第10話

「なぁ日向ひなた

「ん?」

水瀬に代わり、新たに隣席になった女子が俺を呼ぶ。

地毛と言い張るにはやや厳しい髪色、すっぴんと言うには明らかに無理がある化粧、それこそ定時制で見かけるようなヤンキータイプだ。

でも、あおいの席に座るのがコイツで良かった、とは思う。

小学校からの知り合いだし、ガラは悪いけど気風きっぷが良くてサッパリしている。

ただまあ、全日制では浮いてしまうタイプでもあり、そのくせ成績はトップクラスなのでねたまれたりもする。

だから、そういったことを気にしない水瀬みなせや俺以外とはあまり話さない。

「何であたしの隣にいるワケ?」

ポップキャンディをくわえながら、脚をだらしなく前に伸ばして気怠けだるげに訊いてくる。

そういやコイツ、朝から見かけなかったけど四時間目になって登校してきたのか。

いちごの隣がいいからに決まってるだろ」

ちっちゃい頃は「苺」という名前が似合う可愛らしい子だったが、今ではその名を呼んで許される人間は限られている。

「ふーん、ま、浅野よりマシかぁ」

おい、顔を赤らめるな。

冗談を言った俺の方が照れ臭くなるじゃないか。

「あのさー」

「何だよ。いちおう授業中だぞ」

自習中なので周りは騒がしいが。

「昨日、葵に似た葵の兄貴的な女子みたいな男子的な生徒を見掛けたんだけどー」

「ぶっ!」

「ドチャクソ葵に似てたなー。ま、似て非なるものっつーか、世のことわりに反するっつーか」

「ゲホッ、ゴホッ、おまっ、それっ!」

駄目だ、呼吸が追い付かん。

「あ、ごめん! 別に脅してるワケじゃ」

コイツが脅すようなヤツじゃないのは判ってる。

ただ驚いただけだ。

「……もしかして、葵の具合、良くないとか?」

ほら、やっぱりそこが気になったんだ。

「心配ねーよ。いつもの、元気だけど、ちょっとだけ瘦せ我慢している葵だよ」

「おい!」

苺が立ち上がる。

コイツはいつもダルそーに冷めた風を装っているけど、実際は熱血というか、喜怒哀楽が激しい。

「葵の痩せ我慢はハンパねーだろ!」

クラスのみんなが注目する。

「取り敢えず、座れ」

「す、スマン」

「どの程度の痩せ我慢かどうかは、顔色や動作で判る」

「そ、そうだよな」

「でも、ありがとう」

苺はプイと顔を背けて、窓の外に目を向けた。

窓の向こうには、どこかがれるような夏空が広がっていた。

……そういやコイツも一緒だったな。

夏空の下、俺と、苺と、スミちゃんで駆け回っていた。

葵は木陰に座って、そんな三人をニコニコ笑いながら見守っていた。

あの頃の日々を、コイツも頭に思い描いているのだろうか。


昼飯は自分の席で食べる。

いつもは前の席の浅野がちょっかい出してきて鬱陶しかったが、席が入れ替わったので被害者は水瀬になった。

振り返ると、その水瀬に睨まれる。

スミちゃんのジト目とは違って、きりりとした強い眼差まなざしだ。

目をらそうとしても見入ってしまうような、そんな美しさがある。

「水瀬」

そのまま顔をそむけるのもあれなので話し掛ける。

「何?」

「お前って、潔癖症なの?」

「どうして?」

「だってこの間、浅野が自分の席に座ったとき激怒したんだろ?」

俺はその現場を見たわけでは無いが、結構な剣幕だったらしい。

何度か私の席には座らないでね、と言っているのは目にしてたし、何となく他人に座られるのは嫌だ、という気持ちは判る。

でも、わざわざ怒りをあらわにする人は滅多にいない。

まあ浅野は浅野で、すぐにそんなことも忘れてしまう軽い男だが。

「そういうわけじゃ……無いけど」

珍しい。

いつもはっきりした口調で話す水瀬が言い淀むとは。

「照れ臭かっただけだよな」

さすが浅野、無駄にポジティブだ。

「断じて違うから」

「つっても、どうせ定時の奴らも使ってんだから意味ねーじゃん」

まあ浅野の言う通りではある。

ではあるけど──

「あなたの定時の奴らって言い方、とても不愉快だわ」

俺が言おうとしたことを先に、そして、俺が考えていたよりもずっと鋭い口調で言う。

水瀬は物事をはっきりと言う傾向にあって、誰かと敵対してしまうことも多い。

言ってることはいつも正しいから、言い方次第でもっと上手くやれるのにと思うけれど、俺はそんな不器用で愚直な水瀬が嫌いではない。

「そうは言うけどさぁ、定時制のせいで俺らの学校の評判が落ちてる面も絶対あるって」

浅野もめげないなぁ。

「私達よりずっと苦労してる人や努力してる人、ちゃんとした大人の人だっている」

「んなの一部じゃん」

「あなたは全てを一まとめにして見下してるじゃない」

「だってさぁ、定時制なんて無い方が放課後も校舎を自由に使えるし、運動部の連中だってグラウンドを──」

「あのさ」

俺は口を挟む。

浅野の言うことは否定しきれない。

何か問題を起こす生徒はいつも定時制だし、夜には迎えの車がうるさくて近所からクレームが入る。

でも、そういった生徒の大半は一、二年で辞めていく。

「俺の妹、定時制なんだ」

だからといって定時制を肯定する理由にはならないだろうけど、これで浅野も黙るだろう。

「す、すまん……」

気まずそうな顔をさせてしまったが、まあ一瞬だろう。

水瀬の方は、ちょっと目を見開いてから何か訊きたげな顔をして、でも、結局なにも言わなかった。

というか、ここまでのやり取りでピンとくるものがあった。

水瀬の席は、夜には石上さんが座っている。

昨日、挨拶を交わしただけでちゃんとしゃべったことは無いが、葵の情報だと寡黙かもくだけど気配りの出来る誠実な人、だったはず

「水瀬は年上が好きなのか?」

「水瀬ちゃんは年上って感じじゃねーよな」

やはり浅野、少しおとなしくなったのもつかの間で、またもや空気を読まない発言。

コイツの周りには空気が無い方がいいのかも知れない。

「な、なによ? い、いきなり変なこと聞かないでよ」

無視するつもりは無いのだろうが、水瀬は浅野には反応せず、予想外に狼狽うろたえて顔を赤らめる。

「あ、いや、何となくそう思っただけだ」

ここで真意を問い詰めても仕方ないし、仮に、この席は二人だけのもの、なんて考えであったとしても、詮索せんさくすることでもない。

寧ろ、意外と子供っぽいというか、乙女ちっくな水瀬に微笑んでしまう。

「えっと、ヒナちゃん?」

俺の笑顔が気にさわったのだろうか、不敵な笑みが返ってくる。

「な、なんだ?」

「後で女子トイレに来て」

「呼び出し!?」

「え、そこ!? 女子トイレはスルーなの!?」

いかんいかん、昨夜は女子トイレに入ってたから違和感が無くなっている。

「いや、まあ、トイレはともかく、何か相談か?」

「……まあ……そんなところだけど」

また言い淀む。

なるほど、水瀬のらしくない姿は恋する乙女だったからなのか。

恋愛経験の無い俺が力になれるとは思わないけれど、全日制で一番の美少女と、定時制に通う真面目で誠実な青年との恋は、ちょっと応援したくなる。

「浅野」

「なんだ?」

俺はやっぱり空気の読めていない浅野の肩を叩きながら言った。

「終わったな」

「何が?」

……。

まあ事情を知ったところで、コイツのことだから慰める必要も無いのだろうけど。

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