ファーストキス

 今日のデートはあくまでもシンプルに、なので夕暮れには解散することになっていた。

 夕ご飯を食べるデートは年明け、少し遠出をするときにしようと蘇芳先輩が言ったのだ。

 高校生といっても、浅葱は一年生。まだ十六歳なのだ。

 だから蘇芳先輩は気づかってくれたのだと思う。多分、帰りは送っていってくれるのだろうけど、あまり遅くまで連れ回すのは悪い、と。

 同じ高校生なのに、子ども扱いされているようで浅葱はちょっと不満に思ってしまった。

 けれどそれは蘇芳先輩の優しさなのだ。すぐに「そんなことを考えちゃダメ」と自分に言い聞かせた。

 年齢以上に、浅葱は女の子なのだ。あまり遅くなるのは何才になったって危ないだろう。

 それを心配してくれているのだから。

 そんなわけで、ゲーセンのあとにもいくつかお店を見て回ってショッピングをしたあとは、ケーキを食べて「そろそろ帰ろうか」という話になった。

 ケーキは普通のカフェのケーキだったけれど、とてもおいしかった。

 蘇芳先輩が連れてきてくれたのだ。

 「母親がカフェ巡りが好きでさ、中学生くらいまではたまに連れて行かれたんだよ」というカフェ。

 木の壁や天井でできた店内はナチュラル感溢れる雰囲気で、クリスマスにぴったりだった。

 テーブルや椅子も、塗装もなくて素朴だけどそれが味わいになっている。

 そんなカフェで食べたいちごのショートケーキ。今までクリスマスに食べてきたケーキの中で、一番おいしかった、と浅葱は思った。

 もちろん、大切なひとがとなりにいてくれるからだ。

 家族とは違う意味で大切なひと。

 大切な存在になってくれて、また、浅葱のことも『大切な存在』にしてくれた蘇芳先輩。

 これからもっともっと、大切な存在として仲が深まっていけばいいな、と浅葱は甘いケーキを食べながら噛みしめた。

 ケーキのあとの帰り道。うっすらと暗くなりつつあった。

 冬も深まっている。

 マフラーをしてきたけれど夕方の風は冷たい。

 手だけは、蘇芳先輩がしっかり繋いでいてくれたから、ほこほことあたたかかったけれど。そのあたたかさが全身をあたためてくれるように感じられた。

「イルミネーションを見て帰ろうか」

 駅に向かううちに提案されて、浅葱は喜んで「はい! 見たいです!」とうなずいた。




 蘇芳先輩と二回見た、イルミネーション。駅前のもので、それほど豪華というわけではないのかもしれない。

 でも浅葱にとってはこれだってやはり、今まで生きてきた中で一番美しいものだった。

 赤と緑がメインで、きらきらと輝くイルミネーション。

 どうしてか、前回見たとき、蘇芳先輩に告白されたときだが、そのときとは違って見えるような気がした。

 どうしてだろう、と浅葱は思ったけれど、隣にいる蘇芳先輩の顔を見て、なんとなくわかるような気がしてしまった。

 蘇芳先輩は優しい表情をしていた。イルミネーションに視線を向けていたけれど、浅葱が先輩を見ていることを感じたのか、こちらを見てくれた。ふっと笑顔になる。

 その笑顔はあのときや、もっと前。青のライトアップを見たときとはまったく違っていて。

 浅葱がとても大切な存在だ。その目はそう言っていた。

 浅葱もつられたように笑ってしまう。きっと優しい笑いかたになっただろう。

 恋人同士になった。まだ一ヵ月くらいのお付き合いだけど、順調に進んでいるのだ。

 はっきりと感じられて、胸があたたかくなってしまう。

「きれいだな」

 蘇芳先輩が言った言葉はシンプルだったけれど、たくさんの気持ちが込められている声をしていて、きっと浅葱と同じように感じてくれているのだろうと、伝わってくる。

 浅葱は、蘇芳先輩に握ってもらっていた手に、力を入れた。自分からも、きゅっと握る。

「はい。とっても」

 しっかり手が触れあった。

 蘇芳先輩が手を動かして、するっと浅葱の小さな手の、指の間に自分の指を絡めてくれたからだ。

 かぁっと浅葱の顔がまた熱くなってしまう。

 こういう繋ぎ方。

 恋人繋ぎ、とか言ったと思う。

 普通に手を繋ぐより、もっとしっかり手がくっつく。

 てのひらまで合わさるのだ。

「言っただろ。こういうきれいなものを一緒に見てくれるひとになってほしい、って」

 蘇芳先輩は、浅葱の手とぴったり合わせてくれて、目を見つめて、言ってくれた。

 告白してくれたときに言ってくれた言葉。

 それを本当のことにしてくれるのだ。

 真面目で、誠実なひと。

 この優しいひとが自分の恋人、彼氏だなんて。

 浅葱の胸が熱くなる。感動とか、誇らしさとか、嬉しさとか、良い感情が次々に湧き上がってきて、溢れそうだ。

「だから俺はとても幸せなんだ。ありがとう。六谷」

「私こそですよ」

 その気持ちのままに、自然に言葉になっていた。

 浅葱の返事に、蘇芳先輩の目がゆるむ。

 愛しい、という気持ちがいっぱいになった瞳だ。

 ふいに蘇芳先輩が動いた。手が離される。

 あれ、と浅葱は思ったのだけど、その疑問は一瞬だった。

 蘇芳先輩の手は上に向かっていって、浅葱のほおに触れたのだから。

 ここまでしっかり触れ合わせていたのだ。蘇芳先輩の手はあたたかかった。

 心地いい。

 そう感じてしまって、けれどすぐに、はっとした。

 この状況。

 わからないはずがない。

 空気が告げていた。どこか甘いような空気が。

 かっと顔が熱くなる。どくんっと心臓も跳ねた。喉元まで跳ねたのではないかと思うほどだった。

 どくどくっとそのまま早い鼓動になる。

 けれど。

 ……なんだか自然だった。

 こうなることは当たり前のような、ずっと前から決まっていたような。そんな気持ちが浅葱の心の中に溢れた。

 だから。

 勇気を出して、そっと目を閉じた。どきんどきんと胸の鼓動が痛いほどだけど、なぜか確かな心地良さがあって。

 閉じた目の前。あたたかな感覚がやってきた。顔を近付けられた、と感じた次には、ふわっとくちびるに優しい感触が触れていた。

 ほんの、一瞬。

 触れるだけの軽いものだった。

 でもそれはまるであたたかな春風がくちびるを撫でていったような。

 とてもとてもあたたかく、優しい感触だった。

 あたたかな感触は数秒とどまったけれど、やがてそっと離れていった。

 そろそろと目を開けると、まだ数十センチの距離にいた蘇芳先輩と正面から目が合ってしまった。

 蘇芳先輩もどこか、緊張したような目をしている。

 でもその瞳はさっきとまったく同じ。

 浅葱が愛しいとはっきり表してくれていて。

 くすぐったさが浅葱の胸を襲った。

 今度は違う意味で、ばくばくと心臓の鼓動が速くなる。


 ……キス、しちゃった。


 じんわりと事実が迫ってきて、浅葱のほおをもっと熱くした。

 さすがにちょっと視線をそらしてしまった。顔が真っ赤だろうから。

 でも浅葱が「嫌だと思った」とか、蘇芳先輩はそんなこと、思わなかっただろう。

 そんな気持ちまでくちびるを通して伝わったようだった。

「……帰ろうか」

 言われて、浅葱は、そろっと顔を上げた。まだ顔は赤いだろうけれど。

 でも蘇芳先輩のほおだって、ほんのり赤かったのだ。

 それで浅葱は知る。

 多分、蘇芳先輩も初めて、だったのだ。

 そう言われたわけでもないのに察せてしまう。ふしぎなことだ。

「……はい」

 浅葱はちょっと努力してだけど、笑みを浮かべた。

 もう一度、蘇芳先輩に手を取られて、駅の中へ向かった。電車に乗るためだ。

 蘇芳先輩は浅葱を家の近くまで送っていってくれるらしい。当たり前のように同じホームへ二人で上がった。

 駅に入ってから、電車に乗っても、二人ともなにもしゃべらなかった。

 言葉は必要ない、という状況を、浅葱は初めて体験した。

 あたたかな空気が、二人の周りを包んでいるようだった。

 優しい気持ちは、あの一瞬の春風だったのだろう。

 手を握って乗る電車。窓の外は真っ暗だったけれど、その中にも街の明かりが見えた。

 すてきな一日の終わりだった。

 浅葱は蘇芳先輩の手のぬくもりを感じながらかみしめて、心から思った。

 このひとが恋人になって、本当に幸せだ、と。

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