第3話

まだ外は明るいが、蛍光灯の存在をいつもより少し意識する。

教師が黒板に文字を連ねていき、生徒はそれをノートに写す。

意外と真面目というか、多少は私語もあるけど進行に差しつかえるほどのことは無い。

教師が生徒に問いかけ、ヤッさんがそれにギャグで答える。

全日制でもよく見かける光景だが、生徒の数は二十人に満たず、教室に響く笑い声はささやかだ。

……そうか、俺の妹は、毎日この風景の中で過ごしているんだな。

俺はそっと教室を見渡して、それでもやっぱり全日制とは違う風景に見入る。

空席が目立つ、やや寂しい教室の中で、私服姿の、中には作業服のままの生徒達が授業を受けている。

そんな彼らが真っ直ぐ黒板に目を向けている様は、どこかかれるものがあった。

働きながら学ぶということを象徴するような、どこか尊い姿にも思えた。


俺自身は、バイトすらしたことも無い。

だからよく判らないけれど、仕事と、それに付随する上下関係や責任感の重さといったものは学校の比ではないだろう。

そういったストレスや疲労を抱えているせいか、寝ている生徒も二、三人いる。

でも、それに気付いているはずの教師も起こす様子は全く無い。

朝から働いていたのだから、その辺は大目に見ようということなのだろうし、眠っている背中もそっとしておいてあげたくなるような疲れが滲んでいた。

俺も朝から授業を受け、夕方から更に授業を受けているわけでウンザリするけれど、まだまだ元気は残っている。

今のところ緊張感もあるから眠くは無いし、普段の葵の行動に沿うならば、決して寝るべきではない。


いや、それよりも……さっきから隣の席の子がめっちゃ睨んでくるのが気になって仕方ないのだが。

……何だろう、っていうか、誰だろう?

人目を引くほど綺麗な顔立ちなのに、あおいから聞いた情報に該当者がいない。

数少ない制服女子で、あかねとは違って上品に着こなしている。

ちょっと場違いなところに来てしまったお嬢様、といった感じだ。

そのくせ、睨む視線はお嬢様にありがちな冷淡なものではなく、どこか子供っぽい恨みがましさみたいなものがあって、怖いと言うより可愛らしさが勝っている。

だが、そもそも葵の情報によれば、隣の席は空席の筈なのだが?

ちなみに後ろの席に座る男性は、二十歳で昼間は自動車整備工場で働いており、寡黙かもくでありながら気配りが出来て誠実な人、という情報をもらっている。

まあ基本的に席は自由らしいから、授業によっては席を変える人もいるらしいが、それにしたってこんな美少女の情報が無いのはおかしい。


「ねえ」

俺は茜の背中をシャーペンでつついた。

コイツなら、俺、というか葵が睨まれる理由を知っているかも知れない。

心なしか、隣からの圧が高まったような気もするが。

「なぁに?」

うん、コイツは見かけは派手になったが、愛嬌のある暢気のんきな顔立ちは変わらんな。

「あのさ、隣の……」

と言いかけて、俺は思いとどまる。

もしかすると、葵自身が睨まれる理由を知らないのはおかしい、という可能性に気付いたからだ。

実は普段から仲が悪くて、これが日常だったり、あるいは俺の知らない定時制のルールなんてものがあるかも知れない。

不用意に訊いて茜に疑念を抱かれても困る。

「隣の、何よ?」

さて、なんと誤魔化すべきか。

「隣の……」

「隣の?」

「隣の客はよく柿食う客──っつ!」

手の甲にシャーペンを刺してきた。

くそ、小動物のくせになんて凶暴なヤツなんだ。

「隣のなに?」

なっ、コイツ、まだ追及する気か!?

「と、隣の芝生は──っつ!」

二度も刺した!

「隣の何だ? 今度は爪の間に刺すよ?」

しかも追及の手を緩めない。

「その、な、汝、隣人を愛せよ?」

「まあ、それは一理ある」

あるのかよ!?

ていうかこの答はいいんだ?

すみれちゃんは不器用だからねー」

菫ちゃん?

茜が俺の隣に視線を向けたので、その美少女が菫ちゃんという名前だと判る。

やはり葵から聞いた情報に、菫という名前は無い。

うっかりなのか、意図的なのか。

「菫、おはようって、いつもみたいに挨拶しなかったでしょ?」

あ、そういうことか。

隣の席なのに挨拶しないっておかしいよな。

それでこの子は怒っちゃったんだ。

「菫、ごめんね、今さらだけどおはよう」

授業中だから声をひそめながらだけど、そのぶん柔らかな笑顔を浮かべて言った。

……あれ?

どういうわけか茜は机にして、笑いをこらえるように小刻みに身体を震わせている。

菫ちゃんは菫ちゃんで、顔を真っ赤にしてワナワナと身体を震わせている。

……余計に怒らせてしまったのでは?

ていうか、二人とも震えているんだが?

片や机に突っ伏し、片や顔真っ赤。

……なんかエロい?

見ようによっては、ローターを仕込まれていて快感に耐えているように見えなくもない。

もしやモーター音が聞こえるのではないかと、思わず耳を澄ませてしまったくらいだ。

いかん、エロ動画の見過ぎかも知れん。

「……バカ日向ひなた

そんな呟きが隣から聞こえたような気がした。

うん、確かにバカな妄想だ、って、え? 日向?

気のせいだよな?

俺は菫ちゃんに視線を向けるが、プイっと顔をらされた。

長い髪の間から覗く可愛らしい耳が、それでも俺の反応をうかがっているように見えたけど、恐らく考えすぎだろう。

「こら、そこの美少女三人組、ちゃんと黒板を見ろ」

ヤッさんがおどけた調子で言う。

教室に小さな笑いが起こるが……三人?

もちろん葵は美少女だ。

隣の菫ちゃんは断然美少女と言っていい。

あと一人は誰だ?

俺はいぶかしげな顔をして茜を見た。

「っつ!」

またシャーペンで手の甲を刺しやがった。

小動物は小動物でも、コイツはハリネズミだ。

もうすぐ授業が終わる。

菫ちゃんのことも気になるが、休み時間にはこのハリネズミの対応をせねばならんの……か。

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