第108話◇ミュクレイルの魅了


「で、ノクラーソン。白髪も無くなって顔のシワも少なくなって、見た目には少し若返ったが身体の方はどうだ?」

「すこぶる調子がいい。だが、これは本当にそうなのか? ストレスの少ない生活のおかげなのでは無いか?」

「その点については調べてみないと解らん。フラウノイルはどうだ?」

「なんとなくだけど、前よりノッくんを身近に感じるような気がするの。私は上手くいくと思うわ。たとえ上手くいかなくても、もうノッくんは私の家族なのは変わらない」

「フラウ……」

「ノッくん……」


 ふたりが熱く見つめ会う、まぁ新婚さんだし。

 娘さんのフォリアがケホンケホンと咳払いしてふたりを止める。ハッと気がついて娘の前で照れて離れる父親。


 ノクラーソン一家ファミリーはユクロス教の信仰をやめた。もとからノクラーソンは熱心な信徒では無かったと言うし。

 それでノクラーソンができたばかりのアルムス教の信徒になった訳では無い。

 ノクラーソンが新しく信仰するのは白蛇女メリュジンの加護神。

 夜と月の白き蛇の女神、イツアムナイル。

 祈りの言葉、神への讃歌をフラウノイルに教えてもらって、毎日の祈りを繰り返している。


「ノクラーソンは宗派が変わって、これまで馴染みの無い神を信仰するっていうのはどうなんだ? 俺達は種族の加護神を拝むのが当たり前で改宗ってのがピンとこない」

「どうと言われてもな。しかしフラウの加護神であり、フラウと私を会わせてくれた女神だ。白蛇女王国メリュジーヌは私達を受け入れてくれた。その感謝を捧げて、白蛇女メリュジンに幸福と平安を願う祈りは素直に心からできる。フラウの未来に幸せと喜びがあるように、と」

「ノッくん……」

「フラウ……」


 見つめ会うふたり。

 ケホンケホン。

 娘の前で照れて離れる父親。

 ……これ、狙ってやってるのか? 素なのか? やるな、7人の天然ナチュラルセブン


 エルフの場合、近親種でつがいになることは珍しく無いという。

 エルフの加護神は5柱。それぞれの亜種に1柱。つがいになった相手の加護神と己の加護神を同じように敬い崇める。

 メッソの姉さんのようにダークエルフの旦那と結ばれたディープドワーフの奥さんも同じ。

 互いの加護神を同じように崇めて祈る。

 しかし、ノクラーソンのようなケースは前例が無い。聞いたことが無い。人間ヒューマンが異種族の神を崇めるというのは。

 そして幸せ新婚生活で若返ったノクラーソン。

 まさか、とは思う。もしかして、と考える。


「ノクラーソンはこれからも毎日、白蛇女メリュジンの神に祈ってくれ。祭りが終わったら、俺の練精魔術で調べてみる」

「ドリン、大魔法を使うのは紫のじいさんに注意されているだろう」

「サーラント、こればかりは大魔法以外で調べるのは難しい。紫のじいさんとラァちゃんには俺から話す」


 世界の法則を変えるつもりは無い。加護神とその種族の関係を変えるつもりは無い。

 ただ、自由で奔放で愛情深くて、中には相手がひとりでは物足りないと愛に溢れ過ぎる白蛇女メリュジン。その加護神ならば、もしかして。


「お義父さん、そろそろ戻りましょうか?」

「そうだな、祭りの前に片付けなければならんし」

「忙しそうだな。手伝おうか?」


 立ち上がるノクラーソン一家ファミリーに言ってみると、ノクラーソンが手のひらをこっちに向ける。


「けっこうだ。ドリンとサーラントが触ると何が起こるか解らんから」

「あのなぁ、俺達をなんだと思ってんだ?」

「思い付きから地上の勢力地図を塗り替えた前科があるぞ。あぁ、それからノスフィールゼロとまとめた資料ができた。あとで目を通してくれ」

「例の貨幣経済の資料か、解った」

「今までその正体を知らずに使っていたとは、恐ろしいことだ」

「その便利さで日常で使うことに慣らされてしまうからな」


 ノクラーソン一家ファミリーを手を振って送る。めんどうなことを任せているが、なかなか楽しんでるみたいで安心する。

 ノクラーソンに人間ヒューマンと他の種族が暮らす町の町長をやらせたら? という案が出たけど、それが国の規模になるとは。サーラントがポツリと、


「ノクラーソンの奴、楽しんでるか」

「充実してるのは間違い無いようだ」


 あとはこいつか。

 ポケットから貨幣を取り出す。新貨幣、5角形のスケイルの金貨、銀貨、銅貨。

 貨幣には微笑む白蛇女メリュジンの笑顔が彫られている。

 ミュクレイルがシュルリと近づいてくる。


「女王と母さまと私、これがいろんなものと交換できるって、変な感じ」

「そうだな。改めてそう考えると奇妙なものだ」

「作るときのドワーフがなんか凄かった」


 それは確かに凄かった。

 貨幣に彫られた3人の白蛇女メリュジンは目隠しをしていない。瞳の見える微笑みを浮かべている。

 貨幣デザインチームのドワーフ達は、目隠しを外したシノスハーティルとシュドバイルとミュクレイルを相手にしてた。

 気合いで視線の魅了チャーム抵抗レジストしながらデッサンしてた。

 雄叫び上げて自分で自分の頬を叩きながら、太股をつねりながら。あまりにも壮絶な製作現場で大丈夫なのか聞いてみると、


『大丈夫だ。俺達は視線の魅了チャームなんか無くてもとっくに魅了されている!』


 という全然安心できない返事が、力強く返ってきた。その熱い情熱と芸術家魂がこもってできた5角形の貨幣スケイル。

 ドワーフ王国のオーバルは優美な楕円の貨幣。

 ドルフ帝国のヘキサは精密な6角形の貨幣。

 どちらも人間ヒューマンの偽造貨幣の事件の後で、簡単に真似できないように進化した。

 この新貨幣、スケイルは既に可愛い貨幣として評判になりつつある。お祭りの後、本格的に広まっていくのだろう。


「ドリン、心配?」


 ミュクレイルが俺の顔を覗きこんでいる。顔に出てたか?


「まぁ、この先どうなるか不安は不安だけど」

「ドリンもサーラントも怖いものは無いと思ってた」

「ただの怖いもの知らずだと、探索者としては長生きできない」

「うん、初めて地下迷宮に行ったとき、危なかった」


 隠れ里の外に興味のあったミュクレイル。たまにコッソリとボス部屋の赤線蜘蛛を見に行ってたという。赤線蜘蛛がいつもいるのでボス部屋を通れず、いつかいなくなるときを待っていた。

 俺達がボス部屋の赤線蜘蛛を討伐してから復活するまでの間のこと。


「今日もいるのかなって見に行ったら赤線蜘蛛がいなくなってた。ビックリした。そのときは1回隠れ里に戻って、槍と鎧をコッソリ用意して準備してから、ボス部屋に行ったの」

「あのとき俺達が見つけて良かったか。弓矢持ちの骸骨兵相手に危なかったところだったし」

「油断してた。飛び道具は卑怯」

「あの頃は白蛇女メリュジンは弓矢を知らなかったんだったか」

「使う機会が無いんだもの」


 隠れ里で暮らしていれば弓矢は必要無いから当然か。


「あのときドリンとサーラントと会えて良かった。父さまの部隊パーティ以外で、初めて会えた探索者が、ドリンとサーラント。きっと運命」

「大げさだ、運命なんて」

「隠れ里がこんなに賑やかで楽しくなったのは、ドリンとサーラントがやったのに?」

「みんなでワイワイ楽しくやってたじゃないか。俺達だけでできるもんか」


 思い付いたのも言い出したのも俺達ではある。だけど、ここまでの盛り上がりはここの住人が作ったものだ。


「でも、ドリンが言った。これからやろうとすることは、ちょっとばかりたいへんかもしれんが、おもしろくなると思うって。それを聞いた皆が、じゃあやるかって」

「あー、言ったか? ミュクレイルはよく憶えてるなぁ」

「変化の少ない隠れ里、起きた事件は覚えてる」

「事件か。事件と言えば事件になるか?」

「会った探索者がドリンとサーラントじゃ無かったら、こんなにステキなことになって無い」

「そうなのかもしれないが」

「ねぇ、ドリン。この貨幣はステキなことにはならないの?」


 なかなか痛いとこを突いてくる。ステキなことにしようと作って、できてから問題に気がついた。

 問題、問題か。

 貨幣の問題の本質。便利過ぎる道具の問題の本質とは。


「ミュクレイル、目隠し取ってもいいか?」

「ん、いいけど?」

 

 目の前に来て俺の膝に手を置くミュクレイル。白蛇女メリュジンの透けるような白い肌。ミルクのような白い髪に触れる。

 目を覆う青い目隠しを両手でそっととる。


「ん、くすぐったい」


 微笑むミュクレイルの顔、久しぶりにミュクレイルの目を見た。

 透き通る湖のような青い瞳。好奇心でキラキラしている。酒の酔いもあって、ミュクレイルの目を見るとポーッとしてしまう。

 口の中で頬の内側を奥歯で噛む。痛みで白蛇女メリュジンの視線の魅了チャーム抵抗レジストする。


 幼さの抜けない顔立ち。寿命が4百年と聞いてる白蛇女メリュジンでは、52歳もまだ子供の内だろうか。

 白い眉、白いまつ毛、青い大きな瞳が見えるとよりイタズラっ子のように見える。

 そこはじーちゃんに似たのかもな。

 白蛇女メリュジンが透ける目隠しで視線の魅了チャームを抑えたら、種族間交流も上手くいくと考えた。

 だけど白蛇女メリュジンは視線の魅了チャームが無くても、充分に魅力的だ。種族の特殊能力無しで何人もの探索者が虜になってしまってる。

 気安くて奔放で明るくて世間知らずで。なんだか守ってやりたくなるような、素直で純真な種族。世慣れていないだけのことかもしれないけれど。

 目隠しで視線の魅了チャームを隠したら、本当の魅力が見えてきた。種族の特殊能力を隠したから、本人の持つ本来の魅力に魅了されてしまった。

 皮肉なのか、それとも世界とはそういうものなのか。


 視線の魅了チャーム抵抗レジストして、ミュクレイルの青い瞳を見詰める。

 ミュクレイルの顔がしっかりと見えるなら、種族の能力に左右されずに真実が見えたなら、俺は本心から言える。


「ミュクレイルは可愛いな」

「……えへ」


 ミュクレイルは頬を少し赤くして、顔を隠すように俺に抱きついてくる。

 俺の胸に額をグリグリと押し付けるようにして。照れているのか?


「ミュクレイルは探索者から可愛いって言われ慣れてるだろ?」

「ドリンに言われると、なんだか照れるー」


 そんなもんか?

 サーラントを見るとこいつはこいつでニヤニヤしてやがる。


「楽しいか? サーラント」

「あぁ、久しぶりにミュクレイルの瞳を見たが、澄んだ青空のように綺麗だ」


 ミュクレイルは俺にしがみついたまま、伸ばした尻尾の先でサーラントをペチペチと叩く。笑顔のままペチペチされるサーラント。


「サーラント、また魅了されたか?」

「あぁ、ミュクレイルの可愛らしさにな」


 言外に視線の魅了チャームでは無いのだぞ、と主張して。


「ドリンにもようやく解ったか?」

「サーラント、俺は最初から知っている。再確認しただけだ」


 こういうところは腐れ縁。長くコンビをやっていたから解ってしまう。

 以心伝心とかいうと気持ち悪いが。

 その力に飲まれずに見詰めると、本当の姿が見える。その力に囚われたなら、ちゃんと見ることもできない。

 そして俺達はつまらん呪いなんぞに捕まらない。

 俺も解った、サーラントも解った、じゃ、これからどうするか。


「サーラント、道具はただの道具だ」

「あぁ、たとえどんなに便利でも、道具を使うのは俺達だ」

「貨幣をステキに使うか、ただ使われるだけの奴隷になるかは、それを道具として使いこなせるかどうか」

「だが、現状、貨幣の奴隷が俺達に迷惑をかけてくる。そこはどうする?」


 ミュクレイルの頭を撫でる。白い長い髪を指ですく。ミュクレイルはくすぐったいのか、少し首をすくめる。

 辺りを見渡せばいっぱいある酒のボトル。

 材料があるから作ってみようと、黒浮種フロートとバングラゥと酒好きな奴等が作った酒。いろんな種類がある。

 作れるだけ作ってみたという感じで、

 いっぱいある。

 俺は唇の左端で笑って、


「ひとつ、思いついたことがある」


 サーラントに言う。

 さぁ、次の策を試してみようか。

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