第20話 パパ、お外に出る

「美哉ちゃん」

「なあに、パパ?」

「明日から10月にゃ」

「うん、夜は過ごしやすくなったよねえ」


「パパはお出掛けするにゃ」

「明日?」

「そうにゃ」

「昼間?」

「そうにゃ」

「大丈夫なの?」

「大丈夫にゃ。直接会って打ち合わせたい案件をまとめて片付けてくるにゃ。帰りが夜の7時くらいになると思うから、先に文治郎とご飯を食べてて欲しいにゃ」

「パパは帰ってからおうちで食べるよね?」

「もちろんにゃ。残しておいて欲しいにゃ」


7、8、9月とほぼ引きこもりだった正宗がついに活動を始める。


─ 普段の買い物はネットスーパー。

─ 引きこもりのストレスは深夜や朝方の散歩や夜の墓参りで解消。

─ 昼間はガンガンにクーラーを効かせた部屋で高額報酬の案件を効率良く捌く合間に水風呂。

─ とにかく水風呂


そんなライフハックが必要じゃない季節がやって来るのだ。



久々に電車に乗った。

『クーラーが効いてて天国にゃ…。家から駅までの徒歩7分は暑かったにゃあ』


よく仕事をしている制作会社を2社訪問して打ち合わせをしたが、案内された会議室で頭にアイスノンを乗せた正宗を見て担当者が慌てた。

埼玉のベッドタウンよりも都心の方が暑かった。


「長袖のワイシャツに長袖のスーツか…いくらツルツルですべすべな人族でも暑そうだにゃあ…」

汗をふきながら通りすがりのサラリーマンを見てドン引きの正宗。


── さて、あとは編集部に寄るだけにゃ。


編集部とは正宗のブログ本を何冊も出版している編集部だ。亡き妻、露子が勤務していた出版社でもある。


── 出版社というのは相変わらずセキュリティが甘いにゃ。受付があるのに来客用の会議室に案内してもらえない会社が多いにゃ。というか、そもそも来客用の会議室がないにゃ。


約束の相手に会うのに自力で相手の執務中の座席まで探しに行くなんてエンジニア目線では信じられないにゃ。しかも、誰も彼もクリーンデスクが出来ていないにゃ。いろんな紙の資料を山ほど積み上げて。いろんな人が執務スペースに出入りするのにダメにゃ!


…それに電子データにした方が管理しやすいと思うのにゃあ。あれじゃ間違って捨てたりするにゃ。せめてファイリングすればいいのににゃあ。


受付で会社名や氏名、訪問先を書かされるものの、その後はご勝手にという出版社は多い。どことは言えないが旧館と新館のある大きな社屋で迷いに迷ってたどり着いた時には涙目だったこともある。大遅刻したのは正宗のせいではない。2度と行きたくないトラウマ出版社だ。


今日、訪問する編集部は正宗のかつての常駐先でもある。通い慣れたオフィスなので正宗でも迷わずズカズカと入っていく。


「京子、久しぶりにゃ」

「正宗!」

「相変わらず片付いていないデスクにゃ」

「いきなり失礼だね」

「うちの美哉ちゃんのお部屋を見習うといいにゃ」

「美哉ちゃんは元気?」

「元気だし、可愛いし、最高にゃあ」


会話の相手の京子は露子と同期入社の編集者で、露子の親友だった。


「京子なら、たまになら遊びに来てもいいにゃ」

縄張りにうるさいケットシーにしては珍しい。生まれる前から美哉を知っている京子には心を許しているようだ。露子の話を聞かせてくれる京子に美哉が懐いているのも理由だろう。

「うん、ありがとう」


「正宗さん、いらっしゃい!」

「ブログ、見ていますよ!」

「ヤマトもミヤコも久しぶりにゃ!」


長年やり取りしてきた編集者たちとの打ち合わせはスムーズだし楽しい。


「正宗さんが水風呂に浸かっている写真は特に可愛いですよね、美哉ちゃんが撮ったんですか?」

「そうにゃ、ほとんどの写真は美哉ちゃんが撮影してくれているにゃ」


「今年の夏はバテバテの写真も可愛いと人気でしたが、夏バテ対策のメニューもコメント欄で反響がありましたね」

「それで今年の写真とレシピを中心に来年の初夏の発売を目指してレシピ本の体裁で一冊出しませんか?」


「バテバテでやつれた正宗さんの写真は、かなり心配になるものばかりでしたが、夏バテ対策メニューをモリモリ召し上がっている正宗さんの写真を見て安心したというコメントと、美味しそうに食べてる写真を見て我慢できずに作ったら美味かったってコメントが、かなり寄せられていましたから」


「ブログに載せたご飯は全部、美哉ちゃんと文治郎が作ってくれたにゃ。コンロの熱もこたえるから夏はほとんど料理をしないからにゃ」

「文治郎って、ご近所の男の子かい?」

「なかなかの料理上手に育ったにゃ」


「溺愛している美哉ちゃんに近づけても良いのかい?」

「文治郎は理解があるにゃ。美哉ちゃんを邪悪な目で見るウェーイなクソガキが居たら、

ウェーイと美哉ちゃんの間に入って自らの身体でウェーイの視線をブロックしていると報告を受けているにゃ」

「へ、へえ〜」


「学校の行き帰りも毎日一緒にゃ。同じ学校だから文治郎はボディーガードに最適にゃ。文治郎が牽制しているから、学校で美哉ちゃんにちょっかい出すウェーイも発生していないそうにゃ」

「ふ、ふーん」


「この間は文治郎が美哉ちゃんに指輪を贈っていたにゃ。あれは良いにゃ、ナンパ避けになるにゃ」

「そ、そうなんだ〜」



「えっと……ブログで紹介しなかった絶品レシピを本の目玉にしたいので、先日メールで決めたこのレシピたちを実際に作って食べている写真が必要で…」

「この暑さが終わる前に改めて全部作って食べて写真を撮るにゃ」

「よろしくお願いします」


いつも通りの正宗の家で生活感を滲ませた写真が人気なので、今回も普段通りのご飯を撮る。インフルエンサーとか映えとかは一切気にしない。

楽しく打ち合わせを終えて正宗が埼玉に帰って行った。


「京子さん…」

「何だい?」

「文治郎君って…」

「美哉ちゃんと付き合ってますよね?」

「私もそう思うよ」

「正宗さんは気付いていないってことで間違いないでしょうか」

「気づくことを正宗の脳が拒否しているようだね」

「俺たちも気付いていないふりでOKですか。」

「気付いていないふりをしないと何が起こるか分からないよ…」

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