第110話◇需要と供給と戦争


「貨幣経済の維持の為に戦争をする。いきなり言われても、サッパリ解らない」


 ディストレックが胡散臭いものを見るように俺を見る。

 まぁ、その気持ちも解る。俺も最初は信じられなかったし。そんなことの為に戦争を起こすなんてのが。

 ノスフィールゼロがフワリと浮く。


「その説明の為ニ、まずは需要と供給の話をしまスノ」

「需要と供給、聞き慣れない言葉ですね」


 ソミファーラが首を傾げる。


「あぁ、これは貨幣を使ったことも無くて、作った物をこれまで交換することも無かった白蛇女メリュジンのような種族には、理解しにくい概念だと思う」


 俺は用意しておいたパンをひとつ持つ。

 ノクラーソンが銀貨を片手に持って立ちあがる。


「需要とは、解りやすく言うと欲しがる者がいるということになります。私はお腹が空いた。腹ペコで堪らない。誰か食べ物を売ってくれ。銀貨で買おう。これが需要になります」


 次は俺の番。


「供給とは作って売ること。欲しがる者に売る品物を用意するのが供給。ここにパンがあるぞ。焼いたばかりだ。お腹が空いてるなら売ってやるぞ。これが供給」


 ノクラーソンが銀貨と俺のパンを交換する。


「パンを欲しがる者が銀貨、まぁ解りやすくしてますのでパンひとつが銀貨1枚というのは本当は高過ぎるのですが。パンを欲しがる私が銀貨を渡してパンを手に入れました」

「そしてパンを売った俺が銀貨を手に入れた。これが商売の基本的な形だ」


 ノスフィールゼロが前に出る。


「そしテ、需要とは街全体、国全体でどれだけパンを欲しがる者がいるノカ。供給とは街全体、国全体でどれだけパンを作って用意できるノカ、ということになりまスノ」


 シュトール王子が頷いて、


「これは貨幣を作って扱っているドルフ帝国では、経済を専門にする学者もいるので解る」


 ディレンドン王女も同様に、


「ドワーフ王国でも貨幣オーバルを使ってますので、理解できますわ。エルフ同盟と白蛇女王国メリュジーヌは?」


 ディストレックとレスティル=サハが目を合わせる。ディストレックは、


ダークは貨幣にはあまり馴染みが無いが、金粒銀粒で取り引きしたりするからだいたい解る」


 レスティル=サハは、


グレイはシードを使ったことがある。需要と供給についても理解した」


 ソミファーラは、


小妖精ピクシーは探索者以外で貨幣を使ったことのある者はほとんどいません。私達には財布が重くて持てないから。探索者でも同じ部隊仲間パーティメンバーに財布を預けて買い物をお願いするので。品を交換する、という習慣もありませんし。ピンと来ないですが、なんとなく商売というものは理解しました」


 小首を傾げてる。

 シノスハーティルはどうだろう?


「えぇと、お互いに欲しい物を交換しあって、お互いに欲しい物を手に入れる。あげるんじゃ無くて、交換するのが商売なのよね。今のはドリンがパンを売って、ノクラーソンがパンを買ったのよね」


 これを聞いて思わずノクラーソンの顔を見てしまう。


「ノクラーソン、がんばったなぁ」


 貨幣を扱ったことも無く、物々交換とも縁が無かった白蛇女メリュジン。皆で作ったものは皆のもの。黒浮種フロートも作っては見返り無しであげてた。そのシノスハーティルに商売とか経済について教えたのはノクラーソンだ。

 かなり苦労したハズ。


「いや、黒浮種フロートと探索者も手伝ってくれたのだ」

「シノスハーティルは賢いでスノ」


 ノクラーソンとノスフィールゼロの言葉にみんながシノスハーティルを暖かい目で見る。

 シノスハーティルはキョトンとしてる。

 シュトール王子だけが眉を寄せて、


「これは守らねばならんな……」


 とか呟いてる。シュトール王子、あんたもやっぱりサーラントの兄弟か。

 なんかちょっとほっこりしたが。


「つまりは需要と供給があり、双方が品と貨幣を交換することで経済が動く。これが貨幣経済ということだ。ただ、ここで注意することがある」


 これはノクラーソンが説明する。


「まずは人間ヒューマンの特殊性を改めて思い出して下さい。人間ヒューマンには神の加護がないので、食事の加護が無い。同じ身体の大きさの種族に比べて3倍の食料が必要になる。このふたつの特殊性が人間ヒューマンの貨幣経済を作った要因となります」


 みんなが頷いたところで俺が続ける。


「ここからは用意した資料を見ながら進めていく。まずは人間ヒューマンにとっては食料の入手は死活問題だということ。そのため物々交換を使って、食料の多く取れる地域から土地の貧しい地域へと食料を送るなどして、物の流れる通路、流通を発達させた。税も過去は穀物で集めていた」


 ディストレックが呟く。


「エルフ同盟には税が無いから、そこはイマイチ解りにくい」

「エルフ同盟で言うと、長老会とか族長会で使う建物を作るとき、皆でつくったりするとして、その建築の資材とか、作る労働力の提供っていうのが税の替わりになるのか」

「皆で使う物を皆で持ち寄るのが税って認識でいいのか?」

「そうなる。あとはエルフには無いんだろうけど、例えば長老会や族長会に働く者の謝礼、給料というのも税で集めることになる」

「組織の運営に必要な物を集めるのが税、ということか」

「そういうこと」


 レスティル=サハが頷いて。


「我らにとっては森への捧げ物、というのが国の税という呼び方になるのか」

「うーん。捧げ物は祈りと共に贈るもので税とは少し違うような」


 俺の言うことにノクラーソンが補足してくれる。 


人間ヒューマンの社会では、税は強制的に徴収するもので、払えなければ犯罪となり罰を受けます」


 これはエルフの森の住人には解りにくいか。特にエルフの森から出たことの無い者には。


「税については本題では無いので、ちょっと置いといて。話を戻すと、食料運搬の為に流通が発達。食料以外も運ぶようになる。そして貨幣の登場。全ての物の価値を貨幣に置き換える社会は解りやすくて便利だ。遠く離れた国の品物も金があれば買える、というのが今の人間ヒューマン中央領域。品物を用意して取り引きする上で、貨幣の枚数といった数字に物の価値をおきかえるのは、みんなが理解しやすくて広まった。

 便利で使い勝手が良いという理由で広まりすぎた。

 既に人間ヒューマンの社会は貨幣ありきで成り立つようになっている。労働の対価も貨幣で支払う。税も貨幣で集める。食料も衣類も貨幣で買う。ありとあらゆるものがその価値を貨幣に置き換える社会、その極地を拝金風土マネーカルチャーと呼ぶことにする」


 ソミファーラが呟く。


拝金風土マネーカルチャー、貨幣を拝む文化、ですか。なんだか気味が悪いですね」


 ノスフィールゼロが説明する。


「実際に不気味でアリ、論理的では無ク、黒浮種フロートには理解しにくいものでスノ。これがノクラーソンから聞いた人間ヒューマンの特殊性で説明がつきまスノ。アルムスオンで生きるのに大量の食料、物資が必要になる人間ヒューマン。物資の流通に役立ち便利に使える貨幣。その利便性から貨幣の価値と重要性を高めた結果、拝金風土マネーカルチャーの社会でハ、生きるのに貨幣の入手が必要不可欠になってしまったのでスノ」

拝金風土マネーカルチャーの社会では、生きるために貨幣を手に入れるためには何をしてもいい、という社会になってしまうんだ。貨幣を入手できなければ餓えて死ぬことになるからな。そのために人間ヒューマンの社会では貨幣に絶対的な価値がつく。貨幣には価値がある、と人間ヒューマンは思い込んでいる。その思い込みが壊れたのが今の人間ヒューマン西方領域の混乱だ」


 ノクラーソンが眉をしかめてひとつ息を吸って、覚悟を決めるように口を開く。


人間ヒューマンの社会では貨幣の入手の為に、異種族を拐って売買などします。寒村では同じ人間ヒューマンの子供を売ることもあります。同族の子供よりも貨幣の方が価値が高いのです」


 レスティル=サハが鋭い目でノクラーソンを睨む。


「ふざけた話だ。同族の子供の命よりも金属の塊の方が大切だと? 許せるか、その非道」

「これも自分達で作った貨幣の価値を、自分達の命よりも高く吊り上げた代償なのでしょうか。そしてこれが需要と供給の話になります。子供を買いたい者がいて、子供を売らなければ生きていけない者がいる。そこに商売が成り立ちます」

「よくもそんな気色悪い話ができるな。私を怒らせたいのか?」


 怖い目でノクラーソンを睨むレスティル=サハ。落ち着いてもらわないと。


「レスティル=サハ、堪えてくれ。この場にいるノクラーソンは人間ヒューマンのその社会を憎んでいる。だからここで俺達に力を貸してくれる。それに本当に気色悪い話はこれからだ」


 見回すとレスティル=サハにディストレック、ディレンドン王女はもう怒ってる。

 ソミファーラとシノスハーティルとシュドバイルは涙ぐんでいる。

 レッドのリアードとルドラムは、やっぱり人間ヒューマンはクソ人間ヒューマンだ、という顔をしてる。

 冷静に見えるのはシュトール王子だけだ。

 同族の命よりも貨幣という金属の欠片が大切。そんな人間ヒューマンを俺も気色悪いと思う。思うからこそ対策が必要だろうとこの場を作ったんだ。


「需要と供給、これが貨幣経済を動かす根本になる。作る者が居て、買う者がいればこれで貨幣経済は機能する。しかし、ここに問題がある。黒浮種フロートが計算した資料があるので見てくれ。ノスフィールゼロ、頼む」

「ハイ、貨幣経済を成り立たせる上デ、この需要と供給のバランスが重要になりまスノ。例えば需要が多く供給が少なけれバ、物の価値が上がりまスノ。先程のパンで言うとパンが1個で金貨1枚ということもありまスノ」


 ディレンドン王女が首を傾げる。


「そんなに値が上がっては誰も買わないのではありませんの?」

「ハイ、ですが食料が買えなければ餓死しまスノ。この場合、旧マルーン街南区市民街のように力で奪おうと暴動になりまスノ。反対に需要が少なく、供給が多い場合は物の価値が下がりまスノ。パン千個が銅貨1枚になりまスノ」

「それはそれで極端ですわね。それだとパンを作って売るのもバカらしいですわ」

「その通りでスノ。更にその利益では材料の小麦を買えなくナル、焼くための燃料も買えなくナル、という状況になりパンを焼いて売ることを生業としてた者が餓死しまスノ」

「材料も買えなくなるほど困窮すれば、売る物も作れませんわね」

「つまりハ、需要と供給のバランスが貨幣経済が順調に回る為に必要なんでスノ。ですが長期的に見た場合、この需要と供給のバランスを取ることは不可能なんでスノ。平和な時代が長く続けば必ず供給が需要を上回り、貨幣経済は機能不全となりまスノ」


 ソミファーラがノスフィールゼロを止める。


「だんだん難しくなってきましたけど、平和が続くと貨幣で買い物ができなくなる、ということですか?」

「この部分に関してハ、例を上げて説明しまスノ。資料の次のページを見て下さイノ」


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