第3話

 二日後、待望の小包が届いた。


 開封してみると、木製の箱の中に小さな瓶と説明書が入っていた。


 瓶の中には透明の液体。どうやらこれが『恋のミラクルポーション』らしい。


 早速説明書を読んでみる。


『まず、あなたの脳髄液を採取して、ポーションと混ぜ合わせてください』


 ……は?


 ちょっと待て、そんなもんどうやって採取すんだ!?


「ちきしょう、やっぱり詐欺だったか!!」


 怨嗟の叫びを上げ、説明書を引き裂く勢いで憤慨する私だったが、下の方に注釈があった。


『脳髄液を用意するのが困難な場合、涙でも代用可』


 だったら最初からそう書いとけ馬鹿! 


 というか、脳髄液を簡単に用意できる奴なんて存在すんのか……?


 まあそれはともかく、早急に涙を出さねばならぬ。


 どうしよう、悲しい映画でも観るか?


 いや、そんな時間の余裕はない。ここは物理的作戦で行こう。


 私は愛用の毛抜きを鼻の穴に突っ込み、うりゃっと気合いを入れて鼻毛を引っこ抜いた。十本くらい抜けた。やり過ぎた、痛い。


 部屋の真ん中で、芋虫のようにピクピク悶絶しながらうずくまる私。一体何やってるんだろう……。


 多大な犠牲を払いつつ、何とか涙一滴の採取には成功した。


 さて、スポイトで吸った涙を小瓶の中に落とし込み、数回振って混ぜ合わせる。


『ポーションの色が紫に変化すれば、準備完了です』


 おお、確かにほんのり紫色に変わったぞ。どういう化学的作用なのかは全く分からんが、この薬の信憑性が多少増したような気がする。


『そして、完成したポーションを意中の相手に飲ませてください』


 そう、一番の難関はこれなのだ……。一体どうやって、この怪し過ぎる液体を彼に飲ませれば良いのか……?


 この困難を極めるミッションについて、私は昨夜、ない知恵を必死に絞り出して考えた作戦があった。




 ☆ ☆ ☆




 時刻は午後四時を過ぎた。


 そろそろ作戦決行の時間だ。


 私は意を決して、愛犬のジョニーを引き連れ家を出た。


 ポケットには、エナジードリンクの瓶に移し替えた魔法のポーション。


 私の考えた作戦はこうだ。


 幾度にも渡るストーキングにより、彼が学校から自宅へと帰るルートは熟知している。


 その道中にある駄菓子屋。私は犬の散歩の途中、そこで休憩しているフリをしながら彼が通り掛かるのを待つ。


 そして彼が現れたら、あくまでも偶然の出会いを装いつつ、


「これ、差し入れ。明日の試合、頑張ってね!」


 と、エナジードリンクに偽装したポーションを彼に飲んでもらう。


 うん、完璧だ。脳内シミュレーションも百回以上やった。


 後は滞りなく実行するだけだ。




 ☆ ☆ ☆




 目的の駄菓子屋に着き、店の前のベンチに腰を下ろした。


 現在の時刻は午後四時半。過去の統計から導き出した、標的ターゲットの予定通過時刻は午後五時二十分である。


 その時間が迫るにつれ、どんどん高鳴っていく胸の鼓動。やばい、心臓が破裂してしまいそうだ。


 どうしよう、やっぱり引き返そうか……。今ならまだ間に合うぞ……。


 そんな弱気の虫が顔を覗かせる。私が生まれてから、ずっと心に住み着いている悪い奴だ。


「ええい遥香、勇気を出せ! これは私の人生を賭けた大勝負なんだぞ!」


 私は悪い虫退治とばかりに、自分の頬を往復ビンタしてセルフ叱咤激励を行った。


 ジョニーが私の奇行を不思議そうな顔で見ていた。




 ☆ ☆ ☆




 おかしい。


 もう六時になるというのに、彼は一向に現れない。


「練習が長引いているのかな……?」


 いや、試合の前日は早めに切り上げるのが野球部の慣例だ。それは私が精密に記録した統計表からも明らかだ。


 そして、彼は仲間と寄り道することもなく、真っ直ぐ家に帰るのも知っている。


 これは一体何事……?


 でも、待つしかないか……。


 退屈そうな顔で隣に寝転んでいるジョニーの頭を撫でながら、私は彼を待ち続けた。


 やがて真っ赤な夏の夕陽が山の向こう側に沈み、辺りはすっかり夜のとばりが下りた。


 それは、私の作戦が完全に破綻したことを意味していた。




 ☆ ☆ ☆




 以前の私なら、あっさり諦めて家に帰っただろう。


 しかし、私はやってきた。標的の本陣、彼の家に。


 ひとつ深呼吸をして、震える指でインターホンのボタンを押そうとした、その刹那だった。


「あれ、遥香ちゃん……?」


 突然背後から掛けられた声に、私の心臓は超新星爆発スーパーノヴァを起こした。


 全開白目で振り向くと、彼もまた驚いたような表情で立っていた。


 あわわわわ、どどどどうしよう? な、何て言えば良い!? 


 想定外の出来事に、新たに組み直したシミュレーションは吹っ飛び、頭が真っ白になった。


 メデューサに睨まれたように硬直する私。


 それを救ってくれたのは、ジョニーだった。


 愛犬は尻尾を振りながら彼に駆け寄り、腰の辺りに抱きついた。


「おお、可愛いな。よしよし」


 飼い主に似ず、実に社交的な奴である。


 彼とジョニーが遊んでいる間に私は何とか石化から立ち直り、自分でも驚くほど普通に彼と会話ができるようになった。


 クラスが別々になった後も、廊下で擦れ違う度に笑顔で挨拶してくれた彼。その二言三言の会話を何度も反芻し、「もっと気の利いた言い回しはなかったか?」と、一人反省会を開催しながらも、ささやかな幸せに浸っていたものだ。


 そして、次なる接近遭遇機会に備え、妄想における予習復習を怠らなかった。ようやくその成果が発揮されたのだ。


 どうやら彼は練習後、病院に行って肘の検査をしていたらしい。


 その結果は、残念ながらドクターストップ。


「でも、明日勝てば県大会の本戦に行けるからさ。それまでには必ず治すよ!」


 逆境にもめげず、彼の瞳は力強い光を放っていた。


 何と心の強い人なのだろう。そのポジティブなオーラに触発されたのか、何だか私にも勇気が湧いてきた。


「これ……良かったら飲んで。明日は応援に行くね」


 彼に魔法のポーションを渡して、私の計画は無事完遂。後はクスリが効いてくれるよう祈るだけだ。帰りはお寺と神社と教会に寄ろう。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る