第8話

「お兄ちゃん、おかえ──あいたっ!」

玄関まで迎えに来た妹に、俺は速攻でデコピンを入れる。

俺が出掛けた時より顔色は良くなっていたし、玄関に駆けてきた足取りも軽い。

「な、なんでぇ?」

ひたいさする仕草が可愛らしくて思わず撫でてやりたくなるが、俺は心を鬼にしてこらえる。

「お前、スミちゃんがいること黙ってただろ」

「あ、素敵なサプライズだと思っ──あいたっ!」

二発ともキレイに決まったので、額が赤くなってこれまた可愛らしい。

しかもねたような上目遣い付きだ。

「なんで二回も……」

「お前、あかねを協力者にしておいたことを黙ってただろ」

「あ、それは茜ちゃんが黙っておけって」

「それで俺がどれだけヒヤヒヤしたと思ってんだ」

「何かされたの?」

「スカートまくられた」

「え?」

「トランクスを見て、お前は女装した日向ひなただ、みたいに言われて一時は絶望した」

「あ、私のパンツ貸すの忘れてた」

「そこじゃねーよ!」

「私のパンツを履いてなくて絶望した?」

「どんな人生歩んできたら、そんなことで絶望出来んだよ!」

「でも、お陰で茜ちゃんのパンツを見ることが出来たんでしょ?」

「き、きさま、何故それを!?」

「茜ちゃんが緊急速報的なメッセージで」

あのアマ……。

「なんでも、脱げ! って強要したとか」

「んなわけ……そういや言ったな」

「サイテー」

「いや、ちゃんと事情があってだな」

「その後、お前を脱がして俺は死ぬ、とか言ったみたいだし」

「命をしてまで俺は脱がせたいのかよ!?」

「あれ? お前を殺して俺は脱ぐ、だったっけ?」

「殺人を犯してまで俺は脱ぎたいのかよ!?」

「どっちにしても、お兄ちゃんが要求して、茜ちゃんがそれに応えたんでしょ」

……くそ、俺に真似できないような可愛らしい顔で睨みやがって。

しかもいつの間にか俺が責められる立場になってるし。

大体、俺はよくシスコンなんて言われるが、断じてそんなことは無いのは当然として、寧ろ厳しいくらいの兄だと思っている。

思っているのだが、実際のところ、俺は葵の尻に敷かれている、あるいはてのひらで転がされているのでは、なんて思うこともあったりする。

「俺は冗談で言っただけで、まさか茜が見せるとは思ってなかったんだ」

「うん。だから茜ちゃんにも猛省もうせいうながしておいたから」

さすが我が妹、仕事が早い、っていうか怖い。

葵は意外とネチネチしてるし、こういう時は素直に謝った方がいい。

「すみませんでした」

昔から医者や看護師などの大人と接してきた葵は、おざなりな謝罪は直ぐに見破る。

だから、誠意は込めたつもりだ。

「よろしい」

納得してくれた。

「私の代わりに学校に行くなんて、ただでさえ心配なんだから、他に悩みの種を増やさないでよ」

「うん、気を付ける。って、最初っからお前が茜のことを言ってくれてたら、こんな面倒なことにはならなかったんだよ!」

「それはごめん。まさかスカートを捲られるところまで想定してなかったから」

「いや、そうじゃなくて」

「じゃあ選ぼっか」

「は?」

「なるべく新しい方がいい?」

「お前は何を言って」

「何をって、お兄ちゃんが履く私のパンツ」

昔から医者や看護師と接する入院生活が長かったせいか、葵はどこかズレてる。

いや、医者や看護師は関係無いか。

「ていうか、お前はいいのかよ」

「何が?」

「俺が、その、お前のパンツを履いても」

「何で?」

「何でって何が?」

「何でそんなこと、私が嫌だと思うの?」

「いや、普通は嫌だろ? いくら兄妹とはいえ、男が自分のパンツを履くんだぞ?」

「男? 男というより、お兄ちゃんという生き物だけど」

「だから兄だろうが何だろうが自分以外が履いたら気持ち悪いのが普通だろ」

「履いたらで思い出したけど、昔、私が熱を出して吐いたら、お兄ちゃん手で受け止めたよね」

またコイツは古い話を、ていうか直ぐに話がズレる。

「まああれは洗面器が間に合わなかったし、ベッドを汚すくらいなら手で受けた方がマシだったからだろ」

何故か葵は微笑む。

こういう笑みも、たぶん俺には真似出来ない。

老成して全てを見透かすような気配と、ひどく幼い無垢むくな部分が混在して、どこかアンバランスな空気をたたえている。

長い入院生活と足りない学校生活、それぞれの経験から生まれた、人より甘えたがりな一面と、人より大人びた感性がそうさせるのかも知れない。

「お兄ちゃんはそうやってサラッと流すけどさ、あれは以後の私の感覚を左右する出来事なんだけどな」

「は?」

「双子だからっていうのもあるかもだけど、お兄ちゃんに関して汚いとか嫌悪感とか忌避きひ感とか皆無なんだけど」

なんだ、いちおう話は繋がってるのか。

「私の身体の一部、みたいな」

「一部?」

「あれ? そこにこだわる? じゃあ全部」

別に拘ったわけじゃない。

葵は簡単に言ってのけるけど、本当にそんな風に全部が一緒で、足して二で割ったようであればいいのにと思ったのだ。

俺は子供の頃から病気らしい病気はしたことが無いし、最近は風邪すらひかない。

全く対照的なのに、名前は二人で一つ。

日向と葵。

両親は向日葵ひまわりのように育ってほしいと願ったみたいだけど、俺だけが日の光を独占してしまってるんじゃないかと思ったりする。

だから、俺の一部が、或いは全部が、葵の活力になればいいのに。

「もしかして、お兄ちゃんの方に嫌悪感があったりする?」

俺が真剣な顔をしていたからだろうか、葵が不安げな顔をする。

「だからさ、嫌悪感とかじゃなくて、男の矜持きょうじというかプライドというか……」

「は?」

「な、なんだよ?」

「だってお兄ちゃん、スカート履いたまま男の矜持とか言われても」

笑いがこらえきれないとでも言うように、俺の肩をぺしぺし叩く。

こ、コイツ……。

「うっせぇな! 最後の一線なんだよ! だから……そうだ! ハーパン、体育のときのハーパンをスカートの下に履けばいいだろ?」

「駄目に決まってるじゃない。お兄ちゃん、誇りってものが無いの?」

「誇りって、え?」

「見えるかも知れない、見られたら恥ずかしい、だから物を落としたりしたとき、脚を閉じてスカートのすそを押さえながら真っ直ぐに腰を下ろして拾う。それ以外でも、あらゆる動きでもそう」

「何を言って?」

「そういう所作しょさが女性らしさを作るの。ハーパン履いてたら無造作な動作になって、ただでさえ男のお兄ちゃんは男っぽい動きになっちゃうでしょ」

一理あるが、つまりそれは、俺は男の誇りを捨て、女であることを誇れということではないのか。

「というわけで、選ぼっか」

葵は楽しそうだ。

俺はシスコンではないが、葵が楽しそうなら付き合わざるを得ない。

結局、山ほどある妹のパンツを見せられながら、俺は出来るだけ中性的なものを選ぶのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る