第18話

スミちゃんは他人の視線に無頓着むとんちゃくだ。

人見知りなのは、他人の視線や思惑が気になるからというより、自分が気を許した相手以外は信用していないからだ。

だから、スミちゃんが見ている世界は狭く、他人の動向も見えていない。

いや、見えてはいるし、気になってはいるんだろうけれど、極力それらの雑音を排除しようと努める。

一人のときは、いつもうつむいて歩く。

最近のことはまだよく判らないが、少なくとも昔はそうだった。

そうやって、周りの視線や声をシャットアウトしているのだ。

そんなスミちゃんが、真っ直ぐこちらを見て歩いてくる。

ちょっとおびえが感じられるのは顔を上げているからかも知れないが、歩みに躊躇ためらいは無く、視線も揺るぎない。

周囲のざわめきなど意に介さない強さも、少しは手に入れたのかも知れない。

でも、そんなスミちゃんにとって規格外の存在がいたらしい。

その視線が揺らいで、俺の隣に立つ人物に焦点が合わされた。

「え?」

水瀬みなせが戸惑う。

お人形さんのような可愛らしい姿から放たれた、無遠慮で強い敵意。

普段のジト目とは違った、冷たく鋭い視線。

それは圧倒的な美しさで相手を萎縮させ──あ、視線が俺を向いた。

ただのジト目に変わる。

「日向」

なっ!?  クソが付いていないだと!?

「このクソネコ、誰?」

水瀬をクソネコ呼ばわり!?

だが俺にはそれをたしなめる余裕が無い。

何故ならスミちゃんは昨日、俺が妹のパンツを履いていると叫びたい気分、と言っていたからだ。

いや、まさか本当にそんなことをするとは思ってないけど、スミちゃんがここに来る意図が読めない。

「ク、クラスメートの水瀬さんです」

どうして俺は敬語になってしまうのか。

「そ」

それに対し、スミちゃんはたった一文字で返事を済ませると、水瀬に全く興味が無くなったかのように背中を向けた。

……背中を向けたと言うより、俺と水瀬の間に入って俺の方を向いているから、必然的に水瀬に背中を向ける形になっただけだが。

そのあまりに失礼な態度に、気の強いはずの水瀬も唖然として何も言えないでいる。

「お昼ご飯を作ったら余ったから棄てるのも勿体無いし犬にあげようかと思ったのだけどエサをやったばかりだったから日向にあげるわ」

まるで用意していたセリフのように、不自然なほどスラスラとつかえることなく言う。

……めっちゃ顔が赤いんだが?

あおいが作った弁当があるけど、とても断れる雰囲気ではない。

「あ、ありがとう」

「いいえ、どういたまして」

あ、噛んだ。

「~~~っ!」

更に顔が赤くなった。

「死んで! 私の目の前で! 老衰で!」

……それは聞きようによっては添い遂げるということでは?

「……帰る」

「え? あ、ああ。気を付けて」

来る時は真っ直ぐ前を向いていたが、帰りは俯きながらトボトボ歩いていく。

廊下にいる生徒もその後ろ姿を見送り、見えなくなったところで主に男子の視線が俺に集中する。

面倒な質問をされる前に教室に戻った方が良さそうだ。

「ヒナちゃん」

あ、水瀬が我に返った。

面倒な怒りに触れる前に逃げようと思ったのだが。

「クソネコって、私のことかしら?」

引きった笑顔で問われる。

怒っていても美人だと思っていたが、今は単純に怖い。

「あの子が神前菫かんざきすみれよね?」

さすが水瀬、俺が一度だけ口にした名前をしっかり憶えている。

今は、その記憶力さえ恐怖の対象だが。

「石上さんが挙げた二人のうちの一人が彼女なのね?」

「それは知らん」

「……敵情視察……よね?」

「は?」

「もしかしてあの子、石上さんのことが好きで、ヒナちゃんをダシにして私を牽制けんせいしに来たのかも」

すげー!

恋する乙女っていうのは、全ての物事が好きな人を中心に展開していくんだ!

その恋愛脳が恐ろしい。

「ていうか、あの女狐めぎつねと随分と親しげじゃない。どういう関係なのよ?」

不器用で男のおの字も知らないようなスミちゃんが女狐……。

「一応、幼馴染……かな」

「妹さんとは?」

「同じだよ」

「……外堀から埋める気ね」

「何を言ってるんだお前は」

「妹さんと石上さんの席は近い。あの子があなたに良く出来た女の子アピールすることで、それが妹さんに伝わり、更に石上さんへと伝わる」

俺は、美人で才女と言われる水瀬の顔を、アホな子を見る目で見た。

「……あんな綺麗な子、初めて見た」

いきなり悄気しょげ返る。

美人で才女と言うより不憫な最後と言いたくなる。

「水瀬にいいことを教えてやろう」

「何よ? つまらないことだったら承知しないわ」

「お前は生徒会副会長だ」

「……それが何よ」

「石上さんは、定時制の生徒会長だ」

「え?」

「後は自分で考えろ」

「ちょ、ちょっと待って」

水瀬は戸惑っているが、すぐに気付くだろう。

同じ学校でありながら、全く交流の無い関係性を打開する可能性があることを。

そしてその過程で、もっと彼と親しくなるきっかけが得られることを。

……実のところ、俺自身がそうなってほしいと願っているのだけれど。


学食にでも行っていたのか、浅野が興奮しながら教室に戻ってきた。

「さっきそこで超絶美少女を見た!」

「そうか。良かったな」

「いや、マジだって!」

「誰も疑ってねーよ」

「会話もしちゃったもんねー」

「……嘘だな」

あのスミちゃんが、初対面の男と会話する筈がない。

「ふっふっふっ、あの子はああ見えてウブだと見たね」

まあ基本的に俯いてるし、目を合わせないからな。

「だから俺は言ったのさ。お嬢さん、あなたの名前をお聞かせ願えませんか、と」

全身を拒絶オーラで覆ってるのに、コイツの空気の読めなさはさすがだなぁ。

「すると彼女は恥じらいながら俯いて、死んで、今すぐ、見えないところで、って答えたんだ」

……スミちゃんも成長したんだうか。

昔なら何も言わず走って逃げただろうに、ちゃんと意思表示したんだ。

……どっちが良かったのか判らないけど。

「いやぁ、あんなに激しい照れ隠しは初めて見たなぁ」

こんな強引な強がりは初めて見たなぁ。

貼り付けたような笑顔が痛々しい。

まあこんなヤツだけど、一応ひとこと言っておくか。

「ドンマイ」



※今後、更新ペースが遅くなります。すみません。

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