第4話

一時間目が終わったので、あかねと隣の教室に向かう。

茜は空き教室と言ったが、俺にとっては三年三組の教室だ。

ただ、日はだいぶ傾いているし、教室に明かりも点いていないから、俺の知っている場所とは違う雰囲気に包まれていた。

学校は高台にあるので、窓の向こうには街並みが広がり、その向こうには少し染まり出した空が続いている。

茜と、窓際に立つ。

昼間のような喧騒けんそうは無く、息遣いが聞こえてきそうな、そんな距離。

まるで、誰もいない放課後の逢瀬おうせのようで、これがもし男女ならちょっとロマンチックな気分になるところだ。

いや、男女なんだけど。

「ところで、何か話が──きゃあ!」

一瞬、何が起きたのか判らなかった。

なんせ俺にとって生まれて初めての経験であり、スカートというものの心許こころもとなさを知らしめる経験でもあった。

茜は、俺のスカートを思いっきりまくっていた。

「ちょ、離して!」

捲ったというより、もはや持ち上げているといった状態で、茜はスカートの中を覗き込んでいる。

いや、もはやスカートの中に頭を突っ込んでいると言っていい。

「やめてよ! 変態!」

俺はホントに女の子の気持ちになって訴えていた。

咄嗟とっさに女の子の反応が出来たのは合格」

「へ?」

「それは凄いことだよ? 普通なら、うわっ、とか、やめろよ、とか言っちゃうだろうし」

え? なに? どういうこと?

「でも、パンストの下がトランクスとはどういうことだコラ!」

は? でもだって、いや、バレた?

……落ち着け俺、まだなんとでも言い逃れ出来るはず

「むむむ蒸れるから!」

全然落ち着けて無かった……。

「蒸れるなら何でパンスト履いてんだオラ! 言ってみろオラ!」

茜さんは、ひどくオラついていらっしゃる。

いや、そんなことより、どうやってこの場を切り抜けるか。

ブラだけは、さすがに着けないとマズイと思ってあおいから借りた。

恥ずかしいしサイズ的に縛られるほど窮屈だけど、そのくらいは我慢出来る。

でも、パンツとなると……。

「ま、間違って全部洗濯しちゃ──」

「だったら脱いでみてよ」

「ぬ、脱げるわけないじゃない」

「私も脱ぐからさぁ」

え?

俺が脱いだら、茜も脱いでくれるのか?

それって……見せ合いっこ?

いやいやいや、見せてもらうから見せるとかそういう問題じゃない。

俺は葵として、葵であることを守り通さなければならないのだ。

趣味や遊びでこんなことをしているわけでないし、ましてやエロ目的なんてあってはならない。

俺は、本当は学校に行きたがっているであろう葵の顔を思い浮かべる。

あいつは、今この瞬間も、友達に会いたいと思い、同時に兄である俺を心配しているんだ。

「無理。ていうか脱ぐ必要なんて無い」

あ、葵の声が出た。

俺は自分の声に、葵が重なるのを自覚する。

毅然きぜんとした態度を取れば、自然と葵のような言い方になる。

そのくらい葵は、曲がったことが嫌いなんだ。

実際、俺が女装して学校に行くことだって、最後まで反対した。

葵はズルだと言うし、世間一般的にもズルには違いないけれど……でも、これは俺にとって正義なのだ。

「ふーん、でもさぁ、葵がいくらブラコンだからって、さすがに兄貴のパンツは履かないと思うんだよね」

え? 葵ってブラコンだったの?

いや、そりゃ、仲は悪くないと思うけど、俺って厳しい兄だよ?

日向ひなた君の方も、いくらシスコンとはいえ葵のパンツは履かんでしょ」

「べ、べつにブラコンとかシスコンとかじゃないし!」

「でも、葵のパンツを履いてないのは、やっぱ抵抗あるからっしょ?」

「抵抗っていうか、借りるのも履くのも恥ずかしいし……って、あれ?」

「ゲロったわね」

し、しまったぁ!

茜は中学の時から成績は悪かったしアホな子だと思っていたけど、アホは俺の方だった……。

はなっから疑っていたようだから、もはや誤魔化しは効かない。

病弱な葵のために、葵が留年せずにみんなと一緒に卒業できるようにと考えてやったことは、たった一日で終わってしまった。

俺はヘナヘナと近くの席に腰を下ろし、ガックリと項垂うなだれた。

葵、スマン。

俺は兄としての正義を貫けなかった。

後はこのことを誰にも言わないように、茜に頼むことくらいしか残されていない。

「ちょ、そんな気落ちしないでよ。私は葵から聞いて最初から知ってたんだし」

知ってても知らなくてもバレてしまえば同じ──へ?

「知ってた!?」

「うん。だってほら、絶対にサポートする人が必要でしょ? いくら外見は騙せたとしても、仕草や話し方、態度まで完璧に模倣もほうできるわけないし」

「何故!?」

「何故? そりゃあ葵だって兄が心配だから、私に頼むのがいいと思ったんじゃ──」

「そうじゃなくて、さっきまでの俺を試すような言動の意味は!?」

「……面白いから? えへ」

「葵は何で言ってくれなかったんだ……」

「私が黙っててって言ったからじゃないかなぁ」

こ、コイツ!

「脱げ」

「は?」

「お前を脱がして俺も脱ぐ!」

「ちょ、お前を殺して俺も死ぬみたいなこと言われても!?」

「お前がさっき自分で言ったんだろうが! 脱いだら脱ぐって!」

「冗談に決まってるでしょ!? 何で脱がなきゃ──」

「俺が味わった絶望感の代償だろうが!」

まるで、魂の叫びみたいな声が出た。

「……まあ、確かに悪ふざけが過ぎたかなぁとは思うけど」

茜は反省しているのか、申し訳なさそうに目を伏せる。

ちょっと派手にはなったけど、昔と変わらずいいヤツなんだと気付かせてくれる。

「いや、俺の方も冗談だ。実際サポートしてくれるのは助か──」

「これでチャラにしてね」

なっ!?

……なんてことだ。

さっき味わったばかりの絶望感は霧散し、心地よいたかぶりと癒しが訪れた。

……脱いではいない。

ただでさえ短いそのスカートを、茜は少し持ち上げただけだ。

そして、それによって見えたものは、以前の茜のイメージ通りの可愛らしいもので、俺は安心──くそ、ドキドキしかせんわっ!

でも、茜がサポートしてくれるのは本当に心強いことだ。

イタズラ好きのバカだけど、優しくて、葵と仲良くしてくれる。

兄としては感謝せずにはいられない。

「ありがとう」

「エヘ、パンツをを見せてお礼言われるのもヘンな感じだね」

「パンツでお礼言ったんじゃねーよ!」

……ホントにコイツを心強く思っていいのだろうか。

優しくて葵と仲良しだけどバカなのだ。

俺は少しだけ不安になった。

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