次期部長
その日の部活は作業ではないと言われた。そういうつもりで来て欲しいと。それも全員参加を命じられた。
蘇芳先輩によって聞かされたとき、浅葱はすでに察していた。
きっと美術部の今後のことについてだ。
冬季賞の提出が終わったら世代交代をすると、蘇芳先輩は言った。
だけどすぐに「はいチェンジ」となるわけがないのだ。
次の部長になるひとや、役職に就くひとが心の準備をする時間は必要だろう。
それが、きっと。
「どきどきするね」
授業と掃除が終わって部活へ向かいながら、萌江と言い合った。
部長になるひとはわかっている。二年生の、いつも蘇芳先輩のサポートをしていた男子の先輩だろう。
副部長も現二年生だ。だから一年生の浅葱や萌江がなれるはずはない。
けれど少しは緊張してしまう要素があった。
二年生には『二年リーダー』という役職がある。名前のとおり、二年生の取りまとめと、それから一年生の面倒も多少は見る役目である。
そしてその役職は……二年後に三年生になるとき、部長になる可能性が高いというものなのであった。
自分が任命されるかはわからないけれど、仮にも一年生の中の一人である。可能性がなくはないのだった。
浅葱としては、なれたらいいな、という気持ちがほのかにあった。
蘇芳先輩の部長として、先輩としてとても尊敬できるところをずっと見てきたのだ。
自分も同じようになれたら、ともずっと思ってきた。
別に役職がなければそういうことができないわけではないけれど、役職があったら責任感も生まれるし、もっと頑張れると思うのだ。
だから、任命されたらどんなに嬉しいだろうかと思ってしまう。
そんな期待と緊張を抱えて臨んだ、特別な部活。
蘇芳先輩が部活を去ってしまうのは寂しいに決まっているけれど、それは同時に自分が一段階成長できるということなのだ。
だから寂しいとか嫌だとか言っている場合ではない。
前に進むのだ。尊敬している蘇芳先輩のように、なれるように。
「さて、みんななんとなくわかっているとは思うが、今日は次期部長や役職を発表する」
部員たちはそれぞれ美術室に並んでいる机についた。
蘇芳先輩が教壇について、みんなに話をする役目だ。隣には副部長の森屋先輩や、水野先生も控えている。
ごくり、と張り詰めた空気が美術室に広がった。けれど今のこれは嫌なものではなくて。
「まず、来年の部長。金澤 瑞章(かなざわ みずあき)」
呼ばれた名前は浅葱だけではなく、おそらくこの場の部員みんなが想像していたものだっただろう。
二年生の金澤先輩本人も予想していたはずだ。それほど動揺する様子は見せなかった。堂々と立ち上がる。
「頼んだぞ。お前ならきっといい部長になれる」
蘇芳先輩が彼に視線を向けた。優しい笑みを浮かべて。
その言葉は本心からに決まっている。浅葱もきっと金澤先輩ならいい部長になってくれると思っていた。
蘇芳先輩に比べれば、そりゃあ、一年後輩なのだからまだ未熟なところはあるかもしれない。
けれど蘇芳先輩のサポートに回る姿は一生懸命という言葉がよく似合う姿であったし、二年生リーダーとしてしっかり働いているのを春から見てきた。
だから金澤先輩が次期部長になるなら安心して活動できる。浅葱は確信した。
「未熟ですが、精一杯、務めさせていただきます!」
蘇芳先輩にまずおじぎをして、次に部員たちに向かってもおじぎをしてくれた。律儀なひとなのだ。
ぱちぱちと自然と拍手が起こった。きっと部員たちも浅葱と同じ気持ちなのだろう。
そこから次々と役職が発表されていった。副部長に会計、書記……。すべて現二年生だった。
どきどきとする気持ちが強くなっていく。
現一年生に役職のある子はいない。だから二年生リーダーだった金澤先輩のように『持ち上がり』といってもいいような立場がなく、まったく想像がつかなかったのだ。
まさか自分が任命されたら。
とても緊張するし、責任感はプレッシャーになるだろうけど。
できるならやってみたい。その気持ちは確かにあった。
そして浅葱の期待通りになってしまったのである。
「では最後に、二年リーダーだ」
ごく、と唾を飲んだ直後だった。蘇芳先輩が浅葱を見た。浅葱は当たり前のように教壇の蘇芳先輩を見ていたので、しっかりと目が合った。
え、まさか。
どくんっと心臓が高鳴った。痛いくらいに反応する。
ふっと目元を緩めて、蘇芳先輩は口を開く。
「六谷 浅葱。お前に任せる」
期待はしていた。
なりたいと思っていた。
けれど現実になるのはまったく意味が違う。
一瞬、ぼうっとしてしまった。さっきの金澤先輩のように堂々とすぐに立ちあがることもできずに。
でもすぐに、はっとした。
夢が叶った。
あたふたと立ち上がる。がたがたと椅子が鳴ってしまった。そのくらい動揺してしまったのだ。
「お前ならきっといいリーダーになれる。新二年生と、新しく入学してくる一年生の指導役になってくれ」
優しい目元で言ってくれた蘇芳先輩。もう一度、どくっと心臓が跳ねてしまった。そのままどきどきと熱い鼓動を刻む。
「は、はいっ! わ、私にできるかわかりませんが、精一杯やらせていただきます!」
浅葱の返事はひっくり返った。おじぎをするのも、一呼吸遅れてしまったくらいだ。
慌ててぺこりとおじぎをする。金澤先輩のように、まず蘇芳先輩に。それから美術室の中の部員たちに。
「大丈夫さ」
迎えてくれたのは蘇芳先輩のやさしさに溢れた笑みと言葉。それから部員のあたたかな拍手だった。
「さて、役職発表は以上。次は来年度の話を少ししようかな」
蘇芳先輩の、話題を切り替える言葉にちょっとざわついていた部内はまた静かになった。
とすっと椅子に元通り腰かけても、浅葱の心臓の速さはおさまらなかった。どきどきするのがとまらない。
これは蘇芳先輩に対して抱いている恋の気持ちとは違う意味の嬉しさと、また誇らしさだった。
二年生リーダーになれるのだ。
蘇芳先輩じきじきに任命してくれたのだ。
それはつまり、蘇芳先輩が浅葱なら二年生リーダーにふさわしいと思ってくれたことであって、それは今の浅葱にとって最上級の評価であって、そして光栄だった。
頑張らないと。蘇芳先輩のような立派なリーダーになれるように、頑張らないと。
浅葱は胸元をぎゅっと握った。熱い鼓動を刻む胸を、だ。
すぐに気持ちを切り替えたけれど。
きちんと蘇芳先輩の話を聞かなければ。来年度の話。しっかり聞いて、覚えて、来年になったら……いや、違う。
年が明けて実際に世代交代になったら、少しでもうまくできるように実行するのだ。
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