第4話 今を楽しもう
「リンノ、料理運んでくれ!」
「はい、今行きまーす!」
禿頭に眼帯を付けた姿がトレードマークのマスターが切り盛りする飲食店、『ヨーク・ザ・フォートレス』に、リンノの声が響き渡る。
「リンノちゃーん! 頑張ってー!」
仕事帰りの中年男性のグループから、酒臭い息と共に声援がかけられる。料理を運ぶだけなのだが、「気をつけて」「転ばないように」など我が子を思う父のように、働くリンノを応援していた。
「カナタ、そこの食器下げといて!」
「分かりましたリンノさん!」
「ああん、カナタ君どこいくのよぉ?」
カナタは偶然この店で開かれていた、『そろそろ結婚したい大人の女子会』の酷く酔っぱらった女性たちに巻き込まれ延々と愚痴を聞かされていたが、リンノに呼ばれるとそこから光の速さで抜け出していく。
「た、助かりましたリンノさん……」
「お礼はいいから手を動かす! ああもう、なんでこんなに忙しいのよ!」
余りの忙しさにリンノは頭を抱えてうんうん唸る。それもその筈、客足は初めて働いた時のおよそ二倍。カナタたちからすると、これ程の注文を厨房で一人で捌ききっているマスターが恐ろしかった。
「マ、マスター! 生、十杯頼むのじゃー!」
先程からこの店のマスコット、もとい看板娘として揉みくちゃにされていたシオが息も切れ切れにリンノたちの元へと走る。
「はぁ、はぁ、労働とは、中々愉しいものよ……!」
キラキラと光る汗をぬぐいながら、シオは息を整える。
「そ、そうですけど……って、私たち、昨日正式にここで働かないか聞かれた時に断りませんでしたっけ!?」
「落ち着いてください、リンノさん」
パニック寸前である。
カナタは心配そうにリンノに駆け寄り、声をかける。
「覚えてないんですか、リンノさん」
「なな何を?」
「今朝、話し合って決めたじゃないですか――」
――シオたちが激闘を繰り広げる日の朝。これから起こる惨状など知る由もない三人は、ベッドの上でゴロゴロしていた。
「ふにゃあ……ベッドというものはこんなにふかふかになったのか……。出る気が起きんぞ……」
ベッドの上をゴロゴロと転がりまわるシオは昨夜の疲労も相まって、いつもの凛とした雰囲気を完全に失くしてしまっていた。
「全身筋肉痛だわ、これ……」
「二人とも、昨日は大変でしたからね」
ベッドの重力に逆らえぬシオとリンノに対し、カナタはけろりとした顔で言い放つ。
「あー……なんであんたそんなに平気そうなのよ……」
「暇な時、身体を鍛えることしかしてなかったんで」
腕を直角に曲げ、もう片方の手で二の腕を叩きながら、笑顔で答える。
「儂の眷族になったことも関係しとるかもしれんの~……」
まるで人ごとみたいにシオは呟く。
「かもしれない、とは?」
「実は儂、自分の能力について余り分かっておらぬのじゃ。把握できておるのは眷族を作ったり、蛇と会話できることぐらいでな」
喋りながら、どこからか這い出てきた三匹の眷族の頭を軽く撫でる。
「この子らは儂が蛇神となった時に生まれておっての。じゃから眷族を作ったのも今回が初めてなんじゃ。あ、心配せずとも、カナタが死んだり、何かの災いが降りかかることは無いぞ」
「そうだったんですね」
リンノは安心して、息を吐く。当の本人は「ありがとうございます」など、どこかずれたことを言っていたが。
ふと、シオが何かを思い出したように起き上がる。
「そうじゃ、二人に聞きたいことがあったんじゃ。主ら、祠に落ちるまで何をしていたんじゃ?」
「ああ、落ちる前ですか。実はリンノさんって、トレジャーハンターらしいんです」
「ちょっ、勝手に言わないでよ!」
リンノの顔が赤くなる。一方、シオは首を傾げていた。
「とれじゃーはんたー?」
「おほん、トレジャーハンターというのは、遺跡とかを探索してお宝を探す人のことです、シオ様」
「ほう……少し興味があるのう」
シオの目がキラリ、と光った。
「でも、トレジャーハンターって言っても僕はリンノさんがお宝を見つけたとこ見たことないですよ」
「うぐっ」
カナタの悪意のない言葉が矢となってリンノの心に突き刺さる。
「話を戻しますと、リンノさんが僕の家の前で行き倒れてた所を助けたら、一緒に旅しようと誘われまして」
「…………リンノよ、飯はちゃんと食わぬといかんぞ?」
「お金が無かったんです……。それで、いざ旅を始めようと思ったらカナタが躓いて、私も巻き込んで井戸に落ちたという訳です」
リンノの脳裏には、何もない所ですっころんで、その勢いのままこちらにぶつかってくるカナタの光景が悪夢となって焼き付いていた。
「カナタらしいのう。まぁ、そこでカナタがこけてくれたおかげで、今の儂がある訳じゃが」
ありがとうの、とゴロゴロ転がりながら感謝の意を伝えるシオ。子供のような無邪気な仕草が、シオが本当に嬉しいと思ってるのだとカナタの目には映った。
「さて、気になることも聞いたし、本題に入ろうかの」
シオは上半身を起こしてベッドの上に座る。
「シオ様を罠にはめた眷族を探すんですよね。どこらへんにいるかとか、分からないんですか?」
真面目な顔をして質問をするリンノに、シオは顔を伏せる。
「そのことについてなんじゃが……実は既に解決しているのじゃ」
「えっ?」
思わぬ返答に、カナタとリンノは意外そうな声を上げた。
「あの祠の封印、カナタが打ち払ってくれたじゃろ? そのことは恐らく、奴にも知られておる筈なんじゃ」
「と、いうことは?」
両手の指をそれぞれ合わせて、顔を少し赤らめながらシオが口を開く。
「儂らはここにいるだけで良いのじゃ。奴は必ずやこちらへと来るだろう……流石に時間はかかるとは思うがの」
不意に、リンノが立ち上がった。
「ど、どうした、リンノ?」
「……やったじゃないですか!」
「よ、喜ぶようなことか?」
「喜ぶようなことですよぅ!」
リンノは困惑するシオの手を掴みブンブンと振る。
「だってシオ様、この町を歩いている間ずっと楽しそうにしていたじゃないですか。大変だけど働くのも悪くないとか、今度暇な時三人で町を歩きたいとか言っていたし」
「眷族がこちらに来るのを待っている間に、楽しいことを沢山やろうってことですね」
「そうよカナタ! どうですか、シオ様!」
嬉しそうにはしゃぐ二人に対してシオは口を開いたままだったが、やがて、口角を上げていつもの穏やかな笑みを浮かべる。
「そう、じゃな。改めて感謝するぞ、二人とも。閉じ込められて数十年間、今ほど愉しいことは無かった。じゃから、奴が嫉妬するほど今を愉しんでやるのじゃ!」
「その意気です、シオ様!」
これからの方針を決め盛り上がっていた所に、くぅ、と間の抜けた音が鳴り響く。音が発された方向には、カナタがいた。
「……まずは朝餉かの」
「……ですね」
「あ、あはは……」
「すみませんマスター、今いいですか?」
リンノは昨日と同じように『ヨーク・ザ・フォートレス』のドアを開く。
すると、奥から寝ぼけ眼のマスターが現れる。
「ふぁ〜あ、なんだお前ら。やっぱりここで正式に働きたいってか? はは、まさかな」
「ここで働かせてください」
「は?」
マスターの身体が硬直する。そして一呼吸置き、耳に何か詰まってないか確認する。
「聞き間違いじゃあねえよな?」
「じゃないです」
「やること無いのか?」
「強いて言うなら王都に居ることがやることじゃの」
「はは、マジかよ……」
マスターは目に涙を浮かべると、三人を一気に抱きとめる。
「嬉しいぞお前ら! どうせ朝飯食いに来たんだろ? この俺が腕によりをかけて最高の朝飯を作ってやるからな!」
三人がここで働いてくれるのが余程嬉しかったのか、マスターは涙を流しながら豪快に笑っていた。
回想、終了。
「思い出したわ……あまりにもマスターが嬉しそうだったから、取り敢えず今日も働くことにしたのよね」
「リンノや、これ運んどくれ!」
慌ただしく店内を駆け回っていたシオから料理を渡される。
今まで回想にトリップしていた分の遅れを取り戻そう、と足を踏み出した途端。
店のドアがバンと乱暴に開けられ、訪問者へと店内中の視線が集中する。
「ねぇ爺や。こんなとこの料理が美味しいって本当? 一見ただの居酒屋にしか見えないんだけど」
入ってきたのは、眩しい金髪を伸ばし、くりっとした碧眼でじとーっと店内を見回す少女と、カナタとは比べ物にならないくらい気品のある老齢の執事だった。
「ええ、どうやら昨日から有名になったようで。強面の男性からとても甘く美味しいケーキが作られるギャップがいい、らしいですよ、お嬢様」
執事の男性が軽く説明すると、お嬢様と呼ばれた少女はつまらなさそうに手を振る。
「ふーん。まあなんでもいいわ。ちょっと、店員は何やってるの? 私が来たんだからすぐさま迎えるのが当然でしょう」
その言葉に、呆気に取られていたシオがはっとして、駆け寄っていく。
「いらっしゃいませなのじゃ、お客様。此方へどうぞ」
シオの口調に若干違和感を覚えたのか、お嬢様は眉を寄せながらも彼女に着いていく。
「では、注文が決まり次第呼んで欲しいのじゃ」
お嬢様はメニューに目を通すも、玩具に飽きた子供のように興味をなくす。
「爺や、適当に決めといて。どうせケーキ以外も食べろって言うんでしょ?」
「その通りでございます、お嬢様」
退屈だと言わんばかりに頬杖をつくお嬢様をおいて、執事はリンノの元へと歩いてくる。
「すみませんが、シェフを呼んでもらえますか?」
「はい、わかりました。……マスター、お客様が」
厨房から、くたびれた様子のマスターが現れる。
「失礼ですが、栄養バランスの良い料理をお願いしたいのです」
「栄養、っすか? だったら、このサラダは外せなくて――」
執事がマスターと話している間、ぽつんと一人で辺りを見回している少女。その少女をほっとけなかったのか、シオはトコトコと彼女のいるテーブルへと近づいていく。
「なぁ、お主」
「……? なによ」
いきなり話しかけてきたシオに驚き、戸惑いながらもお嬢様は返事をする。
「ケーキ、好きなのか?」
そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、目をパチクリさせる。
「……なんなの、いきなり」
「いやなに、ケーキについて話しておったじゃろう? 儂も好きなんじゃが、あまり詳しくなくての。どんなのがあるとか教えてほしいのじゃ」
お嬢様は、誰かから頼りにされたいと思い始めるお年頃からか「べ、別に構わないわよ」とシオとケーキの話を始める。
「……良かったですね、あの子」
「寂しそうだったしね。あーあ、やっぱりシオ様には敵わないわ。競ってる訳じゃないけど」
「助かりました。店員様方」
「うわっ!」
カナタとリンノが話していると、不意に執事の声が割り込んでくる。
「これは失礼しました。私はカトリオットと申します。爺や、とお呼びください」
カトリオットと名乗った執事は見事な所作でお辞儀をする。二人もつられて頭を下げる。
「お嬢様は友達が多くないので、寂しそうにしていることが多いのです。なので、声をかけて頂き非常に助かりました」
「いやいや、お礼ならシオ様に言ってください。私たちは何もしてませんから」
「なあ、お前ら」
そこに、マスターが来て、ある提案をした。
「そろそろ上がってもらっていいから、爺やさんが良ければだが、あの子と一緒に飯食ってったらどうだ?」
マスターの提案に、カトリオットは目を白黒させる。
「私は構いませんが……本当によろしいのですか?」
「ええ、全然! むしろ、楽しみですよ」
「僕も話してみたいですし」
そう言って、二人はシオとお嬢様が話しているテーブルへと足を進める。
「ねえお嬢様。私たちも一緒にご飯食べていいかしら?」
「僕も、君と話してみたいな」
「なっ、だ、誰よあなたたち」
お嬢様が戸惑っているのを見て、カナタは思い出したように口を開く。
「そっか、そうだよね。僕はカナタ。こっちが」
「リンノよ。あなたの名前は?」
「…………アリシア」
「ほう、アリシアか。良い名じゃな。……と、儂も名乗っておらかったか。儂はシオじゃ」
自己紹介が終わった頃に、マスターが料理を運んでくる。色とりどりの野菜が乗ったサラダに、鶏肉をこんがり焼いた料理、卵のスープ。どれもが見ているだけで食欲を掻き立てられる。
「わぁ……! 美味しそう!」
「そうじゃろそうじゃろ。ふふ、早速食べようぞ」
「う、うん」
「ちょっと待って、アリシアちゃん」
食べ始めようとするアリシアを制して、手を合わせる。それにアリシアも察したようで。
「あ、そっか」
「よーし、せーの」
「いただきます!」
その晩、『ヨーク・ザ・フォートレス』には楽しそうな笑い声が響いていたという。
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