赤い着物の売り子さん
当日はお天気に恵まれた。三日間ある連休の初日のことだ。
秋祭りは十時から開催される。なので、それに間に合うように支度を終えなければいけない。
浅葱は朝早く、普段学校へ行くような時間に起き出して、綾の家へ向かった。
「いらっしゃい、浅葱ちゃん」
出迎えてくれたのは綾と、お父さんとお母さん。朝早いのに、もうきちんとお店の制服……着物に割烹着といった具合……を、着ている。「今日はよろしくお願いします」と挨拶をした浅葱をにこにこと迎えてくれた。
「着付けをするからね」と言って、奥の部屋へ通してもらう。
綾の家は、純和風の二階建ての家屋だ。最近ではあまり見ないような作りかもしれない。綾の私室など、家族の方が住んでいる二階はリフォームしたとかで洋室もあるのだが、一階はすべて和室らしい。少なくとも、今まで浅葱がお邪魔した部屋はすべて畳か、もしくは板張りだった。
その一部屋。小さな部屋だった。なにに使うかはわからないけれど、タンスや棚が多いところから、なにかを保管しておいたりする部屋なのかもしれない。
姿見もあった。今日は綾や浅葱の着付けをしてくれるからだろう。
「ね、かわいいでしょう」
先に着付けをされていた綾が自信たっぷりに言った。袖を持って、くるっと回る。
暗い赤色の着物に帯をして、その上から簡単なエプロンをつけている。まるで明治か大正の時代の、カフェでお給仕をするメイドさん、といった服だった。とてもかわいい。
「うん! こういうの初めてだからテンションあがっちゃうなぁ」
「あがってあがって! そのほうがきっと明るく接客できるでしょ」
浅葱の言葉には綾は嬉しそうに笑った。その笑顔に自信が湧いてくる。元々、人前はそこまで苦手というわけではない。得意とまではいえないけれど、少なくとも人見知りではないのだ。
だからテンションがあがってくれるのは、むしろ喜ばしいことだといえた。
「じゃ、浅葱ちゃん。着付けていくわね。綾、お父さんのほう手伝ってきて」
そのうち、綾のお母さんが入ってきた。
背が高くて、髪をアップにしているお母さんは、元気で明るい印象のひとだ。綾の着ているのと同じ着物だろう、畳まれた着物を持っていた。白いエプロンらしきものも、だ。
お母さんは、綾と同じく昔はバレーボールをしていてかなり上級者だったそうだ。今もその活発さがきっとこのお店を回すのに役立っているのだろう。
「はーい。浅葱、楽しみにしてるねー」
お母さんの要請に綾は素直に答えて、ひらっと手を振って行ってしまった。綾のお母さんと二人になって、浅葱は改めて挨拶をする。
「今日はお世話になります」
ぺこりとおじぎをしたけれど、綾のお母さんは笑った。綾にそっくりな笑い方だった。明るくて、どこか優しい。
「いえいえ。お世話になるのはこっちよ」
それで着てきた服を脱いで、綾のお母さんによって、着物を着せつけられていった。まだ秋も早いほうなので、『一重(ひとえ)の着物』というものだそうだ。
薄めの普段着なのよ、と教えてもらう。冬になればもっと、重ねて着るようになるのだと。
浅葱も着物を着たことは、一応何度かあった。七五三とか。それに夏の浴衣はもっと身近だし。
毎年、お祭や花火大会のときに着ていくのだ。中学生になってからは自分で着られるように頑張るようになっていた。まだ全部自分ではできないけれど、お母さんに直してもらうことも、年々少なくなってきていた。
そういう、和服。着る機会はあまりないので、それが着られるというだけでも心がわくわくした。
襦袢(じゅばん)という、下着の役目をする薄い浴衣のようなものを着せられて、軽くウエストを留められて。その上から着物だ。
綾のお母さんは自分でも着るのだし、綾にも着せてあげるのだろう。ぱっぱっと、気持ちのいいほどの鮮やかな手つきだった。
綾は今は自分で着るのかもしれないが、子どもの頃は少なくとも、お母さんに着せてもらっていたはずだから。慣れているに決まっている。
「浅葱ちゃん、細いねぇ」
着物を仮に留めるための紐でウエストを結ばれながら、綾のお母さんは言った。ちょっと恥ずかしくなってしまう。
痩せているのはもちろん、女子高生としては嬉しい。ダイエットはしていないけれど、食べすぎないようには気を付けているし、体型には気を使っている。
けれど、お母さんくらいの年齢のひとには、不健康と思われてしまうのではないだろうか?
それが気になって。
「綾はバレーをやってるから、結構がっしりしてるでしょう」
綾のお母さんは、くすくすと笑う。浅葱もつられてちょっと笑った。
確かに綾は筋肉が結構ついていて、しっかりした体型だ。それはバレー部で活躍しているのだから当たり前。
「だから、こういうのはなんか新鮮ね」
綾のお母さんは話しながらも手はとめない。「きつくない?」と時々、浅葱に確認してくれながら、最後に帯を結んでくれた。
華やかな着物ではないので、特に豪華な帯ではない。細い帯を巻いて基本的な結び方をするだけのようだ。
それは上にエプロンをするからという理由もあるだろう。
「これで仕上げね」
着物を着せ終えた綾のお母さんが、エプロンを手に取って、浅葱に「はい、手を通して」と言ってくる。そのエプロンも着て、うしろで結んでもらった。
「さ、できたわ」
ぽん、と肩を叩かれる。いつもの服よりずっと質量があるのだ。ちょっと重かった。
けれど動くのに困るほどじゃない。真冬のコートよりはずっと軽いし。
ちょっと袖を持ち上げてみる。ひらっと暗い赤色の袖が動いた。
すごい、かわいい。
その気持ちは、のぞき込んだ姿見、大きな鏡で見たときにもっと大きく膨れた。
暗い赤色の着物はおとなしくもかわいらしい印象。
そこへ白い、控えめなフリルの付いたエプロン。
やはり明治時代のお給仕のメイドさんのようだった。
「似合うわね。あと、髪は……まとめてきてくれたし、それでいいかしら」
綾のお母さんも満足げだった。
お手伝いだし、食べ物を扱うのだから髪はまとめてきたほうがいいと思ったのだが、それはアタリだったようだ。
うしろでお団子にした、シンプルなスタイル。
綾のお母さんは「でもなにか飾りがあったほうがいいねぇ」と言って、鏡台の引き出しを開けた。ごそごそと中を探る。
そこになにか、髪飾りのようなものがあるのだろう。
そして、取り出したひとつをつけてもらった。
それは赤いリボンだった。ちょうど良く、着物の赤とトーンが合う。ぴったりだった。
「かわいい売り子さんのできあがり」
もう一度、綾のお母さんが、ぽんと浅葱の肩を叩いた。
「今日からよろしくね」
「はい! 私こそ……頑張ります!」
準備がすべてできたところで、とんとんとふすまが叩かれた。「はーい」と綾のお母さんがそちらへ向かって、開ける。
そこにいたのは綾の兄の綾真さんだった。彼も赤い着物を身に着けている。
ただ、綾と浅葱が着ているものとは少し違った。
上は同じような感じだが、下はハーフパンツのようなものに、カフェタイプの下だけのエプロン。
作務衣(さむえ)……とかいったかな。ああいうの。
浅葱はテレビで見たものを思い出して、そう思っておいた。
働く男のひとの着る、作業のための着物らしい。
そしてそれがとても似合っていた。普段から着ているのかもしれない、そのくらい違和感がなかった。
「母さん、父さんが呼んでたよ。そろそろ外のセッティングをするって……、あ」
お母さんに声をかけたあとで、綾真さんは浅葱を見た。
何度か遊びに来ているので、顔見知りではある。
しかしこのような格好は初めてなのだ。ちょっとおどろいた、というような顔をされた。
「こんにちは、綾真さん。よろしくお願いします」
浅葱は先にあいさつをした。きっとここでは教わる立場になるだろう。
「ああ、綾の友達さんだね。よろしく」
ちょっとだけ笑ってくれた綾真さんは、やはり綾と同じ、運動部。やっているスポーツはバスケだとかで違うのだけど。
そのためか、あまり派手なタイプでもなければ、友人たちの中心でもなさそうな、どちらかというと武骨な……というような印象のひとだった。髪を短く刈り上げた、いかにもスポーツマン。
「じゃあ浅葱ちゃん、私たちも外に行きましょうか。テーブルや椅子は折りたたみだけど、人手があったほうが楽なのよ」
「そうですね!」
綾のお母さんについていき、そのセッティング場所へ向かう。
店の前。既に綾のお父さんと綾が、折りたたみのそれだろう、プラスチックでできたものを運んだり決められた場所に置いたりしていた。
「なにをしたらいいですか?」
浅葱は綾のお父さんに声をかける。お父さん、綾に似ている、ちょっと筋肉質の体型の彼は振り返って、にっと笑った。
「おう、浅葱ちゃん。今回は世話になるな。頼むよ」
「いえ、こちらこそ……」
みんなで組み立てればものの十分ほどで準備は終わってしまった。
アウトドアのバーベキューで使うようなものだが、ちょっと腰かけて甘味でも、とするくらいならじゅうぶんなのだろう。できあがったそれは、すでに達成感をひとつ与えてくれた。
これが浅葱の『アルバイト』。秋祭りの売り子さんの仕事のスタートだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます