第19話

下校していく生徒を見送り、登校してくる生徒を眺める。

今日はあおいが出席するから、俺は校門横の植え込みの段差に座って時間を潰していた。

弁当箱を返すためにスミちゃんを待とうと思ったのだ。

部活を終えた全日制の生徒と、坂道を上ってくる定時制の生徒が挨拶を交わすことはない。

中には顔見知りの生徒達もいるだろうが、三年生である俺でさえ、今まで定時制の生徒の顔はほとんど知らなかった。

それくらい、疎遠で関わりの無い状態だ。

そんなことを考えていると、まずは葵が登校してくる。

さすが我が妹、定時制で一番乗りではなかろうか。

顔色は良く、足取りも軽い。

「お兄ちゃん」

と言って手を振る葵の腕を掴み、爪の色まで確認してから校内へと送り出す。

あ、石上さんが登校してきた。

思わず挨拶をしそうになるが、今の俺は日向ひなたなので知らん顔をする。

次にアクビを噛み殺しながらやってきたのは島田君。

さては昼の間に寝ていないな。

でも、何となく満ち足りた顔をしているから、パチンコで買ったのかも知れない。

こうやって登校してくる生徒を見ていると、誰も俺に目を向けないことに気付く。

何だかそれは寂しいことに思えて、モヤモヤする。

顔をちゃんと見てもらえれば、葵の兄だと判るくらい似ているのだけど。

今度は坂道の向こうから歩いてくるスミちゃんが見えた。

うつむき加減で歩いていたのに、どういうわけかふと顔を上げ、俺に気付くと早歩きになった。

とことこがとっとこといった感じの足運びに変わって、何故か俺は笑みがこぼれてしまう。

それに気付いているのかどうか、スミちゃんは俺の近くまで来ると歩調を戻し、暑いはずなのに涼しげな顔をして言った。

「こんなところにクソが」

「それだとただの汚物だろうが!」

「……いつもと何の違いが?」

いや、クソ日向だと俺がクソみたいな奴になるけど、クソだと汚物そのものじゃないか。

……確かにあまり違わないのかも知れない。

まあいい。

スミちゃんは笑ってるし。

「これ、弁当箱。美味しかった」

ポーチみたいな可愛らしい弁当箱入れを差し出す。

実際、ずっと家事手伝いをしていると言っていただけあって、葵に負けない腕前だと思った。

食材は遥かに高そうだったけど。

「何それ?」

「何って、昼に貰った弁当を食べたから、ちゃんと洗ってだな」

「そんな重いものを持って帰らす気?」

「中身の詰まったもっと重いものを持って来たのに!?」

「まさか毒入りのお弁当を全部たいらげるとは思ってもみなかったから」

「毒って何!?」

「毒食わば弁当箱まで」

「つまり、弁当箱も貰っておけってこと?」

「……今度から、洗わないでいいから」

「え?」

「こ、今度なんて無いと思うけど、毒が余ったら持ってきてあげるわ」

ひったくるようにして俺から弁当箱を奪い取り、意味もなくそれをいじり倒す。

「毒って、栄養価も考えたメニューに思えたし、味も文句なしだったぞ?」

「クソ日向はバカ舌に違いないから」

「葵の手料理を食べてるからそれは無い」

「それ、ただのシスコンじゃない」

不服そうな口調に、嬉しそうな口許。

ちょっと苦笑にも似たその表情は、スミちゃんを少し大人っぽく見せた。

「ねえ」

「ん?」

「料理の味はともかく、好みの女性も葵が基準になるの?」

「は? 妹は妹で、好みの異性とは別の話だろ?」

「……ホントに?」

臆病な仔猫がこっちの機嫌を窺うような視線。

いや、スミちゃんが可愛いからそう見えるだけで、実際はただ疑ってるだけかも知れないけれど。

「だったら、あのクソネコはどうなの?」

クソネコ?

ああ、水瀬のことか。

「水瀬は全日制で一番可愛──ぶへっ!」

頭突きかよ!

しかも俺より背が低いから、鼻の付け根辺りを直撃だよ!

「ごめん、バランス崩した」

なんて白々しい……。

「で、あのクソネコはどうなの?」

言論弾圧しておいて、同じ質問を繰り返すのか。

「水瀬はさあ、石上さんが好きなんだよ」

「……石上さん?」

「お前、同じクラスなのに憶えてないのかよ! 葵の後ろの席の」

「ああ、あの無害そうな人」

……まあ無害そうではある。

「で、石上さんも水瀬のことは好意的に見てるんじゃないかなぁ」

「……有害だったの?」

「なんで石上さんが水瀬に好意を寄せたら有害なんだよ!」

「大人の手練手管てれんてくだを使って女子高生をたらし込んだのかと」

「いや、どっちかって言うと、石上さんの方が水瀬の魅力で落とされたんじゃないかなぁ」

「魅力?」

「ああ。水瀬は頭もいいし運動神経もいいし、ちょっと気は強いけど真っ直ぐで責任感も強くて、何より可愛──ぐふっ!」

「ごめん、バランス崩した」

こ、コイツ……。

まあ容姿に関しては、スミちゃんのライバルとなり得る数少ない存在だから、水瀬を褒めるのは気に食わないのかも知れない。

「今度クソネコに会ったら伝えておいて」

「今度って、明日また学校で会うけどな」

「クソ日向に触れると」

「触れると?」

「腐るわよ」

「腐らねーよ!」

「え?」

「え? じゃねーよ! つーか水瀬はそんな言葉で左右されるようなヤツじゃ──ごふっ!」

また頭突きかよ!

もちろん加減はしているようだが、それなりに痛い。

痛くはあるのだけど、

「めっちゃいい匂いがする」

「なっ!?」

あ、こういうことって、あまり口に出して言わない方がいいのか?

スミちゃんは飛び退くようにして俺から距離を取り、自分の髪や腕に鼻を近付ける。

「大丈夫だって。汗の匂いなんてしなかったし、リンスの匂い? それとスミちゃんらしい甘いような匂い──がっ!」

弁当箱入れが俺の頭に直撃する。

「死んで! 地球が滅んだら!」

「あ、おい!」

また随分と優しい罵倒を残し、スミちゃんは校舎へ駆けていく。

どうやら地球が滅ぶまで、俺は生きていていいらしい。

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