第15話

「職場の悩みなんじゃないかなぁ」

休み時間になると、美紗ちゃんはタナカ先生と職員室に行った。

その後ろ姿を追うように見ていたあかねが心配そうに言う。

俺には馴染みの無いことなので、何と言っていいか判らない。

普通の高校生が持つ、学校の悩み、家庭の悩み。

そこに更に、職場の悩みが加わるのだ。

「茜は、職場では上手くいってるの?」

バカで暢気のんきに振る舞ってるけれど、茜にも何か悩みがあるなら、さっきの美紗ちゃんみたいな顔はさせたくない。

「まあ、どこにだって嫌な人はいるよね」

達観というか、諦観というか、茜らしくない力無い笑顔。

「私達にとったらさ、学校って、寧ろ癒しだったり、ストレス発散できる場所だったりするんだよね」

ガラの悪そうな人や派手な人も多いけれど、どこか和やかな空気と、何か不思議な連帯感みたいなものを感じるのは、そういったことが理由なんだろうか。

「だから板挟み」

「え?」

「頑張って卒業しよう、でも、卒業したくない、みたいな」

全日制でも、社会に出たくない、まだ高校生でいたいと思う人はいるけれど、定時制のそれとは少し違うのかも知れない。

「モラトリアムじゃなくて、り所ってこと?」

「拠り所……うん、そうかも。社会に出ちゃってるからねぇ。とは言っても私なんかはバイトの身だから、社会人の端くれっていうか、その片鱗へんりんしか知らないけどさ」

茜が、とても大人に見えた。

いや、自分がひどく子供に思えた。

「でも、実際のところバカだから仕方ないよね。猶予期間だって自分で獲得しなきゃならなかったんだから、全日制の子が私達をバカにするのもしょうがないし」

「しょうがなくねーよ!」

「ちょ、あおい、言葉遣い」

「あ、ごめん」

「ううん、こっちこそごめん。葵みたいなケースもあるから、一括ひとくくりにされたら嫌だよね」

「違う。そうじゃなくて!」

「判ってるって。どんな経緯があろうと、いま頑張っているならバカにされるいわれは無い、ってことだよね?」

……正直、少し圧倒された。

派手にはなったけど、中学のときと変わらず愛嬌があって、今でもやっぱり勉強は苦手みたいで、丸顔の童顔で、ちっこくて、その小さな身体は昔と変わらないのに、ちゃんとお金を稼いで、今をしっかりと認識して、そしてなだめるような目で俺を見る。

何だか悔しくなって、俺は茜の派手な頭を小突く。

こういうところが子供なんだろうなぁと自分で思う。

でも、どういうわけか茜は、嬉しそうに痛くも無いはずの頭をさすって、無邪気な子供みたいに笑うのだ。


美紗ちゃんはさっきより赤い目をして教室に戻ってきた。

何故かヤッさんと石上さんも一緒にいる。

表情は柔らかくなっていたから、先生やヤッさん達と話をして、泣きはしたものの色々と吐き出して楽になったのかも知れない。

美紗ちゃんと目が合った茜が手を振る。

俺も、躊躇ためらいながら手を振った。

茜みたいに素直に笑えないし、手はぎこちなくしか動いてくれない。

何となく、へだたりみたいなものを感じてしまうのだ。

高校に入学したばかりの自分を思い返す。

少し大人になったみたいに思えて、新しい制服にそでを通して、ちょっと得意げに歩く。

でも、高校は中学の延長線上にあって、日常は大きく変わらない。

授業の内容が難しくなっても、友達が増えても、ほんの少し広がった世界は、まだわくの中にある。

眠い、だるい、メンドクサイ。

ひどくささやかな不平不満を漏らしながら、おおむね楽しくて平穏な日々。

周りは同い年ばかりで、同じ高校内なら能力値も一部を除けば大して変わらない。

十五歳の自分が、働き出すことを想像してみる。

第一日目は、どれほどの勇気がいるだろう。

若い人が多いバイト先ならともかく、周りが大人ばかりだったらどうすればいいんだろう?

何を、どう話せばいいのだろう?

仕事は上手く出来るだろうか?

失敗したら? お金を稼ぐということの責任は?

それとも、子供から少しだけ足を踏み出した位置にいるなら、周りは許してくれる? 守ってくれる?

同い年の友達に話すように、不満や愚痴を零して、その先に笑って吹き飛ばせる時はある?

俺は、教室を見渡した。

ヤッさんが目からビームでも出すみたいに、顔の前で両手の人差し指を黒板に向ける。

ちゃんと前を見ろということらしい。

えっと、人の良さそうな顔をしたあの子はクジラちゃんだったかな。

ぽっちゃりだからそう呼ばれてるのか知らないけれど、クジラというよりはイルカちゃんだ。

彼女は学食で食べる時間に間に合わなかったらしく、こそっとパンを口に入れるところだった。

内緒ね、と唇に人差し指を立てる。

昨日はパチンコで寝不足だった島田君は、今日は起きて授業を聞いている。

また今夜も学校の後、工場での夜勤が待っているのだろう。

石上さんは、自分の手を何故かじっと見つめ、時おりゴシゴシこする。

自動車整備でこびりついた油は、ちょっと洗ったくらいでは落ちないらしいから、それが気になるのかも知れない。

みんな、お疲れ様。

笑いたくもないのに笑い、失敗の度に謝り、それでも成し遂げたときの小さな喜びを大切に抱き、試行錯誤と右往左往を繰り返して、踏ん張って、それでも笑って、足掻くようにして今、あなた達はここにいる。

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