第36話◇シャララの語る、フェアリーの昔話
「あっちゃー……」
ローゼットが天井をあおぐ。セルバンは真面目な顔で黙っている。ミトルはいつものニコニコな笑顔で、サーラントは得意そうに薄く笑っている。シャララがパチクリとまばたきして、
「えーと、これってドルフ帝国が今まで秘密にしてたんだよね。いいの? ここで出して?」
シャララの言うことに、うむ、と頷くサーラントを見て、プチッとキレた。
「いいわけあるか! このサーラントの大バカ野郎が!」
「え? ドリン?」
俺はサーラントを怒鳴りつける。この考え無しのひとり特攻野郎が。
俺の声に驚いたノスフィールゼロが
「ドリンサン?」
「サーラント。お前は自分がなにやってんのか本当に解ってんのか?」
「ただの機密漏洩だ。これで俺をドルフ帝国の裏切り者という者が出るかもな」
シャララがうんうんと、
「そーだよねー。でもこれで
「シャララ、問題はそこじゃ無い。機密漏洩とかドルフ帝国への反逆行為とか、そんなちっさいことはどうでもいい」
なんとか声が震えないようにして話しているが、今の俺は怒りで手が震えている。頭に血が登る。
みんなが俺を見てローゼットが小声で「いや、ちっさいことでは無いだろ」とか言ってるがそんなことはどうでもいい。
このバカがなんの相談も無く、自分ひとりが犠牲になればそれでいい、とか考えてこんなことをやらかしたことが頭にくる。
簡単に
俺は立ち上がって座ったサーラントの襟首を掴む。大きな体の
これで世は事も無し、とでもいうような少し悟ったような顔が気にくわない。そんな顔でサーラントが、
「なぜドリンがそこまで怒ることがある」
「やかましい! サーラント! お前の頭は兜の台座か
黙ったままのサーラントに俺は続ける。
「前のときはついうっかりの失言だった。それで加護神にお目こぼしされたのかもしれない。だけど今回は違う。これはお前が意図してミトルに持ち出させた
「俺が誓いを立てたときと今では状況が違う。かつては彼らの秘密を守ることが彼らを守ることになると信じていた。星来の離宮以外に
「状況が変わってもお前が誓いを立てたことに変わりは無い」
「だがこれで
「そのためにお前が加護を失うことになる!」
「俺ひとりが加護を失うことで、
「自己犠牲上等の安い英雄志願か? こ、この馬並脳ミソのあほたれがぁっ!」
俺はサーラントの襟首を掴んだ手を引いて、サーラントの額におもいっきり頭突きをかます。
ガツンと頭の奥に響く音がして目の前が真っ白になった。平行感覚が狂って尻餅を着く。まぶたの裏に星が飛ぶ。
勢いでついやっちまったが、頑丈さで俺がサーラントに勝てる訳が無かった。いったー。頭がぐらんぐらんする。なんか目がチカチカする。
「ちょ、ちょっとドリン。落ち着いてー。サーラントがバカなのはいつもどおりのことじゃない?」
シャララが俺の顔の前で赤い蝶の羽をパタパタと、手をわたわたと振っている。ローゼットも、
「おい、サーラント。お前は本当にそんな誓いを立てたのか? どうすんだ?」
俺達にとって神からの加護は大切なものだ。神官の治癒の加護だけでは無い。困ったときの食事の加護だけでも無い。
ほとんどの種族は寿命が2百年を越え、ドワーフで約3百年、エルフが約4百年。
対して種族の加護神のいない
加護を失えば寿命が短くなり身体も弱くなる。衰えるのが早くなってしまう。
力を失い、種族によっては魔術が使えなくなるという言い伝えもある。
その身体を支えるために食事の回数だって
俺達は1日1食で十分暮らしていけるが、加護の無い
加護を失えば生きていくことさえ難しくなる。
セルバンが重々しく、
「確かに我らにとって加護を失うことは何よりも恐ろしいこと。ですがそれが若の決断ならば私から言うことはありません。それに若の行いは
サーラントは片手で俺が頭突きした額を押さえている。
「これは俺ひとりの問題だ。ドリンにも迷惑はかけないつもりだ」
まだ言うかこいつは、
「俺への迷惑とかもどうでもいいんだよ! なんで先に俺に話をしなかった? そうすれば誰が
「そんなことをすれば俺以外の誰かが
「だろうな。おかしいとは思ったんだ。この話をするのになんでセルバンとローゼットがいるのかってな。サーラント、お前は自分が実行犯だってことを証言させるためにふたりに立ち会わせたな? この先なにかあってもひとりで責を負うために」
ミトルが横から、
「あ、それは無理ですよ。
サーラントがミトルを見て眉をひそめる。
「ミトル、また余計なおせっかいを。いつまで子供扱いする気だ」
「あたしにとってサーラントさんは息子みたいなもんですからねー。あとは誓いと加護ですか? でも大丈夫でしょ。神様もそんなに細かいこと気にしないのでは?」
ミトルが言うように神はおおらかではある。だが、その行いが神を貶め同族の在り方を損ねた者が、神の加護を失い悲惨な最後を迎える物語は、すべての種族に形は違えど伝えられている。俺はミトルに言う。
「俺とミトルは
数多く存在する種族。その神々もまた性格やら司るものが違う。
以前、サーラント相手に大魔法の練習をしてたときのことを思い出す。かすかに感じた気配、
前のついうっかりは許してくれた。だけど、今回はどうなる?
セルバンがローゼットに訊ねる。
「ローゼット、この場合はどうなる? 加護についてはこの中では詳しいのではないか? 一時とはいえ神殿にいたことがあるだろう?」
「いや、こんなケースは聞いたことが無い。だけど神に立てた誓いを破っても加護を失わなかった者もいるし、反対に誓いを守っていても加護を失なった話もある。どれも親が子供に話すような教訓じみた昔話で、実際に加護を失った者を俺も見たことが無いし。共通してるのは、神を貶すような行いや種族の尊厳を踏みにじるような行動の結果、加護を失うということで。なのでサーラントのやったことが結果として
神官が教えとして言いそうなことではあるな。
テントの中に沈黙が降りる。テントの外からは陽気なギターと笛の音色が聞こえてきて、俺も冷静さを取り戻す。なんでこんなにキレてしまったんだか。原因のサーラントを見れば腕を組んで目をつぶって、なにやら考えている様子。
サーラントを相手にしてるとたまにイラつくときがある。こんなふうに。
思いついたら一直線、己の身も考えずに突っ込んでいく。その根底にあるのは英雄願望にも似た騎士道根性。
だけどサーラントの正義は純粋素朴で分かりやすい。俺も奴の正義には同意する、共感する。
サーラントとは辿る道は違っても目指す目的地は同じではないか、そう思わせるものがこいつにはある。
だからだろう。サーラントにはいろんな奴らが集まってくる。ローゼットも目を離すと心配とか言って、サーラントを追いかけていたと言うし。ミトルはサーラントの言うことは仕方ないと言いながらも手伝う。ドルフ帝国の国家機密まで持ってきてしまう。
同じ理由でサーラントにはその手助けをしようって奴等が自然と集まってくる。
大角軍団のときも、赤線蜘蛛のときも。
言い出すのも、走り出すのもまずはサーラント。
俺のやったことなんて、文字どおりそんなサーラントに乗っかってただけだ。
だからこの苛立ちはサーラントに対してではない。サーラントほど純粋になれず、己の保身を考えてしまう卑屈で卑小な自分に対しての苛立ちだ。
サーラントの近くにいると、それを見せつけられる。そしてむかつく。
だけど、だからこそ、こんなところで終わらせない。終わらせてたまるか。こんな武器ひとつの設計図なんてつまらないもので終わるサーラントなんて、俺は見たくは無いんだよ。
ローゼットが加護について、思い出した話をする。
「神殿の説教の中のひとつで、加護を失ったもののその行いを悔いて神殿に通って、同族のために献身した男が、神に赦されたのか加護を取り戻した話がある。これは神殿の記録にも残ってるから事実らしい。あー、だから、そんな深刻になることでも無いかもな?」
ローゼットがこの沈黙をなんとかしようと発言する。シャララも、
「あのね、思い出したんだけど、シャララの知ってる話、
ローゼットが聞かせてくれ、と促す。
「うん。えっと前置きとかははしょってー、こほん。昔々のことです。
いきなりだ、随分とそこに至るまでをはしょったなー。しかも
「子供達は慌てて逃げましたが、逃げ切れずに掴まってしまいました。子供達は泣いて泣いて、助けて助けてと叫びます。だって相手は
なんだこの昔話。子供が聞いたら泣いてトラウマになりそうだ。
「そこに
「ほとんどの
「
「戦士は語ります。戦いの中でいくつも命を奪ってきたと。その虚しさから戦士の位を返して
「手加減ひとつ満足にできない未熟な身で、なにを思いあがっていたのか。これで私は神の加護を失う。これも己の実力を過信した罰」
「
「
「
「
「しかし、戦士は加護を失うことはありませんでした。
「彼が4百歳を越えて
話終えたシャララは喉が乾いたのかお茶を飲む。ミトルがシャララの小さなカップにお代わりをそそぐ。
「
セルバンが少し涙ぐんだ目で感想を言う。
「シャララが知ってる昔話で、
ミトルが頷いて、
「
「シャララ達もそう。力強い種族を味方にっていう打算もあるけれど、感謝と素直さで他の種族と仲良くしようって、そういうのを子供達に伝えるためにね」
俺は立ち上がってテントの外に向かう。
「どこへ行く、ドリン」
「まだ日が落ちてないなら、日があるうちに。
俺は振り向いてサーラントに、ビッと指を突きつけ言っておく、
「これからドワーフ王国に行って、次はエルフの森で、そのあと急いでマルーンの街に行かなきゃならん。このさきの移動のために足が必要なんだよ。サーラントのことなんてどうでもいいけどな、乗り物が使えなくなるのは困るんだよ」
言うだけ言って、花のカーテンをすり抜けてテントの外に出る。
「シャララも行くー」
「ま、いちおうは神官だし。祈りに関してなら俺が」
シャララとローゼットがついてくる。
外は夕焼け。大草原が1面オレンジ色に染まっている。
なんだって俺がサーラントのために
まったく、本当に、あいつは、まったく。
あのバカの行き着くところに興味があるなら、あのバカに加護を与えてやってくれ。奪わないでくれ。
頼む。
夕日の大草原に祈っとく。
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