第9話

いつもの教室が、とても明るく感じる。

少しだるい身体と、何となく重いまぶた

授業が終わって、寝て起きたらまた授業、みたいな感じだ。

目がしょぼしょぼして、朝の光や女子の白いブラウスの眩しさがわずらわしくさえ思える。

「ヒナちゃん、おはよう」

隣の席の水瀬みなせが挨拶してくる。

コイツはいつもキリッとしてるなぁ。

多分、定時制で一番の美少女がスミちゃんなら、コイツは全日制で一番だろう。

タイプは違うけど、大多数が認めるに違いない。

「って、ヒナちゃん呼ぶな!」

結局、俺が男の誇りだなんだのと言ったところで、昼間はみんなからヒナちゃんと呼ばれる始末。

「え? ごめん、ホントに嫌だったらそう呼ぶのやめるけど」

「……いや、別にいいよ」

ほとんどの場合、からかいもあるけど親しみを込めて、っていうのは判ってる。

特に水瀬は、人を馬鹿にしたり見下したりすることは無い。

「ヒナちゃん、おはよー」

「お前はダメだ」

前の席の浅野のそれは、からかい成分しかない。

しかも夜はスミちゃんの席なのに、昼間はそこにお前が座ってるというだけで腹が立ってくるではないか。

「お、なんだ? 水瀬ちゃんならいいのに俺はダメなのか?」

何だろう。

いつもと同じような朝なのに違和感を覚える。

ふざけて追いかけ合ってる男子や、何故か動画を撮ってる女子。

ざわざわと賑やかで、決して嫌いな空気ではないけれど、いつもより騒がしいというか落ち着きの無さを感じてしまう。

昨夜の俺は女子で、今の俺は男子だから、というわけではなく、朝の空気と夜の空気の違いみたいなものだろうか。

そういえば、昨夜は机の上に座っている生徒を見掛けなかった。

走り回っている生徒も見掛けなかった。

やはり夜は、年上や働いている人が多いから少し大人なのだろうか。

「おい、ヒナ、無視すんなよ」

まあ夜だって前の席のヤツはうるさかったけれど、あかねは可愛らしいが浅野はウザいというのもある。

「浅野」

「ん?」

「お前、俺と席を替われ」

「え、いいのか?」

以前から水瀬の隣である俺をうらやましがっていたから簡単に食い付いてくる。

「ああ。先生には目が悪くなってきたからって言っておくよ」

「サンキュー!」

浅野は嬉々としているが、水瀬が露骨に顔をしかめる。

……あれ、何で俺はこっちの席がいいのだろう?

ていうか、昼間は俺がここに座ってるって知ったら、スミちゃんも顔を顰めそうだなぁ。

そんなことを思ったのに、何故か俺の口許からは笑みがこぼれていた。


体育の授業になる。

昨夜と同じバレーボールで、もちろん俺も参加する。

接戦だったが、ここぞというところでミスをしたのは、普段は目立たない男子だ。

「中嶋、何してんだよ!」

「ったく」

非難と舌打ちが聞こえてくる。

また違和感。

昨夜、見学していたバレーでも痛恨のミスは見掛けた。

けど、聞こえてきたのは「どんまい!」の声だった。

終始、楽しそうに盛り上がっていたし、かといって遊びふざけて勝負がそっちのけ、なんてことも無かった。

でも、今はギスギスしている。

さっきミスをした中嶋がサーブを打つ番になった。

刺すようなみんなの視線が注がれる。

俺は昔からいじられることには慣れているし、それこそミスを非難されても女みたいな泣き真似をして笑いを取ったり、ムカつけば言い返すこともある。

でも、中嶋はそういうタイプではない。

たぶん気弱で優しくて責任感が強いのだろう、自分のミスは許されないものだと思っている。

何度も周りを見て、唇を舐め、右手を体操服でぬぐう。

萎縮しているのが見て取れる。

「早くしろよ!」

かされて打ったボールは、案の定、ネットにさえ届かずコートの左を転がっていった。

また非難と舌打ち。

なんか嫌だな、と思った。

見慣れているはずの光景なのに、たった一日、定時制に通っただけで世界の見え方が変わったみたいに思える。

男と女の違い?

それとも、昼と夜の違い?

いや、でも、どっちがいいかなんて判りきっている。

「ドンマイ!」

気付けば俺は、大きな声でそう言っていた。

失敗した中嶋が、ぎこちなくうなずいた。

俺はそれに、あおいみたいな笑顔を浮かべてウインクしてみせると、引きっていた中嶋の顔が少しだけほころんだ。

「よっ、ヒナちゃんカッコいい!」

浅野が俺を冷やかす。

けど、空気が変わった。

萎縮しながらも必死で動く中嶋に呼応こおうするように、サポートに入る奴、声援を送る奴が出てきた。

連帯感が生まれる。

なんだ、同じじゃないか。

男子も女子も、昼も夜も、ちょっとしたきっかけなのだ。

「ヒナ!」

「おう!」

浅野から絶妙なトスが上がって、最後は俺のスパイクで接戦を制した。

歓声が上がる。

体育の授業とは思えない、まるで大事な試合にり勝ったかのような盛り上がり。

たまたまみんなの呼吸みたいなものが噛み合っただけなんだろうけど、偶然ではあっても、俺の一言はそのきっかけになれた。

そしてそのきっかけから、実際に空気を変えたのは中嶋自身の頑張りだろう。

……もしかしたら、同じかも知れない。

昼が夜をバカにするような雰囲気は常にあって、同じ学校に通いながらも交流は無いけれど、それでも、何かちょっとしたきっかけと、俺や、他の誰かの頑張りがあれば変わるのかも知れない。

何故かそんなことを、俺は漠然と考えていた。

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