子猫時々犬、のちカエル。

樹カイン

子猫時々犬、のちカエル。


「間締くんって、マジメで良い人だけどつまらない人間よね」


 その一言が俺を変えた。


 真面目にコツコツ頑張れば報われる。

 両親に言われたことは全て守り、清く正しく生きてきた。

 勉強は予習復習をしっかり行い、成績は常に上位。

 運動はあまり得意ではなかったが、努力を重ねて平均点以上は出してきた。

 ボランティア活動にも積極的に参加して、感謝の言葉を数え切れないほど浴びてきた。

 出された食事は全て食し、好き嫌いもないおかげでこのかた一度も風邪を引いたことはない。

 電車内にお年寄りや妊婦さんがいたら席を譲るし、いつクラスメイトが忘れ物をしてもいいよう常に同じものは二つ持つようにしている。

 もちろん、一度も学校をサボったことはない。


 そんな俺が、たった一人の女生徒の言葉によって、不良になった。


 平日にも関わらず学校をサボり、窃盗、脱税、飲酒、賭博、無免許運転、暴力行為……たった一日でこれだけの悪事を重ねた。


 だが未だに捕まっていない。

 それは、俺が普段着るYシャツとスラックスを脱ぎ、眼鏡を外し、ピンクのつなぎに星型のサングラスという不良の姿に変装しているからだ。


 すべて順調計画通り。

 午後もさらなる悪事を行うべく、小休止に公園のベンチに腰を下ろしていた。

 下ろしていた、だけなのに――


「間締清(まじめ きよし)くんかぁ。面白い名前だねー」


 どうしてこうなった!


「わたしは佐堀真子(さほり まこ)。あ、さっきも名乗ったかーあはは」


 俺の隣で力の抜けたカエルのような顔で笑う少女、佐堀真子。

 人当たりの良さそうに見えるが、そんなことはない。

 彼女の髪はピンク色なのだ!

 それだけではない。ショートのボブヘアから覗く左耳にはいくつもピアスが刺さっていて、膝よりも短いスカートから伸びる雪のように白い太ももには入れ墨が彫られているし、黒いスニーカーには数え切れないほどの棘がついているし、薄手のパーカーを羽織っているだけなのに平然としている。もう十一月も半ばだというのに。


 彼女はにわかの俺とは違う、ホンモノの不良様なのだ!

 逃げようにも助けを呼ぼうにも、俺達がいるのはベンチしかない小さな公園。住宅街から離れた場所にあり、周りに人影は見当たらない。

 文字通り二人きり。一つのベンチに二人で腰掛けているため距離も近い。詰んでいる。


「まさか実物を見ることが出来るなんて思わなかったよー。マカペンくんストラップのシークレット」


 すべての原因はこの小さなペンギンのストラップにある。

 マカロニを食べるペンギン、マカペンくんのストラップシリーズ。

 全五種類と数は少ないが、恐ろしいほどの確率で被るため未だコンプリートしているものはいないという。

 そんな極めて珍しいストラップのシークレットを、俺は初めて行ったゲームセンターのUFOキャッチャーで手に入れてしまったのだ。

 初めてだったとはいえ白熱してしまい、こんなもののために三千円も使ってしまったのかとストラップを眺めながら後悔していた時に、偶然公園を通りかかった佐堀さんの目に止まってしまい現在に至る。


「そういえば、間締くんて歳いくつ? わたしと同じくらいに見えるけど」

「十四、あ」

「やっぱりー! 同い年だねー」


 バカ野郎! どうして歳を言っちゃうんだよ! ここで高校生とでも言っておけば有利に立てたかもしれないのに!


「ねえねえ。わたしと同じってことは、いま学校に行っているはずだよね? どうして公園にいるの?」

「べ、別にいいだろ。そっちはどうなんだ」


 わたし? と自分のことを指差す佐堀さん。

 緊張してぶっきらぼうな言い方をしてしまった。殴られる。


「わたしはサボりだよー。一時間目体育でさー。かったるいから毎週火曜はサボることにしてるんだー」

「そ、そんな理由?」

「そだよー。だって一時間目から体動かしたら二時間目の授業なんて頭に入らないしー。体育がなくてもそうなんだけどさーあはは♪」


 かったるいからサボるなんて、未だかつて一度も考えたことがない。

 たまになら、まあそういう時もあるかもしれない。でも毎週だぞ?

 いまの時間からして四時限目は始まってるはずだ。そうなると佐堀さんは一時限目以外もサボっていることになる。それを毎週なんて、ありえない。俺の想像の遥か上をいっている。これがホンモノの不良。


「かっこいいじゃないか!」

「わたしが? いやー照れるにゃー」


 まさに俺のイメージする不良そのものだ。もっと話を聞いて参考にしよう。

 そうすれば、きっと。


「佐堀さん、普段サボっているときはどんなことをしているか教えてくれ!」

「ええ? んーいきなり言われても。家でゴロゴロしたり、スマホ見たり?」

「他には!」

「ぶらっと散歩したり、コンビニで立ち読みしたり、買い食いしたり」


 おお、それなら俺もしたぞ! 金も払わずに雑誌を立ち読みして情報を窃盗したし、申告しないでイートインを使ったことで脱税もした。くく、不良なら脱税くらいするという俺の推測は当たっていたな。


「ニヤニヤしてどうしたの? ちょっと気持ち悪いよー?」

「失礼。続けてくれ」

「……あ、先週は海が見たくなったから、電車に乗って遠出したよ」


 海を見に? 寒気も流れ込んできているというのに、風邪を引きに行くようなものじゃないか。

 いや待てよ。確か海側には柄の悪い生徒の集まる学校があると聞いたことがある。殴りこみというやつか!


「寒かったけど、なかなかきれいだったんだよー。写真も撮ったんだー」

「倒した相手を撮影したのか!?」

「なんの話!? 海の写真だよ。ほら」


 佐堀さんが見せてくれたスマートフォンには、日差しに照らされて光る白い海が写されていた。

 ボコボコの砂浜にテーブルクロスのように広がる波は小さなものの、どこか力強い印象を受けた。


「これはわたし的にもバズった写真なんだー。ウィンスタでも、うぃーねいっぱいもらったしー」

「バズ? 所々不明な言葉があるが、この写真が素晴らしいことは俺にもわかる。特にこの日差しに照らされ」

「どしたの?」

「いや、この写真を撮影したのは佐堀さんなんだよな」

「そうだけど」

「この、僅かに砂浜に移っている人影、髪の長い女性に見えるのだが」

「やばっ」


 佐堀さんは慌てたようにスマートフォンを仕舞うと、ばつが悪そうに俺から顔を背けてしまった。

 なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。

 はっ! もしや俺の口臭か!? イートインで食べたチキンに含まれていたニンニク成分のせいか!? だとしたらマズい。が、いまガムは持っていないし、持っていたとしてもいま噛むのはあまりに非常識だ。急いで話を変えないと。

 俺は話題を作るべく、顔を背けたままの佐堀さんを舐めるように観察した。

 改めて見ても、細い身体をしている。もう少し食べた方が健康にも良さそうだが、女子に身体の話をするのは失礼だ。なにか他に……髪、髪か。


「そういえば佐堀さん。キミは変わった色の髪をしているね」

「あー、これ」


 なんとなく、空気が変わった気がした。

 快晴だった空が雲で覆われ、雷が鳴り始めたときのように胸がざわつく。

 俺は地雷を踏んでしまったのかもしれない。

 生まれつき肌や髪が白い人がいると本で読んだことがある。それなら生まれつきピンク色の髪の人がいてもおかしくはない。

 佐堀さんが不良になったのも、普通の人と違うことで虐められたのが原因の可能性だってある。

 だとしたら俺はとてつもなく失礼なことを言ってしまった。

女の子を傷つけてしまった。

 脱税なんかよりも許されないことをしてしまった。


「ごめん! 俺、佐堀さんを侮辱した! 知らなかったとはいえ身体的特徴を弄るようなことを言った! 本当にごめん!」

「いきなり立ち上がらないでよ! って、なんのこと?」

「髪を。ピンク色の髪のことを、変わってるって。生まれつきのものなのに、そんな風に言われたら」


 俺が必死に言葉を繋げていると、佐堀さんは意図を汲んでくれたのか、両手を合わせて頷いた。


「あーなるほどねー。安心して。これは染めてるだけだから」

「染めて、え? だっていま、明らかに不機嫌になって」

「それはえっと……そう、失敗しちゃったから」


 佐堀さんは髪の色と同じくらい頬を染めて俯くと、ほんのり艶のある唇を尖らせながら、自分の両指を絡めた。


「読んでる漫画の女の子の髪が、すごくきれいなピンク色でさー。今朝マネしてみたら、思ったよりも明るい色になっちゃってー」

「そ、そうなんだ。じゃあ元の髪の毛は」

「黒だよー。間締くんといっしょ。あ、よく染めるから間締くんより痛んでるかもしれないねー」


 佐堀さんは絡めていた指を解き、自分の後ろ髪に触れる。

 その手つきにはやや躊躇いがあり、まるで壊れやすいおもちゃを扱うようだった。

 俺はその仕草に少しだけドキッとしてしまったけど、それはえげつない程刺されたピアスがより露わになったからに違いない。


「それじゃあ、怒ってないんだな?」

「怒ってないよー」


 佐堀さんは困ったように笑うと、俺は胸を撫でおろすように腰を深くベンチに沈めた。


「勘違いでよかった。もし女の子を傷つけるようなことを言ってたら、自分で自分が許せなくなるところだった」

「なにそれー。恥ずかしいセリフ?」

「ち、違わいっ!」

「照れてるー。かわいー」


 俺が恥じらいを隠すべく顔を背けるも、佐堀さんはお構いなしに肩を寄せてきた。

 彼女にはパーソナルスペースというものが存在しないのだろうか。


「可愛くなんてない。ただ、小さい頃から女の子を傷つけることはするなと、父に言われていただけだ」

「おお。間締パパエグイ」

「えぐい?」

「かっこいいってことー」

「いやその使い方はおかしい。エグイっていうのはきついとか残虐って意味で、諸説あるけど元々はアクが強くて舌を刺激する、エグ味があるという意味から始まっていて」

「んあ~ストップ! そういう話は嫌いなんだよ~」


 佐堀さんは両手で頬を覆いながらイヤイヤする子供のように首を振る。


「ごめん」

「だから謝らなくていいってばー。間締くんはマジメだなー」

「ゲェホッゲホッ!」

 突然トラウマという名の種を掘り返された俺は、まるで喘息を発症したかのように激しく咳き込んだ。

 あの一言がここまで俺に影響を与えていたなんて。

 早く一人前の不良にならないと、近いうちに呼吸もままならなくなってしまう。次に活かすため少しでも情報を仕入れないと。


「大丈夫? 謝ったり咽たり忙しいなー」

「気にしないでくれ。ところで佐堀さん、キミは普段どんな酒を飲んでいるのかな? オススメがあれば教えてほしい」

「は? 飲まないよ。というより中学生が飲酒はマズいっしょー」

「佐堀さんはまだ飲んだことがないのかい。酒はいいぞー! 不良なら法は破るものだ!」

「法はともかくまず売ってくれないでしょ。わたしも間締くんも未成年だし」

「俺はさっき買ったぞ。向こうのコンビニで」

「冗談でしょ? 年齢確認されなかった?」

「ポイントカードの有無を聞かれただけだな」


 俺が答えると、佐堀さんは頬に指を添えて考えるように俯いた。

 なにかおかしなことを言ったのだろうか。それにしてもあの仕草、どこかで見覚えが。


「ねえ、間締くんが買ったのってノンアルコールだったんじゃない?」

「いや、ちゃんとアルコール売り場に並んでいたものを取った。間違いない」

「ノンアルコールもアルコール売り場に並んでるよ。いまから確認しに行こうか」

「いいよ。確認は大事だ」


 結果として、俺が買ったのはノンアルコール飲料だった。

 俺が自慢げに見せた酒をレジに持って行き、未成年でも買ってもいいのかと店員に尋ねたときの佐堀さんの顔は、しばらく忘れることは出来ないだろう。


「ありえない。こんなミスをするなんて」

「そんなに落ち込むことかなー。店員さんの失笑した顔は面白かったけど」

「やめてくれ」


 さらに言えば、俺がしてきたことは悪事でもなんでもなかった。

 ついでだからと買ったポテトを二人でつまみながら、俺は行った悪事の数々を隠すことなく話したが、全て佐堀さんに鼻で笑われてしまった。

 イートインの食事は自己申告なため脱税ではないし、メダルゲームも賭博ではないし、レースゲームは免許がなくても出来るし、ワニやモグラを叩いても暴力行為には当たらない。

 変装までして過ごした時間は、全て無駄だったわけだ。

 

「これじゃあ、立派な不良になれやしない」

「あのさ、どうして不良にこだわるのか聞いても良い?」

「ある女生徒に言われたんだ。俺はマジメで良い人だけど、つまらない人間だと」


 その瞬間、佐堀さんがなにか落とした音が聞こえたが、俺の視線はポテトをついばむ鳩に向けられていたためわからなかった。


「俺はマジメなことは良いことだと思っていたし、それをからかわれたこともあったが、自分と他人は考え方が違うのだからと、気に留めたこともなかった。だが駒場さんに言われたあの言葉は、俺の心に深く刻まれた」

「間締くんにとって、その駒場さんってどんな人なの」

「俺にとって?」


 駒場さおり

 俺と同じく、真面目で頭が良い。

 だがそれを鼻にかけることはしないため、男女問わず人気がある。

 身体が弱いせいでたまに学校を休むこともあるが、翌日登校すると、みんな彼女を心配する。

 俺と違って友達も多い。

 だがそのことに嫉妬したことはない。逆に好ましく思っている。

 口に手を添えて大人っぽく微笑む仕草も、たまに見せる物憂げな表情も、全て。

 正確に言い表すことは出来ないが、敢えて言葉にするなら、彼女は俺にとって――


「憧れ、かな」

「ふーん。憧れかぁ」


 そう呟く佐堀さんの声は、この時期に降る雨のように冷たく、別人のもののようだった。


「間締くん。いますぐ不良になれる方法、教えようか」

「なんだと! 是非教えてくれ!」

「いいよ」


 天は俺に微笑んでいる! 日頃の行いの賜物だな! やっぱりマジメに生きることは……え?

 これは、どういう状況だ。何故いま、俺は佐堀さんに押し倒されているんだ?


「さ、佐堀さん? これにはどういう意図があるんだい」

「わかるでしょ。男の子なら」


 砂糖菓子のような香りが鼻腔を舐める。

 大きな瞳が、獲物を狙う獣のように俺の瞳を捉えて離さない。


「ここなら誰も来ないよ。誰も見てない。二人きり。したいこと、していいんだよ」

「したいことなんて、この状況で、なにを……?」

「女の子に言わせたいんだ。ヘンタイ」

「ヘンタイ!?」


 要らぬ誤解を与えてしまった。どうにかして解かないと。

 まずこの状況だ。なぜ佐堀さんは俺を押し倒したんだ? それとさっきの質問。男ならわかるとはどういう意味だ?

 この二つは関連している可能性が高い。連想づけて考えればなにか見えてくるかも。

 男、押し倒す、密着、二人きり、公園、運動、格闘技、柔道……そうか、わかったぞ!


「答えは寝技だな!」

「……は?」

「なるほどな。佐堀さんは力こそ不良になるための近道、そう言いたいんだな! さすがホンモノの不良だ! ではまず袈裟固めから始めよう。俺は体育で学んだが佐堀さんはどうかな」

「……ないの」

「なにかいったか?」

「バカじゃないのっ!?」


 佐堀さんは俺を押し倒したまま、噛みつこうとする狂犬の如き形相で怒りを露わにした。

 俺は咄嗟に身を縮めようとしたが、狭いベンチの上で押し倒されているせいでまともに動かすことが出来なかった。


「なにが寝技よ! どこまでマジメなの!? わたしの立場考えなさいよこのクソマジメっ!」

「ちょ、唾が。なにをそんなに怒っているんだ?」

「喋るな! 口開けるな! 呼吸すんな! 近づくな! あっち行け! バーカっ!」


 佐堀さんはリボルバーのように言葉を吐くと、俺から離れて飛ぶようにいなくなってしまった。

 時が止まってしまったように静かな公園。

 唐突に木枯らしが吹くと、俺の足元の落ち葉を攫っていった。

 

 ******


 わたしは、マジメで良い人のフリをするつまらない人間だ。


 マジメにコツコツ頑張るなんてバカらしい。

 両親に言われたことは、適当に返事をするだけ。

 勉強は予習復習をしなくても学年一位。

 運動は好きじゃない。一時間目が体育の日とか憂鬱になる。

 ボランティア活動も、内申のために渋々参加するだけ。

 出された食事は食べるけど、キュウリは青臭いから嫌い。

 席を譲る手間が面倒くさいから電車は座らないし、クラスメイトが忘れ物をしても私には関係ない。

 学校は、たまにサボる。


 愛想よくしていれば浮くことはない。

 誰かを虐めることも、虐められることもない。

 適当に平穏な中学生活を過ごせればいいし、気が乗らないときは適当な理由をつけてしまえばいい。


 でも彼は違う。

 いつもマジメで、誠実で、誰よりも優しくて、何事にも全力で、努力を怠らない。

 正直者で、仮面をかぶってるわたしとは真逆の存在。

 だからこそ、周りに利用されているのがたまらなく許せない。




「間締、この資料運ぶの頼んでいいか。俺このあと部活なんだよ」

「私もー! 彼氏と約束あるから早く帰らないといけないの! 代わりに掃除しといて」

「シャーペン無くした! あれ一本しか持ってないのに! なあ間締、オマエの貸してくれよ。今月ピンチで新しいの買う余裕がないんだよ」

「いいぞ。俺に任せてくれ」

「悪いな」

「おねがーい」

「ついでに消しゴムもくれよ!」

「ああ。なんならもう一本シャーペンいるか?」


 クラスメイトが焚火を囲むように間締くんの周りに集まっている。

 傍からみれば親しく談笑しているように見えるのだろう。

 しかし実際は、身勝手な都合で自分の仕事を他人に押し付けているだけだ。

 光を求める蛾の方がよっぽど可愛らしい。


「まただよ間締。利用されてるだけなのも知らずに嬉しそうな顔しちゃって」

「なんでも言うこと聞いてくれるからつい頼んじゃうんだよね。悪いなぁとは思ってるんだけど」

「それな。駒場さんもそう思うでしょ」

「ふふ、そうね」


 悪いと思っているなら頼むんじゃないわよ。


「で、さっきも話してた新しいタピオカの話なんだけど!」

「行くに決まってるじゃん! 駒場さんも行くよね」

「ええ。でも二人とも、今月お小遣い少ないって話してなかった?」

「タピオカ代くらいあるからダイジョウブ。無くなったらパパにもらえばいいし♪」

「うわっ、英子まだやってたの?」

「だって金持ちなんだもんあのオヤジ」


 品性の欠片もない。聞いてるだけで耳が腐る。

 適当な理由つけて今日は早く帰ろう。


「間締すまん! 明日返すから三千円貸してくれ!」

「構わないが、なにに使うんだ?」

「課金だよ! 今日でアプリの限定ガチャが終わっちまうのにプリペイド買う金がないんだ! キャリア決済だと親に怒られるし。頼む! これを逃したら来年まで限定キャラが手に入らないんだ!」

「来年!? それは大変だ! アプリのことはよくわからないが是非使ってくれ!」


 間締くんは財布から三千円出すと、頭の軽そうな男子に躊躇うことなく手渡した。

 わたしの財布から抜かれたわけでもないのに、言葉にし難い感情が胸の中で蠢いた。


「ごめん。わたし今日は用事があったの。また今度誘ってくれる?」

「マジで? でもしょうがないか。さおりは忙しいもんね」

「明日感想教えるからね」


 二人を笑顔で見送ると、わたしは間締くん以外がいなくなるまで教室で待った。

 窓の外がうす暗くなり、吹奏楽部の練習の音が徐々に小さくなっていく頃、誰もいなくなった教室に資料を置いてきた間締くんが戻ってきた。


「駒場さん、まだいたんだ」

「気付いてる?」

「なにをだい?」

「みんながあなたを利用していること」

「もちろん気付いているさ。でも困っているのは事実だし、力になるのはクラスメイトの役目だろ。役に立てるならそれで十分だよ」


 暗い教室を照らすような無垢な笑顔。

 またこの顔だ。わたしはこの顔を見るたびに、背筋を絵筆でなぞられたような気分になる。

 むかつく。ホントにむかつく。


「間締くんって、マジメで良い人だけどつまらない人間よね」




 我ながら最低だ。

 いくら腹が立ったとはいえ、私のような人間が、どの面を下げて彼を非難出来るというのだろう。

 学校をサボるために、わざわざ安いウィッグやタトゥーシールを買い、奇抜なファッションを纏い、偽名まで名乗る臆病な人間が。

 足の踏み場もない部屋で、姿鏡に映るもう一人の自分。

 子供のとき好きだった漫画の主人公をマネた姿。

 普段は子猫のように奔放だけど、男を虜にするときは獲物を狩る豹のようになる小悪魔系ヒロイン。

 最初は外見だけ寄せたつもりだったのに、気付けば性格までマネるようになっていた。

 彼は、この姿の私をかっこいいといった。

 彼は、表向きの私を憧れだといった。

 じゃあ、本当のわたしは?

 本当のわたしを見たとき、彼はどんな反応をするのだろう。

 肯定、否定、それとも――


「ハァ、なに考えてるんだろ。もう一日休もうかな……ん? これって」

 スカートのポケットの中にある違和感を取り出すと、私の手の中でマカペンくんが寝転がっていた。

 その姿はなんとも間抜けで、昼間の彼のようだった。

「楽しかったな」


 自分の言葉に絶句する。

 わたしは楽しかったのか? あの一時間にも満たないやり取りが。

 そんなわけがない。ダサい格好をした同級生と話をしただけだ。

 いちいち癪に障るし、押し倒してやったら寝技とかわけわからないこと言うし。マカペンくんに釣られなければこんな嫌な気持ちにならずに済んだのに。


 だったらどうしてそんな顔してるのー?


 頭の中に呼び掛けてくる声に応えるように、私は改めて自分の顔を姿鏡でみる。

 そこに映っていたのは――


 ******


 こんなに憂鬱なのは初めてだ。

 風邪を引いたわけでもないから休むわけにもいかず、教室まで来たのはいいものの、昨日のことが頭から離れないせいですこぶる気持ちが悪い。

 これでは今日の授業をまともに受けることが出来ない。もう一本、キオスクでエナジードリンクを買っておくべきだったか。


「おはよう」

「おはよう駒場さん」

「どうしたの? 顔色悪いよ」

「少し、勉強をしすぎてしまったんだ。気にしないでくれ」


 駒場さんにまで心配をかけてしまうなんてみっともない。悔しいが今日は早退した方が良さそうだな。


「ほどほどにね。間締くんはマジメ過ぎるから」


 予想外の不意打ち!

 ダメだ。いまのが止めを刺した。もう気力を保っていられない。先に保健室で胃薬をもらわないと。


「あげるわ。タブレット。これ噛めば少しはスッキリすると思う」

「ありがとう。助かるよ」


 いまは胃薬の方が欲しいのだが。

 いや、人の善意を無下にするようなことを思うなんて最低だぞ。これも体調不良のせいだ……ん?

 席に着いた駒場さんが鞄を机にかけると、その鞄には、見覚えのあるストラップがついていた。


「駒場さん、それ」


 俺が目を丸くしながら訪ねると、駒場さんは力の抜けたカエルのような顔で笑いながら、


秘密シークレット


 そう、囁いた。

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