放課後のお出かけ
その日の放課後は部活がなかった。
本当なら毎日、部活へ行って絵を描いていたい。
賞に出す絵は毎日描くわけではない。全体部活のデッサン会は週に一回必ずあるし、月曜日から金曜日までの一週間。週に四日は部活があるのだ。
そういう、基本的な技術をあげる活動も浅葱は好きだった。
やはりそういうことの積み重ねなのであるし、それに。
蘇芳先輩からの指導を受けられることもあるのだから。
部長である蘇芳先輩は、当たり前のように高い技術を持っている。
そのために、自分で練習する以外にも、浅葱たち、後輩などの指導役になってくれることもよくあること。
「ここはガイドラインを入れたほうがいい」と、きっちりとパースを合わせて描くための線をどこに入れたらいいか教えてくれたり。
「もう少し明るい色をいれてみたらいいんじゃないかな。そのほうが、光の位置がはっきりする」と、全体のバランスを教えてくれたり。
浅葱にとっては実になることばかりだった。
おまけに、こういう……教えてもらうときは、当たり前のように、近くまできて、描いているものを覗き込んで教えてくれる。距離が近いのだ。それはどきどきしてしまって仕方がないことで。
単純すぎることだと思うけれど、そういうことも起こるので、全体部活の日も楽しくて嬉しいものだった。
でも今日は、そういう活動がない。
週に一回、真ん中の水曜日だが、学校全体で『部活休みの日』と決められてしまっていた。浅葱としてはだいぶ不満なこと。
部活休みの日があるのは、部活以外の学校生活や私生活を充実させなさい、という意図らしい。それも大事だとは思うけど。浅葱は思う。
でもそれを無視することはできないし、これも片想いからの気持ちではあるのだけど、ルールを守れない女の子になりたくもなかった。
だから、仕方がない。そういう日は早く学校を出て、普段あまりしない、友達との寄り道なんかをして遊ぶのだった。
それはそれで楽しいので、いいことだと思う。気分転換にもなる。
よって、今日はそういう水曜日だったのだけど。
「ごめーん、今日は家の用事があるんだよ」
「私も……別の学校の子と久しぶりに会おうって約束してて……」
なぜか、友達たちに軒並み予定があった。それも、いつも遊ぶメンバー全員にである。
こういうことは珍しいけれど、たまには起こるだろう。
仕方がない。浅葱は「残念だけど、楽しんできてよ」と、友達たちと別れたのだった。
それで、一人で帰ろうかと思ったのだけど、学校を出て駅まで歩いているうちに、ふと思った。
せっかく時間があるのだ。そのまま帰って、家でまったりしてもいいけれど、普段はできないことができる時間。なら、活用したほうがいい。
なにかしようか、どこかへ寄っていこうか。
思ったとき、すぐ浮かんだ場所があった。
ああ、あそこへ行ってみよう。
思いついて、浅葱はちょっと微笑んでしまった。
普段、学校帰りにはいけない。少し遠いのだ。家の門限に間に合わなくなってしまう。
だからお休みの日しか行けないところ。
一人で自由に見られるし、行くのもいいだろう。
よって、浅葱は駅に着いてから、普段帰るのとは逆側のホームへ行った。つまり、逆方向へ向かう電車に乗った。
そのときからすでに、楽しい気持ちでいっぱいだった。
浅葱にとって、好きな場所へ行くのだ。それはもう、楽しくなって当たり前の場所へ。
着いたのはちょっと大きめの駅だった。繫華街があって、栄えている。休日に友達とたまに遊びに来るところだ。
楽しいお店がたくさんある。カラオケも、ゲーセンも、カフェや、流行りのタピオカのお店だって複数ある。
でも今日は一人で遊びに来たわけではない。目的地があるのだ。
浅葱は、さっさと歩いてそれらのお店を通過して、一軒のビルを目指した。そこはビルが丸々一軒、浅葱の好きなもので埋まっているお店。
そのお店が見えてきた。
浅葱はすでに、ふふっと微笑んでしまう。来るのは久しぶりだった。前に来たのは……夏休みの終わりごろだったかもしれない。
お店の前にはワゴンがいくつか出ていた。特売品や、見切り品が入っている。
こういうものにたまにいいものが混ざっていたりするのだ。
今日は掘り出し物があるかな。
思って、お店の前に着いた浅葱は、ワゴンの中を見はじめた。
アウトレットの色鉛筆のセット。
100枚単位で詰められた、ケント紙や画用紙。
そういうものが、綺麗に並んで入っている。
あ、この筆、安い。そういえば新しい製品が出たんだっけ。型落ち、ってやつかな。
前に先輩が使ってて、良さそうだったから買ってみようかなぁ。50%オフだし。いい機会かも。
そっといくつかの商品を取っては確認しながら、心の中で呟く。
浅葱がお店の外からすでに楽しみはじめてしまった、そこは。
『地球堂』と、大きな看板が出ている、画材専門店だった。
『地球堂』は、前述の通りビルが丸々ひとつお店になっている、画材専門店である。
このへんでは一番の規模と品ぞろえではなかろうか。
大きなお店なので、繫華街のある栄えている街にある。よって、気軽に訪ねるということはなかなかできないのだった。
ついでに、友達と遊びに来るときに寄るのにも向かない。
なぜならついついあれもこれもと見たくなってしまって、美術部友達の萌江などはともかく、絵に特に興味のない子を付き合わせてしまうのは申し訳ない。
だからといって、ざっと見るだけでは気持ちが満たされないし、必然的に、美術部の部員の友達、先輩、そういうひとと来るか、もしくは一人で来るのだった。
今日はそういう、いい機会だったというわけだ。
浅葱は一階からお店を見ていった。さっき見ていた特売品の筆は、とりあえずいったん保留しておくことにした。
普通に売っているものにもいいものがあるかもしれない。そっちを買いたくなってしまうこともあるだろうし、買うか決まっていないものを持ち歩くのも申し訳ない。
よって、ほかのものも見て買うものが決まってから、筆を買うかは決めることにした。予算の都合もあるし。
一階はキャンバスや用紙など、重ためのものが並んでいた。専用の紙が貼られたキャンバスなどは、当たり前のようにお小遣いでは買えない。今、部活で使っているものの、部の備品だった。
いつかは自分で買えるようになりたいと思うけれど。
自分の好きなものを、自分の絵に、タッチにあったものを。
そうしたら好きな紙も自由に選んで貼れるし、より描くのが楽しみになるだろう。
今は買えないけれど、一応、見て回る。なにしろ時間はたっぷりあるのだ。普段見られないものだってゆっくり見たい。
ああ、やっぱりいいなぁ。大学生になったらバイトとかして買いたいな。
そんな感嘆を覚えつつ、次は二階へ。
二階には筆やハケなど、具体的な絵画の用具が置いてある。さっき筆を見たので、それより適したものがあるだろうかと見ていく。
二階まででもう三十分近くが経ちそうになってしまい、浅葱は、はっとして、次の階へ行くことにした。いくら時間があるといっても、放課後で、あまり遅くなれば帰宅が遅くなって叱られてしまう。
いけないいけない、ちゃっちゃと見ないと。
思って、三階へ。
これが今日のメイン。つまり、絵の具のコーナーであった。
ポスターカラーやアクリルガッシュ、油絵の具など、絵に取って重要な材料であり、そして消耗品でもあるものを見たいと思ったのだ。
それはもちろん、青い絵の具をたくさん使うので、バリエーション豊かに揃えたかったのだ。
なので油絵の具のコーナーへ行った。もう少し先輩や顧問の先生に相談してみるつもりだったが、あの青い絵は油絵で描いてみようかと思っていたのだ。
よって、油絵の具が必要になる。油絵を描いたことはもう何度もあるので、基本的な色は揃っている。
けれどなにしろ消耗品。使っていけば減るし、なくなってしまう。
今は、手持ちの残りが心もとなかった。なので青い絵の具はたくさん使うであろうこともあって、チェックして良さそうなものがあったら買いたいと思っていた。
油絵の具にも、種類がある。ひとつのメーカーのものだけなんてことはないのだ。なにしろ専門店。微妙に色合いの違うものが、メーカー別に並んでいる。
気に入りのメーカーがあるので、そこから見ていった。描き心地や色のトーンが好きだと思うもの。
青を中心に、それから混ぜるのに使う、白や黒、緑や黄色……そういうものも見ていく。
あ、これいい。新色だって。使ってみたいな。
でもこっちはやっぱり定番だから、いっぱいあったほうがいいし……。
あれこれ手に取りながら、悩んでしまう。
なにしろお小遣いには限りがあるのだ。欲しいものを全部なんて買えない。
どれを優先して買おうか。悩んでいたときだった。
「あれ、六谷じゃないか?」
不意に知っている声がした。
それは知っている、どころではなかったので、浅葱は、どきっとしてしまう。
だって、それは。
「せ、先輩!?」
ばっと、そちらを振り向くと、声の通り蘇芳先輩が立っていた。学校帰りだろうから、いつも通りの制服姿。肩にバッグをかけて。
どうして、蘇芳先輩がここに。
いや、美術部部長なのだから、いて不思議なんてことはないけれど、まさかかち合うなんて。
どきどきと心臓が高鳴ってくる。
部活でも、学校でもなく、こんなお店で、街中で偶然会うなんて。
なんて偶然。でも、……嬉しい。
じわじわ胸が熱くなってくる。
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