先輩の受験
自分のことのように、そわそわと待っていた浅葱。受験会場の大学……多真美術大学の前。近くのカフェで午前中から過ごしていたのだけど、試験の終わる時間に校門前へ行った。そこで先輩が出てくるのを待っていたというわけだ。
知らないうちに自分の手を、ぎゅっと握っていた。壱樹先輩にもらった赤い手袋をしっかりして、だ。
だから浅葱の手はちっとも冷えるなんてことはなかった。ふわふわと優しいあたたかさに包まれている。
奥の校舎から壱樹先輩が出てくるところを見たときは、心臓が飛び出しそうになった。
先輩ならきっといい結果を出してくると信じていたけれど、直面するのは話が別だ。
どきどきと心臓が高鳴る。
心配そうな顔をしてしまっていたのだろう。壱樹先輩は浅葱を安心させるように笑みを浮かべてくれた。満面の笑みを、だ。
その表情はなによりはっきりと『納得のいく結果が出そうだ』と示していた。
大好きな壱樹先輩のそんな表情を見れば、安心しないわけがない。浅葱は心底ほっとした。
「うまくいったぞ。自信がある。もちろん、帰って自己採点するまでは安心できないし、実際に合格発表があるまでだって安心できないけどな」
壱樹先輩の言葉にも「良かったです!」と心から言うことができた。
受験をひとまずやり遂げた壱樹先輩。
浅葱の尊敬する部分が痛いほど伝わってきた。
部活だけではない。勉強だって、こつこつと積み上げてきたからこれほど自信のあることが言えるのだ。
それは部長を引退してからいきなり猛勉強をしたわけではないに決まっている。そんな付け焼き刃で多真美術大学に合格できるものか。
自分もここに通いたい。
ずっと思っていたことを、浅葱は噛みしめた。
実際に、会場の大学まで来たことでもっと強く思ったのだ。
二年後、今度は自分が大学受験をすることになる。
そのとき、今の壱樹先輩のように「自信がある」と言い切れるくらいに勉強をしなくては。
部活だって手を抜くつもりはない。なにしろ壱樹先輩が二年生リーダーに任命してくれたのだ。全力で頑張るつもりだ。
でも将来のため。壱樹先輩と同じ学校に通いたい。
それから、ランクの高い多真美術大学に入って、もっと専門的に美術を学びたい。
両方の気持ちがいっぱいにあった。
「合格発表があったらデートしような」
「はい! お祝いさせてください!」
優しい笑みを浮かべてくれた壱樹先輩。
デートができる。
そして壱樹先輩のお祝いができる。
二重に嬉しかった。
「まだ受かると決まったわけじゃないけどな」
「自信があるって言ったのは壱樹先輩じゃないですか」
浅葱の言葉に、二人は顔を見合わせた。同時に笑ってしまう。
その通りだけど、二人とも確信していたのだ。
きっとうまくいく、と。
ふと、風が吹いた。コートの上から浅葱の体を撫でていく。
それは二月の冷え込む日だったというのに、どこかほのかにあたたかかった。
まるでうまくいく、というのが本当のことだと示してくれているように。
「浅葱。ずっと言いたかったことがあるんだが」
ひとまず試験で疲れたであろう壱樹先輩に、休憩してもらおうと、カフェへ向かうことにした。
コーヒーでも飲んで、ちょっと甘いものでも食べよう。そう言い合っていたところだ。
そのときふいに壱樹先輩の声色が変わった。
「はい、なんですか?」
浅葱はなにげなく壱樹先輩のほうを見た。
そして知る。これはなにか、大切なことだ。
壱樹先輩が足を止める。
「浅葱も来年、多真美に来る気はないか」
……来年?
浅葱はきょとんとしてしまう。
来年、たまび、多真美術大学に入学するのは壱樹先輩だろう。
自分は当たり前のように、重色高校の二年生になるわけで。
来年、という意味がちっともわからない。
「どういうことですか?」
そのまま聞き返してしまった。
壱樹先輩は優しい顔をしていた。その目の奥はちょっと固かったけれど。理由がもっとわからなくなってしまう。
「ビケン、ってものが大学付属であるんだ」
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