第2話 たしかに悲しいのですが
神経難病は、たしかに悲しい病気です。
各種ガン等は、現在ではかなりの高確率で治る病気になりました。
テレビ等のニュースでも、ガンで亡くなる著名人が、めっきり減りましたね。
しっかり自己管理ができていれば、早期発見できて治せる病気になったということでしょう。
それに対して、神経難病は治せる方法がありません。
原因すらわかっておりません。
進行を遅らせると言っても、個人差が激しいです。
ましてや、個人によって進行速度が著しく異なる神経難病では、症状にあわせた対処すら難しく専門医ですらわかりにくいのです。
したがって、よほどよく患者を観察している専門家と専門医の連携が必要になる。
ところが、福祉の制度の問題で、よほどしっかりとしたプランを組まないと、ケアが中途半端になってしまいます。
ところが、実際にはケアマネージャーと呼ばれる、介護保険の担当者がプランを組むのですが、ケアマネージャーが病気をわかっていない。
当たり前です。
ケアマネージャーは、高齢者用の介護保険のプランニング担当者なのです。
せめて障害者の福祉担当者がプランニングしていれば、もう少しマシなケアができて、頑張れる方々が増えると思うのですが。
国の制度と市区町村の制度が入り組んで、ややこしくなってしまって、役所の窓口担当者ですら、わかっていないことがありました。
神経難病患者の多くは、なんらかの障害を持ちます。
寝たきりで、手足の指すら自由にならない。
もちろん、左右に首を向けるなんて不可能です。
動かせるのは眼球だけになるのです。
専門家ですらわかりにくい病気ですので、家族親族には、わかるはずがありません。
神経難病患者の悲しさは、ここにあります。
いろいろなことが、徐々に出来なくなって行きますが、家族はいつまでも、これぐらいはやってもらわないとという感覚でいます。
にもかかわらず、外出等では、同行させてもらえないのです。
車椅子では、入れない店や入れない施設が多いから、しかも、トイレの問題もあります。
連れて回るには、リスクが多過ぎるのです。
介護介助の素人では、同行できないのです。
住宅はバリアフリーが浸透してきました。
しかし、道路や公共施設は、バリアだらけです。
患者は、孤軍奮闘になります。
家族がいるにもかかわらず、孤独になるのです。
家族だって、いっしょに外出したいのですが、できないのです。
神経難病の悲しさは、ここにあります。
身体は自由にならない。
助けを呼びたくても、家族は興味がないか、ひどい場合は、声が出せなくなっているため、呼べなくなってしまいます。
呼吸困難になっても、助けを呼ぶことすら出来なくなってしまいます。
家族と同居していながらに孤独死するかもしれません。
その可能性がある患者さんが自殺や安楽死を選んでも、筆者には責められません。
筆者は、球脊髄性筋萎縮症という比較的重症になる神経難病の患者ですが。
幸いにも、看護師さんとリハビリのセラピストさんとお医者様、病院と在宅医療の連携を上手く取っていただけましたので、病気発症から、長生きできております。
つまり、在宅のかかりつけ医と訪問看護師と訪問リハビリセラピストと訪問薬剤師までいてくれます。
もちろん、ヘルパーさんも外出支援員も入ってくれています。
かかりつけ病院には、神経難病の専門医と神経難病病棟という専門看護施設とリハビリセラピストが、勤務して下さっていて、チーム医療が上手く機能した結果の長生きです。
当エッセイ執筆時の令和2年1月には、めでたく難病発症21年を迎えました。
上手くすれば、男性の平均寿命まではいけるのではと、無謀な期待を持ち始めております。
普通、高齢者介護では、担当者会議と呼ばれる集まりをケアマネージャーが主催しますが、多くても、数人の集まりになりますが、筆者の担当者会議は、最低でも10人を越えます。
多い時は、かかりつけ病院の会議室を借りて、20人以上が集まりました。
それだけの人数の専門家が、身の回りにいたということが、最大の幸運だったのでしょう。
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