第5話

二時間目は体育なので気が楽だ。

普段からあおいは見学と決まっているし、着替える必要もない。

更衣室でワイワイキャッキャッ言いながら女子と着替えるのは、男にとって夢──いや、わずらわしいものだからな。


体育はバレーボールだったが、最初に点呼を取った後は体育館の端っこに座っておとなしく見学するだけだ。

定時制は体操服も自由で、下はジャージ、上は動きやすい服であれば何でもいいらしい。

制服と同じく学校指定のジャージの子もいるが、ほとんどの子は中学の時のジャージを履いていて、統一感は無いけどカラフルで賑やかに見える。

……みんな楽しそうだ。

俺も見てるだけなら気楽でいいのだが……隣に座っている女子が気になって落ち着かない。

まさか俺の他にも見学者がいるとは。

「えっと、すみれちゃんは体調悪いの?」

「……」

無視かよ!

どういう事情があるのか知らないが、かなり嫌われているのではなかろうか?

情報を寄越さなかった葵には、帰ってから説教してやらねばならん。

俺はシスコンどころか、スパルタ兄貴だからな。

それはともかくとして。

「バレーは好き?」

気まずいのでめげずに話し掛ける。

「……」

やはり返事は無いが、横目でうかがうと、また長い髪を掻き上げて耳を出している。

何だか話を聞こうとする素振りに見えなくもない。

……それにしても、綺麗な横顔だなぁ。

ただ座っているだけでも上品に見えるし、どこのお嬢様かと思ってしまう。

ただ、お嬢様なら成績が悪かったとしても、どこか私立の高校に入るだろうから、貧乏でも家庭の教育が厳しいのかも知れない。

目が合った。

睨まれる。

が、やはり冷淡な感じは無く、めっちゃ綺麗なのに恨みがましいような表情が可愛らしい。

お人形さんのような造型美と子供っぽい可愛らしさが同居していて、睨まれているのに目が離せない。

うーん、困った。

「菫ちゃん、調子はどう?」

あかねが駆け寄ってきて、菫ちゃんに話し掛ける。

ちっこいくせにアタッカーとして活躍していたが、二人が黙って睨み合っているものだから見かねて来てくれたのかも知れない。

「……べつに」

あれ? 茜とも仲が悪いのだろうか?

菫ちゃんの態度はひどく素っ気ない。

「毎月、生理が重いと大変だよねー」

「ちょ、何で言うのよ!」

うん、確かにデリカシーに欠けるな。

「えー、女の子しかいないんだからいいじゃない」

まあ、それもそうだけど。

「だって日向がいるでしょう!」

うん、確かに女装しているとはいえ俺がいるし──って、え?

また目が合う。

でもさっきとは違って、菫ちゃんは逃げるようにその視線を逸らす。

どういうことだ?

一時間目の授業中も日向と言われた気がしたが、今度は間違いなくそう言った。

菫ちゃんは俺を知ってる?

というか、変装がバレてる?

俺は答を乞うように茜を見上げた。

いつも見下ろされる立場のちっこい茜は、見上げてもらえることが嬉しいのか、偉そうに腰に手をやってニヤリと笑う。

……なんかムカつくな。

「この子、神前かんざき菫よ?」

ドヤ顔で言われても、イラッとするだけだが。

だいたい、男子から女みたいとバカにされ続けてきた俺は、子供の頃から女友達の方が多いのだ。

性の目覚めも遅く、女子を女性として意識し出したのも中学の半ばくらいだし、可愛いとか美人とかもあまり意識してこなかった。

だから、目の前の美少女が幼い頃の友達だったとしても、当時の記憶と今の印象はなかなか結び付かない。

……いや、待てよ、確かに既視きし感はある。

容姿に無頓着むとんちゃくだった子供の頃にも綺麗だと思った記憶、恨みがましいような視線……。

あと少し、もっと外見とは別の要素を──

「クソ日向は私のこと憶えてないんだ……」

クソ日向? それだ!

自分の名前にクソを付けられて思い出すというのもどうかと思うが、俺をそんな風に呼ぶヤツは過去に一人しかいない。

お嬢様なのに口が悪くて、我儘で泣き虫で、そのくせ、何故かいつも一緒にいた──

「スミちゃん?」

不意に、その名が口から出た。

菫ちゃんがヘンな顔になる。

いや、可愛いのだが、口許をモゴモゴさせながらキッと睨んでくる。

緩みそうになる口と目を、意思の力で抑えつけているような……。

「な、馴れ馴れしく呼ばれると虫酸むしずが走るわね」

顔を見られたくないのか、反対方向に向かって言う。

「えっと、すぐに気付かなくてごめん」

「べ、別にクソ日向に憶えられてても鳥肌はなはだしいし」

相変わらず甚だしく口が悪いな。

つーかどこに向かってしゃべってるんだお前は。

「六年ぶりくらいだよな?」

いちばん仲良くしていたのは、小四から小五にかけてだろうか。

何故か六年生になってから疎遠になって、中学は校区が違って離れてしまった。

「……私は、何度か目が汚されたけど」

「普通に見掛けたって言えよ!」

でもそっか……時間帯は違えど同じ学校だったんだから、擦れ違ったことくらいあるのだろう。

「だったら声を掛けてくれたらよかったのに」

「……」

また恨みがましい目をされた。

「えーっと、そういやスミちゃんは、いかにも男って感じの男らしい男は苦手って言ってたよな」

「……今でも……そうだけど」

確かにコイツは品が良くて、ガサツとか乱暴とか汗とか根性とかは敬遠しそうだ。

口だけは悪いけど。

「まあこの数年で、俺は随分と男らしくなってしまったから、声は掛けづらかったかもな」

「どこがよ!? 今でもめ女々しいでしょ!」

めが一つ多いけど。

「いや、あの頃は自分のことを僕って言ってただろ?」

「え、ええ」

「今は俺って言ってるしさ」

「………………」

沈黙長げぇ……。

「いや、これでも頑張ったんだけどなぁ」

スミちゃんが、初めてクスッと笑った。

そりゃ、男らしくなるために頑張った男が女装してたら笑えるよな。

「ていうか、何で俺だって判った?」

「アオちゃ──葵から事前に聞いてたからよ」

葵のヤツ、随分と悪戯心を発揮してくれるじゃねーか!

「茜は、このことは?」

「え? 知ってたけど?」

コイツら……。

「まさか他にも知ってるヤツがいるんじゃないだろうな?」

「私達以外はいないって。私は協力者として、菫ちゃんは……傍観者として?」

「なんでよ!?」

「だって菫ちゃん、学校で浮いてるじゃん」

クラスどころか学校で浮いてるのか。

まあ二クラスしかないし、こんな、いかにもなお嬢様だしなぁ。

「葵とだって普段は仲が悪いし?」

「わ、悪くはない……はず、だけど……」

「え? 昔はアオちゃんスミちゃんって呼び合って、めっちゃ仲良かっただろ?」

「そんなの……ずっと昔の話でしょ……」

疎遠になりだしたのは小六の頃。

その頃に、葵とスミちゃんの間に何かあったのだろうか。

それとも、高校で再会してから喧嘩でもしたのか。

何にせよ、兄として解決せねばなるまい。

葵に落ち度があるならキチンと教育し、葵に問題が無いならスミちゃんを説得しよう。

ふっふっふっ、葵の出席日数のために女装までしてきたが、兄として更なる使命があったようだ。

「あ、シスコンの目だ」

「曇りなきシスコンの目ね」

「シスコンちゃうわ!」

何かと誤解があるようだが、この二人のお陰で、定時制高校でも上手くやっていけるような気がした。

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