ライトアップを一緒に
けれど、数分して理解する。
蘇芳先輩は改札の場所を通り越して、逆側の出口へ向かっていったのだ。
逆側の出口。普段、学校に行くときは寄り道せずに学校側の出口へ出て登校するので、こちらの出口を使うことはあまりないのだった。
友達と遊ぶにしたって、最近は部活に熱を入れていたので、放課後はやっぱりまっすぐ帰るようになっていたし。
なので、知らなかった。
「……わぁ!」
歩道橋とバルコニーの合わさったような、高くてちょっとした広場のようになっている空間。
この出口から駅を出て、街中へ歩いていくひとたちは、ここから階段で降りて、学校のあるのとは逆側のエリア……そちらは商店街がある……へ向かうのだけど、駅からは割合大きな歩道橋があるのだ。夕方や休みの日だと、路上で歌っているひとがいたりするくらい。
そういう、ちょっと高い広場の向こう。
きらきらと、青い光がいっぱいに見えた。
「きれいですね!」
あまりに感動して、つい駆けていくところだった。子供っぽいと思って、それは思いとどまったけれど。
でも蘇芳先輩のほうが、先に立って歩いていった。広場のはしっこ、てすりのあるところへ行って、立ち止まる。浅葱もついていって、横に並んだ。
「……もうライトアップなんてはじまってたんですね……」
きらきらと輝く、青い光。暗くなりはじめた中では特にきれいに見えた。
今年は青がメインなのだろうか。
もう少ししたら冬の定番、クリスマスの赤と緑になるかもしれないけれど、まだそれには早いから別のライトアップをしているのかもしれない。
「ああ。俺も昨日気付いたんだけどな」
蘇芳先輩は背が高いので、てすりにひじが乗ってしまう。そこへペットボトルを持った手を乗せて、浅葱に「冷めないうちに飲むといい」と勧めてくれた。
このペットボトルの、もうひとつの意味。
知って、浅葱はまた違う意味で胸を熱くしてしまう。
このライトアップ。たまたま通りかかって「きれいだな、見ていこう」とするために来たのではないだろう。
きっとここが目的地。長い時間ではないだろうけれど、少し止まって眺めるくらい。そのくらいの時間を一緒に過ごそうと。
蘇芳先輩と、こうしてあったかい飲み物を見ながらライトアップを見られるなんて、夢のようだった。青いライトに満たされる、素敵な夢だ。
もう一度、お礼を言ってペットボトルを開ける。少し温度が冷めていたけれど、かえって飲みやすくなっていた。
今度、ペットボトルの中身、甘いミルクティーは浅葱のお腹をあたためてくれる。
さっきは手をあっためてくれて、今度はお腹の中から。
寒くなりつつあるときには、両方とても嬉しいものだった。
蘇芳先輩はいつもこうなのだ。こうして、さりげなくあたたかな優しさをくれる。
そういうところが好きだし、以前よりどんどん『好き』だという気持ちは強くなっていっていると感じられていた。
ミルクティーを飲みながら、そしてぽつぽつと話をしながらライトアップを見た。それはただの街の風景なのに、そんなことはまったくない。なにより特別で美しいものなのだ。
ふと、その中で蘇芳先輩が言った。
「六谷、結構、根を詰めてただろう。少しでも息抜きになれば、と思って」
え、と思った。
根を詰めていた、はそのとおりだろう。毎日のように部室に通って、それも下校時間ぎりぎりまで作業をしていた。それを見てくれていたのだ。
部長としてそれは当たり前のことかもしれないけれど、そんなの。
……嬉しいに決まっている。
おまけに『息抜きになれば』。
こっちはもっと嬉しすぎた。
だって、これは部活の活動のいっかんではない。
それに、誰にでもしていることではないだろう。
つまり、自分は、後輩としてだって、いくらかは特別に思ってもらえて、気づかってもらえているのだ。
今度は頬まで熱くなってしまう。
ミルクティーであたたまった体温が、頬をほてらせたようだった。
「ありがとうございます。いい作品にしたいって、一生懸命になってて……でも、頑張るだけじゃ、疲れちゃいますよね」
ちょっと横を見ると、蘇芳先輩も浅葱を見ていた。視線が合って、どきどきとはしてしまうけれど、今は奇妙に落ちつきもあった。
どうしてかわからない。
ライトアップを見て、同じ飲み物を飲んで。
『一緒にいる』ということを、強く感じられる。
「ああ。たまにはこうして、きれいなものを見たりして、肩の力を抜けたらなって」
「はい。とってもきれいで……」
言いかけて、ちょっとためらってしまった。
言うのは恥ずかしい。
けれど、せっかく連れてきてもらったのだ。しかも特別に、だ。
こくっと唾を飲んだ。
思い切って口に出す。
「先輩と『きれいなもの』が見られて、嬉しい……です」
さすがに恥ずかしくて、視線はライトアップに向けてしまった。
それでも言いたいと思ったので勇気を出した。
蘇芳先輩がこちらを見ている気配がする。
ちょっと心配になった。先輩はどう思っただろう。
どきどきとしてくる。
特別な気持ちだと思われただろうか。そこまではっきりとしたものではないけれど、とりあえず『好意』を含む言葉ではあるから。
「……俺も嬉しいよ」
ふっと、その場の空気がゆるんだ。それについ蘇芳先輩のほうを向いてしまい、また頬が熱くなってしまった。
なんて優しい目をしているのだろう。
ライトアップより、ミルクティーよりあったかいその目。
「昨日、ライトアップをやってるって知って。思ったんだ。……六谷に見せてやれたらな、って」
……えっ。
それはもう、今日何度目かもわからないおどろきだった。
私に?
見せてあげたいと思ってくれた?
おまけに、昨日、このライトアップを見つけて、すぐ、に?
今回の嬉しさは、ここまでで一番強いものだった。
そんなの、『特別』であるに違いない。
だって、ただの友達や後輩であれば、『一番に見せたい』なんて思われるものか。
急にどきどきとした心臓の鼓動が速くなってきた。
これはまさか、少しくらいは、ほんとうに、少しくらいは、可能性が、あるのでは。
ゆっくり、じっくり、自分に言い聞かせるように、浅葱は考えた。
そして自分の思ったことに恥ずかしくなってしまう。
本当ならいいと思う。
けれど、そうである可能性は高かった。それもずいぶん、だ。
不意に、右手になにかが触れた。唐突なことに、浅葱はびくっとしてしまう。
嫌だのなんだのよりも、このようなことは起こったことがないのですぐには意味がわからなかったのだ。
ばっと、そちらを見ると、蘇芳先輩が微笑んでいた。
その手は、浅葱の手に触れていて。しっかり触れていて。
偶然触れてしまった、というにははっきりしすぎていた。
どくんと心臓が跳ねる。一気に顔が熱くなった。赤くなったかもしれない。
そんな中なのに、優しくてあたたかい目。その瞳から目が離せなかった。
蘇芳先輩のくちびるが、ゆっくり動く。それもはっきり見えてしまった。
「意味、わかるかな」
そう言われたけれど、浅葱はすぐにはわからなかった。蘇芳先輩になにを言われたのか、ということがだ。
だって、それはあまりに都合がいい。
自分はライトアップを見て、すてきな夢を見せられているのでは。
思ってしまったのに、浅葱は強制的に現実に引き戻された。
右手が、きゅっとあたたかなものに包まれる。
それはさっき持っていたペットボトルとは比べ物にならなかった。ほんのりあたたかくて、やわらかくて、でもちょっとごつごつともしている。
……男のひとの、手だ。
いや、蘇芳先輩の、手だ。
かぁっと顔が熱くなる。心臓もばくばく速くなって、止まるのではないかと思ってしまった。
そこから伝わってくる。蘇芳先輩の気持ちが。
きっとこれは、夢でも思いあがっているのでもない。
あたたかな手はそれをはっきり教えてくれた。
なにか言わないと。
浅葱はやっと、はっとして、口を開こうとした。
でも考えてしまった。すぐにはわからなかったのだ。
「わかります」でいいのか「ありがとうございます」なのか、もしくはほかの……。
こんな雰囲気になるのは初めてで、とまどってしまった、その数秒。
カーン、カーン……。
不意に大きな音が聞こえて、浅葱は、びくりとした。視線をそちらに向けると、それは鐘だった。
ライトアップの中央にある、大きな鐘。それが鳴っている。時間を告げるとか、そういうものだろう。
蘇芳先輩も、そちらを見た。
数秒。沈黙が落ちる。
鐘はゆっくりと鳴った。そして、六回鳴って、終わった。
夜の六時になったらしい。
気付けばあたりも暗くなっている。早く帰らなければいけない。
蘇芳先輩もそれを知ったのだろう。
「……まずい。長居しちまったな」
……えっ。
浅葱は違う意味で、どきっとした。
さっきのあたたかくてやわらかな空気。それが消えてしまったような気がしたのだ。
そしてそれは残念ながら、事実だったようなのだ。
すっと、蘇芳先輩の手が離れて行ってしまったので。
浅葱の手はそのまま取り残される。
急に手が冷たくなったように感じることだった、それは。
けれど、冷たいままになっただけではなかった。
かすかに、先輩の声がする。
「もう少し、ゆっくりできるときにしよう」
蘇芳先輩のその言葉は、口の中で呟くようなものだった。
けれど浅葱の耳には確かに聞こえた。
残念に思ったのは確かにあったのに、蘇芳先輩の言葉はまた違う意味で浅葱の胸を騒がせてしまう。
もう少し?
ゆっくりできるとき?
それは、そのくらいに、大事なことだと思ってくれて。
また顔が熱くなってしまう。
今、知りたかったに決まっている。
けれど、嫌だとも言い切れない。
なにしろ唐突すぎて、ついていけなくなりそうだったのは確かだったのだから。
「うん、良かったらまた、付き合ってくれるか」
そう言われて、浅葱は、こくりとうなずくしかなかった。蘇芳先輩はそんな浅葱を見て、にこっと笑ってくれた。浅葱がどう思った、と受け取っただろう。
それが心配だったけれど、多分、悪い意味ではなかった。優しい目のままだったから。
「家まで送ってやれなくてごめんな。気を付けて帰れよ」
蘇芳先輩と別れたのは、前にそうしたように、改札を抜けて、ホームへのエスカレーターをあがるところだった。
そんな優しいことを言ってくれて、おまけに見送ってくれる蘇芳先輩に、前と同じように小さくおじぎをして。
浅葱はホームへ着いた。
前に『地球堂』で偶然会って、カフェへ行ったとき。あのときも帰りはどきどきしたのに、そのときとは、もはや比べ物にならなかった。
心臓が遅れてまたばくばくしてきて苦しいほどだ。しゃがみこみたいのをやっと我慢した。
しゃがみこみたかったのは、顔が熱くてたまらなかったからだ。その顔を隠したかった、のもある。
まるで、告白のようなこと、それに近いようなことを言われてしまった。
ううん、これはきっと思い上がりや都合のいい考えや、もしくは夢なんかじゃなくて、現実。
おまけに、『ゆっくりできるときに、また』と言われてしまった。
それはつまり、さっきのことより、もっとはっきりとしたことが多分起こるだろうということで。
こんなこと、ラッキー過ぎる。
そんなところに直面してしまって、心臓が持つかな。倒れてしまうのでは。
そんなことを考えれば考えるほど、くらくらと、まるで酔ったように浅葱の頭は揺れてしまっていて、着いた電車に乗ることも忘れて、はっとしたのは目の前で音を立ててドアが閉まってしまってからだった。
おかげで次の電車が来る、五分ほどの時間。また、さっきの出来事を噛みしめてしまって、また心の中でじたばたと転がった浅葱であった。
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