初めてのクリスマス
クリスマスのデートはシンプルにすることになった。
やはり冬季賞の締め切り直前なのだ。できれば冬季賞に集中したい。蘇芳先輩は申し訳なさそうに「どうだろう、しっかりしたデートは締め切りが終わった年明けにするっていうのは」と浅葱に聞いてくれた。
聞いてくれた、のだ。
決して「こうするから」なんて無理やり押し付けたりしないのだ。
浅葱が「デートはクリスマス当日がいいです」と言えばそうしてくれたはず。優しい彼氏だから。
でも浅葱はそんなわがままを言うつもりはなかった。
わがままを言う彼女になりたくなかった以上に、自分も蘇芳先輩と同じ気持ちだったからだ。
大好きな蘇芳先輩と初めてのクリスマスなのだ。そりゃあ、デートはしたい。
けれど大切なのはクリスマスや恋だけではないから。
自分も蘇芳先輩も、どんなに冬季賞に向けて頑張ってきたか。その努力を極められるなら。そのほうがいいと思った。
デートはクリスマス当日でなくてもできる。
けれど冬季賞はリミットがあるのだ。だから、どちらを取るかと言われたら、浅葱の気持ちも『冬季賞』だった。
「かまいません。……むしろ、」
蘇芳先輩の言葉にそのままうなずいて、浅葱はちょっとためらった。
これを言うのは恥ずかしかったけれど、思い切って口に出す。
「デート、……してくれるん、ですか」
まるで期待していたように思われていたようで恥ずかしかったのだ。
けれど期待していて当たり前だとも思う。
だって恋人同士なのだから。クリスマスにデートをしないほうが不自然だろう。
浅葱のその言葉は「当たり前だろう」という言葉で肯定された。
「初めてのクリスマスなんだ。当日にしっかりできないのが申し訳ないくらいだよ」
「いえ! そんな、私も同じ気持ちですから」
蘇芳先輩の優しさが染み入ってくる。
蘇芳先輩としては高校生活、最後の賞への応募なのだ。浅葱より賞に対する気持ちは強いに決まっている。
そして浅葱もその度合いは違っても、冬季賞に対する気持ちは同じだから。
「年明けにゆっくりでいいかな。なにをしたいとかあったら言ってくれよ」
「はい!」
デートの約束だ。胸がはずんだ。
おまけに、浅葱に『したいこと』を聞いてくれて、つまり叶えてくれるつもりなのだ。
寒い中なのに胸が熱くなってしまう。
そんなわけで、本格的なデートは年明けということになって、それでもクリスマス当日は小さなデートをしてくれた。
小さなデート、とはいえ、浅葱にはとんでもなく大きな、大きな思い出になってしまったけれど。
「すみません、待たせちゃいましたか!?」
待ち合わせ場所の駅前。浅葱が駅を出ると、すでに蘇芳先輩はそこにいた。時計の塔の下。スマホを見ていたようだったけれど、浅葱にすぐに気付いてくれて、「こっちだ」と手を振ってくれた。
まさか遅刻だったのだろうか。時間を間違えていたのだろうか。
浅葱は不安になったけれど、それは違ったらしい。
「いや、俺が早く着きすぎたんだよ」
確かに時計を見上げると、浅葱の予定していた通り、待ち合わせの午後一時の十分前だった。遅刻どころか少し早めである。
だから蘇芳先輩の言葉は本当だろうけど。
「楽しみで気がはやっちまってな」
そう言った蘇芳先輩はちょっと照れくさそうだった。浅葱にもそれが伝染してしまう。
はにかんだ笑みを浮かべてしまった浅葱。蘇芳先輩も笑った。
照れたようなその笑みはなんだかかわいらしくて。
甘いような、ちょっと酸っぱいような、いちごを噛んだときのような感覚が胸に広がった。
「さ、行こうか」
蘇芳先輩が手を伸ばしてくれた。浅葱の胸にまた甘い気持ちが膨らんで、でも今度はとてもとても嬉しいものだった。
「はい!」
迷うことなく、蘇芳先輩の手を取る。今日もしっかりあたたかかった。
蘇芳先輩の手が好きだ、と思う。
自分の手を握って引いてくれるだけではない。
素敵な絵を生み出す、魔法のような手だ。
「どこへ行くんですか?」
歩き出しながら浅葱は尋ねる。蘇芳先輩は行き先が決まっている、という足取りだったので。
年明けのデートは少し遠出をしようということになっていた。
浅葱に聞いてくれた希望。浅葱はどう答えるかちょっと悩んだ。
あまり無理なお願いはしたくない。
でも特別なことはしたい。
よって、「おいしいケーキが食べたいです」とお願いした。クリスマスには少し遅いけれど、やはりケーキは欠かせないから。
ぼんやりしていたかもしれないけれど、かえってそれが良かったようだ。
「よし、じゃあ気合を入れていい店を探しておくよ」と蘇芳先輩は嬉しそうに笑ってくれたのだから。
このように、年明けのデートは浅葱の希望を言った。
なので今日のプチデートは蘇芳先輩にお任せだったのである。
「飲みたいものがあってさ」
蘇芳先輩は、ふふっと笑った。どこかいたずらっぽい笑みだった。
こういう顔をするとなんだか少年のように見える。浅葱はちょっとおかしいかもしれないことを思ってしまった。年上の男のひとに。
でもそういう顔も蘇芳先輩の一面なのだ。それを知れたことが嬉しいと思う。
「飲みたいもの? カフェですか?」
「んー、カフェといえばカフェかなぁ」
話しながら道を行く。
待ち合わせとデートをする場所に選んだのは、地球堂のある駅だ。
初めてデートのようなことをした、想い出の駅。
蘇芳先輩にそこを指定されたとき、浅葱はどきどきしてしまった。
あのときのこと。蘇芳先輩もなにか、ちょっとは特別なことだと思ってくれていたのだろうか。
そしてきっとそのとおりだった。
蘇芳先輩が「ここだ」と足を止めたところ。
そこは、あのとき前を通り過ぎたタピオカのお店だったのだから。
「ここ、うまいって言ってたろ」
浅葱はお店の前で目を白黒させてしまった。
確かにここは自分が通って、おいしいらしい、と言ったところだけど。
あのとき、話したのを、覚えていてくれたのだろうか?
かっと胸が熱くなったけれど、それしかなかった。
きっと顔も赤くなっただろう。そのとおりのことを蘇芳先輩に言われてしまった。
「顔が赤いぞ」
からかうような言葉に、もっと恥ずかしくなってしまう。そんなところをみられてしまったことに。
「か、からかわないで、ください……」
顔をうつむけたいのをなんとか我慢して浅葱は言った。
「はは、悪い悪い」
蘇芳先輩はまたからかうように笑ったけれど、直後、もっと浅葱の顔を熱くしてきた。
「かわいいなぁと思って」
かぁっと顔が熱くなった。
さっきまでの比ではなく、顔が熱い。ほてったようだ。
今度は「からかわないでください」も言えなかった。顔を真っ赤にして蘇芳先輩を見るしかない。
そんな浅葱を見て、蘇芳先輩はまた「悪い悪い」と笑って、「さ、並ぼうぜ」と浅葱をうながしてきた。
タピオカのお店はクリスマスということもあって、お客さんがそれなりに並んでいた。その最後尾に並ぶ。
並んでいるのは若い男女が大半だった。カップルらしきひとたちも多い。
ああ、あのときとは違う。
本当に『デート』なんだ。
思い知ってしまって、酔ったというのはこういう感覚なのかと思うほどに、頭の中が熱い。
デートははじまったばかりだったのに、すでに浅葱は恥ずかしさやら嬉しさやら照れやら……そういうものでくらくらとしてしまったのだった。
「おいしいですね。ホットのタピオカっていうのは初めて飲みました」
三十分ほどで順番がきて、タピオカをようやく手にすることができた。
手にしたタピオカはホットのものだった。あつあつで、ほこほこと湯気をあげている。
タピオカといえばコールドドリンク、というイメージがあったので浅葱はおどろいたのだけど、蘇芳先輩は「今の最先端はホットタピオカらしいぜ」と得意げに言ってきた。その様子はやはり、どこかむじゃきなのだった。
ホットのタピオカミルクティー。
浅葱が以前話した通り、このお店は日本茶のミルクティーを扱っている。
なににしようか迷ったのだけど、浅葱はシンプルに緑茶にしておいた。
ホットの緑茶のミルクティーに、もちもちのタピオカが沈んでいる。
緑茶とおもちを一緒に食べているようで、飲み物というよりスイーツのようだった。
お店の奥に簡単なイートインスペースがあって、小さな椅子とカウンターなんてものだったけれど、あったかなミルクティーがあるのだ。極上の空間だった。
それに隣にいるのが蘇芳先輩なのだから当たり前だろう。なにをしたって、どこにいたって楽しいに決まっている。
「俺もホットは初めてだけど、話によると冷たいのより、タピオカのもちもち感が増すんだってさ。それで今、流行ってるんだと」
「そうなんですね。確かにもちもちしていておもちみたいです」
何気ない会話をしながらミルクティーを飲める。なんという幸せなのだろうと浅葱は噛みしめてしまった。
蘇芳先輩が飲んでいるのはほうじ茶のミルクティーだった。中身がタピオカなのは同じだけど、色が薄茶なのでまったく違う飲み物のようだ。
その『まったく違う飲み物』。蘇芳先輩が、ふと浅葱に差し出した。
「ひとくち飲んでみるか?」
……えっ。
浅葱はきょとんとしてしまった。
ひとくち、とは。
やがてじわじわとその意味が染み込んできて、単純すぎることだが浅葱はまた顔を真っ赤にすることになる。
「えっ……、えっ」
言葉にならないことしか言えない。
そんな、……間接キスになること、なんて。
浅葱がそう思ったことなんてわかっているだろうに、いや、わかっていて言っているに決まっている。蘇芳先輩はやはり楽しそうに笑うのだった。
「いらないか?」
うながされて、浅葱は胸の中であわあわとしてしまう。
いるに決まっている、決まっているけれど……。
恥ずかしいよ!
胸の中で絶叫したけれど、こんなことを現実に言うわけにはいかない。がまんして飲み込んだ。
「い、いりっ、ますっ」
代わりに言った言葉。
ひっくり返ってしまって、また恥ずかしくなった。
こんなあからさまな。
まだ飲んでもいないというのに。
蘇芳先輩はくすくすと笑って、「じゃ、ひとくちどうぞ」と差し出してくれる。
その底がまぁるいカップを受け取って、両手で包んで、おそるおそる、ひとくち。
緊張しすぎてほうじ茶の味なんてわからなかった。
ただあったかくて、甘くて、それはまるでこの蘇芳先輩と過ごしている時間、そのままのようだったのだ。
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