


祖母が祖父を追い込む。


「すかさず正宗さんが立ち上がったわ。正宗さんはお爺ちゃんより10cmも身長が高いし若くて力もあるから急に大人しくなって…自分より弱いと思い込んでいる私に対する態度との違いにクズだと思ったわ。

 正宗さんがお爺ちゃんに言ったの。“いきなりお義母さんを怒鳴る意味が分からないにゃ。着るものがないってどういうことにゃ?家が火事にでもなったのかにゃ?”って」


「私が帰ってこないから、洗濯された着替えがもうないとか、洗い物が溜まって使える食器がないとか、ゴミがゴミ箱から溢れているって怒鳴ったの」

「えええ…」

美哉がドン引きだ。


「正宗さんはポカンよ。当然よね」

美哉がコクコクとうなずく。


「正宗さんが “洗濯しないにゃ?” って聞いたら “俺がする訳ないだろう!” って怒鳴ったの。“お義父さんが着たのかにゃ” って聞けば、“そうだ” って答えるの。 “自分で洗えば良いにゃ” って正宗さんが言えば、 “どうして俺が!” って怒鳴るの」


「えええ…」

美哉が信じられないものを見るような目で祖父を見る。


「正宗さんは素晴らしかったわ。 “自分で着たものを自分で洗うのは当然だし、自分で使った食器を自分で洗うのも当然にゃ。それが出来ない事情って何かにゃ?病気なのかにゃ?” って聞いてくれたの。そうしたら “俺は男だからやらなくて当たり前だ。” って言うの」

「うわあ…」


「そうしたら若くて大きな正宗さんがお爺ちゃんを持ち上げてね。 “お義母さんは帰らなくて良いにゃ。お義父さんが認識を改めてまともな大人になれないなら、ここで一緒に暮らせば良いにゃ。

 赤ちゃんにおかしな教育をされたら迷惑なので、更生できるまでお義父さんは出禁にゃ” って言って外に運んでポイっとしたの。いい気味だったわ」

「うわあ…」


「正宗さんの指示で、すぐに携帯番号とメールアドレスを変更したの。以後のやり取りは正宗さんのブログのコメント欄でのみ受け付けることになって。……当然、コメント欄は炎上したわ。もちろんフルボッコにされたのはお爺ちゃんよ」


美哉がウンウンとうなずく。


「残念なことに、男だから家事をする必要が無いって擁護する人たちも結構いたのよ」

「えええ!」


「そんな男たちのfacebookは、すぐにブログ読者の鬼女たちが特定したわ」

「鬼女って?」


「鬼女は既婚女性のことよ。恐怖のリサーチ力が特徴ね。鬼女を怒らせたら人生が終わるわ。住所や実名、電話番号、勤務先や学歴などの個人情報を特定されてネットで拡散されるの」

「ええぇ…」


「あちこちの掲示板に名前と顔と職業と生年月日、勤務先までコピペで拡散されて絶対に結婚してはいけない事故物件として広まったわ。

 いまだにコピペが出回っているし、実家まで特定されて…あの時、特定された事故物件たちは1人残らず未だに独身らしいわ。婚活スレッドで必ず目にするそうよ。老けたり禿げたりして容姿が変わるたびに報告されているらしいわ。ざまあだわ」


祖父が一気に老け込んでいた。

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