第5話 だからといって
たしかに、神経難病患者が生きる環境は整っているとはとてもじゃありませんが、言えません。
どころではなく、神経難病患者が生きていく環境は、ないに等しいぐらいありません。
主治医とかかりつけ医と訪問看護介護等が、よほど綿密に患者の情報を共有して、チーム医療が機能しない限り、患者は苦しいだけの余生になってしまいます。
患者も、受身だけでは、できるわけありません。
自分自身のことですから、患者本人のモチベーションが上がらないと、どうしようもありません。
闘病という言葉がありますが、ほとんどの病気では、病気と闘うのは、医師と看護師と、患者を看病する家族です。
患者本人は、安静にしているだけです。
神経難病だけは、患者が生きる気力を無くさない。
動き続ける気持ちを持ち続けることが、何より大切になります。
しかし、無理解な方々による心ない言葉によって神経難病患者のモチベーションが消失してしまいます。
『私達だって、今日の帰り道で事故に合って・・・』
等、確率としてはかなり低い可能性のことを言われる方がおられます。
健常者が、事故や災害で死に直面する可能性や寝たきりになる可能性は、コンマ数%のことです。
神経難病患者は、近い将来確実に、確率的には100%で寝たきりに向かっているのです。
そうならないようにもがき苦しんでいるだけの人生を送っている人達には、私達だってと言われても、何の慰めにもならないのです。
そんなことすらわからない方々に、介助介護看護されても、モチベーションが上がるようなケアは望めません。
しかし、そんなほぼ完璧に近いチーム医療でケアを受けられる神経難病患者は、そう多くありません。
だからといって、自殺や安楽死する理由には、ちょっと弱気過ぎと思う筆者なのです。
誰しもが、そんなに強い精神力を持っているわけではありませんよね。
それでも、人間は、生まれた限り、死ぬ覚悟をすることって生半可なことではありませんよね。
事故死や災害死は、覚悟もへったくれもなく、命を奪われます。
戦争による戦死や被害者も奪われる命です。
病死は、近づく死に対して、その恐怖にもがき苦しんで、のたうちまわって、南無阿弥陀佛を何回何千回と唱える時間が必要になります。
それでも、最後にもう一頑張りして、力尽きるんです。
それほど恐怖に恐れおののいても、あの世とやらに行って、帰ってらっしゃる方には、それほどお会いしませんよね。
本当に頑張って頑張って、亡くなられた皆さんは、すぐに楽な世界に行かれるのでしょうか。
お会いする方々は、道に迷っておられる方々です。
何かの原因で寿命がくる前に亡くなられたので、まだ道しるべができてないものと思われます。
なんだか宗教じみてしまいました。
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