秋季賞お疲れ様!

「よし、これは俺と水野先生で預かろう」

「みんな、頑張ったわね。お疲れ様」

 蘇芳先輩はそれぞれ提出された作品を一枚ずつ確かめて言った。横で水野先生もにこにことしていて、みんなをねぎらってくれた。

 蘇芳先輩と水野先生によって『終わり』を宣言されたことに、部室内の空気が一気にほどけるのを感じた。

 ざわざわと軽くざわめく。無事に終わって良かったね、とか、頑張ったね、とか、そういうもの。

「金曜日にはお疲れさん会をやろう。ジュースとお菓子でも用意して……食べたいものがあったら持ってきてもいいぞ」

 蘇芳先輩の言ってくれたことに、場はもっと、わぁっと盛り上がった。

 お疲れさん会。ジュースを飲んで、お菓子を食べて、自由に話すのがメインだろうが、楽しいに決まっている。

 一気に楽しみになった。無事に提出できた解放感もあって、心の中は晴れやかだった。

「じゃ、とりあえず今日は解散。明日は部活休みの日だな。木曜日に振り返りをしよう。それで金曜日にお疲れさん会だ」

「はい!」

 それで、まだ早い時間だったが解散ということになった。

 それまで使っていた道具を整理するのか奥へ行くひと、もうなにか別のものを描くのかスケッチブックやらを持ってくるひと、もしくは「今日は寄り道しよ!」などと連れ立って帰るひとたちもいる。

 浅葱はどうしようかと思った。

 蘇芳先輩と話がしたいと思ったけれど、先輩はこれからまだ部長としての仕事があるはずだ。

 すなわち、まとめて預かった作品たちを管理して、コンクールの……どこかわからないが、主催に送る手続きとか……そういうものがあるはず。運ぶのは業者などに頼むのかもしれないが、部長としてある程度はやることがあるに決まっている。

 だから、今はおじゃましないほうがいいかな。

 思って、浅葱はあたりを見回して、萌江が近くにいたので「一緒に帰る?」と声をかけようとしたのだけど、それより先に萌江が浅葱を見止めて、「ちょっと来て!」と言った。腕を引いてくる。

 え、なに、なに、と思った浅葱だったが、連れて行かれた先は、なんと蘇芳先輩のところだったのでおどろいてしまった。

「蘇芳先輩! あの、今回は本当にすみませんでした」

 「どした」とほほえんでくれた蘇芳先輩に、萌江は、ばっと頭を下げた。もちろん、締め切りに間に合わないなどいう事態にしてしまって、蘇芳先輩に大変な迷惑をかけてしまったことに決まっている。

「ああ……。でもちゃんと反省したんだろ。今回もなんとか形にできたし、次に生かせばいい」

 蘇芳先輩は、ちっとも怒ることなく、むしろ嬉しそうに笑った。その笑みには優しさがたっぷり溢れていて。

 厳しいことは言ったし、いさめるようなことも言ったけれど、蘇芳先輩は決して感情的に怒ったりはしないのだ。

 萌江は、蘇芳先輩のその笑みに、ほっとしたような顔をした。

「私、次はもっとちゃんとやってみせます。それで、あの」

 右手に持っていたものを前に出す。それはノートのようなものだった。小さめで、手帳のようにも見える。

 もしかして、これ。

 浅葱は思った。あのとき、一緒に帰りかけたとき。自分が言ったことからだろうか。

「こういうものを作ったんです! 浅葱に計画表を作ったらいいって教えてもらって……」

 そのとおり、萌江は、ちらっと浅葱を見て、ちょっとだけ笑った。

 萌江が取り出し、広げて見せたそれは、手作りのスケジュール帳だった。

 色ペンを使って、見やすく線が引いてある。十一月と十二月のカレンダーが手書きで作られていた。

「おお、すごいじゃないか。自分で作ったのか?」

 蘇芳先輩は目を丸くした。萌江が渡したそれを、しげしげと見つめる。萌江は嬉しそうに目を細めた。

 ここからまず一歩。そういう決意が溢れていた。

「はい! だから、冬季賞の締め切りがわかったら教えてください!」

 萌江の決意。蘇芳先輩にも伝わっただろう。蘇芳先輩も嬉しそうに、表情を崩した。

「わかった。今度は計画的に頑張ろうな。予定が狂いそうになったら言ってくれ。相談に乗るよ」

「ありがとうございます!」

 あたたかな空気が場に溢れる。浅葱は横で見ているだけだったが、自分もあたたかな気持ちになっていた。

 萌江が反省から『これからのこと』を考えて、形にしてきたこと。

 それはとても立派なことだと思う。

 見習いたい、と思った。

 浅葱はもともと計画的に課題を進めることはできた。今回の絵だってそうして完成させることができた。

 でもそれは、そうすること、計画的に物事を進めることが苦手でなかったからなのだ。それは得意不得意の問題である。

 浅葱にだって、欠点がまるでないわけではない。萌江の欠点が、この『計画的』というだけのことなのだ。

 それを克服しようとして、具体的に形にしてきた萌江を、浅葱は尊敬した。

「六谷もいつもこういうものを作ってるのか?」

 浅葱が教えた、と萌江が言ったからだろう。蘇芳先輩の視線が浅葱に向いた。

 ちょっとどきっとしてしまったが、誇らしくて。浅葱は「はい」と言った。

「予定をいつもスケジュール帳に書いてるんです。走り書きくらいなんですけど……」

 ちょっとくすぐったい。自分もついでにほめてもらっているようなものだ。

「いや、それはとてもえらいよ。先のことを考えるってのは難しい。そうだな、……進路とかも同じ、だな」

 進路。

 浅葱はそれがちょっと引っかかった。

 すぐに、はっとしたけれど。

 蘇芳先輩がこの美術部の部長でいる時間。実はもう少ないのだ。

 もう秋も真っ盛り。少しすればすぐに、萌江の言った冬季賞へ向けて活動することになる。

 冬季賞の提出は年末だけど、それが終わったら多分、蘇芳先輩は卒業へ向けて部を卒業してしまうのでは。

 いや、進路、と言った。

 当たり前のように、浅葱たち高校生にとっては大学や専門学校への進学、というのがメインだ。

 蘇芳先輩は……。

 浅葱はちょっと考えた。

 蘇芳先輩は……どの大学へ行く予定なのだろう?

 大事だったそのこと。初めて考えたような気がした。

 いや、一応聞いたことはある。美大を目指している、と、前に雑談の中で聞いたのだ。

 そのときは「美術部部長だし、自然だよなぁ」と思って、単に「すごいですね! がんばってください!」と言ったのだった。そのときの自分はまだのんきだった、と思う。

 蘇芳先輩がここからいなくなる時期。それがせまってきているのだ。

 急に、一瞬だけ心の中に、ひゅっと冷たい風がひとすじ抜けたように感じてしまった。

「蘇芳先輩は美大へ行かれるんでしたっけ」

 その間に、萌江が質問していた。蘇芳先輩はちょっと笑って手を振る。

「受験はするけど、入れるかはわからないよ」

「そうですけど! 先輩なら絶対受かりますよ」

 萌江は確信に満ちた声と顔で、力強く言った。浅葱もそう思うし、その通りのことを言って応援したかった。けれどなぜか、声が出てこなかったのだ。

「そうかな。ありがとう。がんばるな」

 ふっと笑って、蘇芳先輩は「じゃ、俺は水野先生と打ち合わせをしてくるな」と、言ってしまった。

 その後ろ姿を見送って、浅葱はちょっとだけ、作品を提出できた明るい気持ちにかげが差したのを感じてしまう。

 そうだ、秋が終わるというのはそういうことだ。今まで絵にかかりきりで、そんなことも思いつかなかった自分がうかつすぎたと感じてしまう。

 この時間はいつまでも続いていくものではないのに。

 おまけに。

「美大、かぁー。どこだろうな。多真美(たまび)とかかなぁ」

 萌江があげたのは『多真(たま)美術大学』。美大を目指す生徒なら、知らないはずはないどころか、憧れて当然のところである。

「そうかもね。でも蘇芳先輩なら絶対受かるでしょ」

 いろいろと考えてしまった浅葱だったが、そう言った。今、あれそれ思い悩んでも仕方がないからだ。これからゆっくり考えればいい。

 けれど、ひとつだけ。

「……尊敬する先輩のいるところ、なのかな」

 ぽつっと萌江が言ったこと。

 それがひとつだけ。気になってしまったことだった。

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