第7話 選ぶなら

筆者は、無理に安楽死や自殺を選ぶ必要などないと考えております。

神経難病の大多数は、平均寿命ぐらいまで生きる。

もがき苦しむのなら、工夫次第で、自力行動を保てないものかと考えております。

機械で良いです。

何も、自分の手足で動き続ける必要もありません。

どっちにしても、人間は死ぬまでしか生きられません。

しかも、1回こっきりの人生です。

なら、自分で縮めるなんて、面白くありません。

神経難病は、たしかに厄介です。

今まで出来ていたことができなくなります。

もちろん、とてつもなくショックだと思います。

とてつもなく悲しいと思います。

そこで悩んで悲しんで、哭きながら死を選ぶ人も、理解はできますし、否定もしません。

ダメ出しもしませんが、筆者は選びません。

筆者は、悩むほど頭は良くありません。

死の恐怖に打ち勝って、安楽死や自殺を選ぶほどの根性も勇気もありません。

スイスの警察を納得させるほどの語学力はありません。

筆者は、すでに下半身不随です。

従いまして、飛び降り自殺できる場所には、行くことが、出来ません。

頸動脈を切れるほどの深さまで刃物を突き刺す力が残ってません。

自殺は、選びたくても、もう不可能な身体になってしまいました。

それでも、まだ介護ベッドと車椅子の往復は、電動リフトを使って単独で、やっております。

レトルト食品やインスタントの袋ラーメンやスクランブルエッグ程度なら、自分で作って食べたりしております。

認知症の母親の朝食のロールパンに包丁で切れ目を入れて、スクランブルエッグを挟んで食べさせております。

排尿は、電動吸い取り尿器を使って単独でできております。

排便は、コントロールができませんので、訪問看護師さんにお願いしております。

今は、ベッド上で横になったままでも、排便できる方法があります。

電動車椅子で、自室とLDKをうろちょろできております。

外出に関しては、単独では、危険ですので、必ずヘルパーさんとになってしまいました。

それでも、まだかなりの自由気ままは、できていると思います。

もちろん、生活のほとんどがベッドの上です。

孫の顔を見ることもできました。

思い残すことはなくなりました。

それでも、安楽死や自殺を選ぶより、自然死を選ぶ方が良いと思っております。

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安楽死に走る難病患者 近衛源二郎 @Tanukioyaji

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