シークレットメッセージ
冬季賞の作品にも手をつけはじめた。
十二月が目前に迫っていて、下絵を描いて、下塗りをはじめる時期である。
浅葱の心はあれから晴れなかった。もちろん、ずっと落ち込んでいたわけはない。
すぐに気を取り直した。自分はただ、蘇芳先輩がそういうことをしていた、という様子を聞いてしまったに過ぎないのだ。
それを丸ごと信じて落ち込んでしまったり疑ったりするのは馬鹿げたことである。本当のことかもわからないのに。
本当にそういうものを買っていたとしても、お母さんや、親せき……いとことか……そういうひとにあげるものだったのかもしれないのではないか。
綾にも相談したけれど、「そっちの可能性のほうが強くない?」と言ってもらえた。それで浅葱の心がだいぶ持ち直したのもある。
だって、蘇芳先輩はあのライトアップを見に行ったときも、秋季賞直前の土日活動のときも、浅葱を特別だと、少なくとも少しは特別だと感じるようなことをしてくれたのだ。彼女がいるなら、そういうことをするだろうか。
浅葱は、そんなことはない、と思った。そんな、いるかもしれない彼女にも、それから浅葱にも不誠実なことをするひとじゃない。信じてる。そう自分に言い聞かせて。
でもまだ本当のことはわからないから。
たまに思い出して、胸はちくっと痛んでしまうのだった。
さて、冬季賞の作品。
浅葱は今度、赤をベースにした絵にしようと思っていた。
前回、青一色の絵を描いたからというのもあるし、なにしろ冬なのだ。暖色の絵のほうが、なんだか描いていて心もあたたまるような気がして。
なにを描こうか迷ったけれど、風景にすることにした。
最近読んだ、海外の小説の風景の描写がとても印象的だったのだ。
海外の家。テレビでもよく見る。ヨーロッパの街並みが、浅葱は好きだった。
実際に見たことなどない。けれどいつか見に行ってみたいと思っている。
それにヨーロッパ、イタリアやフランスは絵画の本場でもある。ぜひ一度行ってみたいものだ。
今は無理にしても、大学生になってバイトをするようになったら行けるかもしれない……と夢みていた。
そういう、風景。題材に選んだ。
下書きの時点から蘇芳先輩に何度も見てもらっていたけれど、それだけだった。
それだけ、というのは、特になにを言われることもなく、絵へのアドバイスや部活の話だけだった、ということだ。
浅葱はちょっと、ちょっとだけだけど。気持ちが急くのを感じていた。
気持ちを告げたい。あのとき、土日の活動の最後、二人きりになったときに言おうと思ったけれど飲み込んでしまった気持ち。
今なら状況にも気持ちに余裕もある。もう少しすると、冬季賞の作品作りに集中しなくてはいけなくなるし、それから蘇芳先輩の部活卒業も近付いてしまう。
けれどなかなか、今だ! というタイミングがなかった。
二人きりになるチャンスもなかったし、つまりそういう雰囲気ももってのほか。
思いついたのは、クリスマスだった。告白をするのにちょうどいいだろう。
ちょうどいいけれど、いきなり「クリスマス、一緒に過ごしませんか」なんてことは言えない。そんなあからさまで狙っているようなことは。
もんもんとしていたところだった。『それ』が浅葱の通学バッグに挟むように伏せて置かれていたのは。
部活の終わったときだった。
活動が終わって、浅葱は私物、通学バッグなどを置いてあるところへ行った。そこで『それ』に気付いた。
それは一枚の紙だった。
あれ、なんだろう。私、ここにバッグを置いたときになにか挟んじゃったのかな。
そのくらいに思って、その紙を取り上げてひっくり返して。
どきっと心臓が跳ねた。
そこに書いてあったことより先に、目に入った字。
字だけでわかる、と前に言われたことがある。
目に入った字は、それとまったく同じ。
……蘇芳先輩のものだと、浅葱にはすぐにわかった。
そこですでに浅葱はこれが、特別なものだと知ってしまった。
どくん、どくんと心臓が跳ねる。今度は良い意味で胸が騒ぐ。
書いてあった字、つまりメッセージを読んで、もっと鼓動は速くなってしまった。速くなりすぎて苦しくなってきたほどに。
『時間があったら、あの場所で待ってる』
書いてあったのはそれだけだった。小さなメモだったから。
あの場所、とは。
一瞬だけ考えてしまったけれど、すぐに思い当たった。
『あそこ』だろう。メモに添えられていた、絵。それを見ただけで伝わってきたのだ。
時間があったら。浅葱は高鳴る胸を抱えながら考えた。
このあと用事もない。
今日は金曜日。つまり翌日は休み。だから少し遅くなってもあまり影響はない。
お母さんには『部活が長引きそうだから、ちょっとだけ帰りが遅くなりそう』とメッセージアプリで連絡をしておけば、あまり怒られないだろうし。
ごくっとつばを飲んでしまった。
メモをそっと、手の中に入れる。紙に温度などあるはずがないのに、なぜかほんのりとあたたかいような錯覚が生まれて、浅葱の胸を熱くした。
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