6-5 面倒くさい編集担当
志紋くんとはあのあと直接会わないまま、私は普通に高校に通う日常生活に戻ってしまった。
スマホでメッセージのやり取りは、した。
私がカメラの前で踊るのが怖いこと、怖くなってしまった理由、踊り手をやめた経緯をちゃんと打ち明けると、彼には『ごめん』と謝られた。志紋くんと踊るという話もいったん白紙に戻った。
別に、志紋くんのせいだと責める気持ちはないんだけど。ヒロは私が踊れなくなったのは志紋くんが悪いと思っているみたいだ。
正直、何が一番の原因で何が悪くて何に責任があるのかなんて、私にもよくわからない。
ただ、なんだか自分でもよくわからないものをよくわからないまま乗り越えようとして失敗したな、というのだけはわかる。
「寒いね~」
昼休み、廊下の窓を開けて外を眺めていると、すっと隣に紗綾がやって来た。
目が合うとにこっと笑いかけられる。
「何見てんの? あ、池?」
私たちがいる二階の窓の真下には、小さな池があった。
春に鯉を釣って動画を撮った池だ。
十一月も下旬の肌寒い風に吹かれて、少し濁った池の水はゆらゆらと揺れていた。
「亜紀羅、最近どうよ」
「どうって何が?」
毎日学校で会ってるじゃん、と少し笑ってしまう。
「いや、ちょっと元気ないかな~って思ってさ。これから寒くなるからねえ。亜紀羅は寒がりだっけ」
「うん。冬生まれなのに寒さに弱いんだよね。真冬の冷たい風とか我慢できない」
「おトイレも近くなるからね」
「それは、私はないかな」
「マジで?」
私だけか、と両手で顔を覆う紗綾を見て笑いながら、私は窓を閉めた。
顔に当たっていた風がなくなりふんわりとあったかくなる。
ふいに、紗綾が私の肩を軽くつついた。
「大垣くんと喧嘩でもしてるの? そこで話したそうにしてますよー」
「え?」
紗綾の指差す先を振り向くと、数メートル離れたところにハルが立ってこちらを見ていた。
もうすぐ授業が始まろうとしていて、廊下にいる生徒はみんな教室へ戻るために動き始めている。
そんな中で立ち止まっているハルは、妙に浮いて、目立って見えた。私たちが見ていることに気付くとハルはこちらに歩いて近づいてくる。
そういえばここ数日は彼と会ってなかったな。
ハルや芙雪くんがやりたいと言っていた内容の動画の撮影も、誘われたけど行かなかった。
私がいなくても問題なさそうだったし、少し撮影も休憩したかったし。
「さっちゃん」
いつもと変わらない、明るく屈託のない笑顔。
「ハル、久しぶり」
「うん。昨日、うち来れば良かったのに。撮影で面白いことあったんだよ」
「……そうなんだ」
動画の話になりそうだと察した紗綾がひらっと手を振って私たちから離れる。
「亜紀羅、私教室戻ってるね。じゃ、大垣くんもまたね」
「あ、うん」
「紗綾ちゃん途中で俺が割り込んでごめん!」
「いえいえ~」
紗綾がいなくなって二人だけになったところで、ハルは少しだけ笑みを曇らせた。
「ヒロがさ、なんか上手くいかなかったって言ってたけど。踊るって話。詳しくは本人から聞けって言われたからあんまり知らないけど」
「ああ……撮影はしてみたけど、やっぱ駄目だったっていうか」
踊れなかったわけじゃない、けど、楽しくは踊れなかった。
ヒロが言った操り人形というのは、その通りだったと思う。踊らされていただけ。無理に踊っていただけ。あんなの私が好きだった「踊ってみた」じゃない。
ずん、と重く暗い気分になってハルから下に目線を落とす。
「さっちゃんってさあ」
俯いた頭の上からのんびりとしたハルの声が聞こえる。
「ときどき、うじうじしてて面倒くさいよね」
「……え?」
思わず顔を上げると、相変わらず笑顔のハルと目が合った。
「面倒くさい性格してるよね」
「……いや、二回言わなくても良くない!?」
そんな笑顔で刺さるようなことを言われても困る。
ハルにしては珍しい、厳しめの言葉だ。
彼にこんなこと言わせたということは、今の自分の悩み具合はよっぽど見ていて鬱陶しいのだろう。
「踊れなかったからって何も変わんないし。別に人生終わるわけじゃないし。今まで通りやればいいじゃん。撮影編集担当のさっちゃんとして、普通に今まで通りやってけばいいじゃん」
自分でもわかってるけどさ、そんなの。
そうやって、悪いことは気にせずに前向きにいられたら。
「明日の撮影、いつもの公園。東さんも様子見に来るって。絶対に来なよ」
授業五分前の予鈴が鳴る。
「じゃあね、また明日」
ハルの後ろ姿を見つめる。
この人みたいにカラッと生きられたら。
人生終わんないしって切り替えられたら。
最初からこんなことでうじうじしてないっつーの。
*
次の日の撮影。私たちは公園の砂場に座り込み、四人それぞれがせっせと砂で造形物を創作していた。
企画発案者のハル曰く、「個人対抗、砂アート選手権」だそうだ。
カメラは私をのぞく、三人の様子を静かに録画している。
さっきからかなり長時間録画しているから、実際にはほとんどがカットになるだろう。
何かハプニングやアクシデントがあれば切り取って使うつもりだ。
あとは、最終的に出来上がった砂アートを撮れたらそれでいい。
「私も何か作ろうかな~」
黙って様子を見ていた東さんが、私の隣でさらさらと砂場の表面を撫でた。
今日、東さんは撮影の様子を見に来たついでに、この「選手権」の審査員役もやってくれることになった。
動画の最後で四人のうち一番良い作品を決めるのだ。
特にテーマは決まっていないから、それぞれ好き勝手に砂を固めて何かを作っている。
私は埴輪を作っていた。
そんなに難しくなさそうだし、上手くできたらちょっと間抜けな感じが可愛いんじゃないかと思って。
他の三人は何を作っているのかわからない。
完成してからのお楽しみということであえてあまり見ないようにしている。
私は今のところそこそこ順調で、時間も余りそうだから大中小の三つ作るつもりだ。
「東さん、水使います?」
近くに転がっていた水道水のボトルを差し出す。水で砂を固めることができるのだ。
「あ、はい。ありがとうございます。よーし、何作ろうかな」
砂場には似合わないオフィスカジュアルなシャツとパンツ姿で気合いを入れ腕まくりする様子に、ふふっと笑みを浮かべてしまう。
二十代の女の人ということしか知らないけれど、見た目は十代みたいに若い人だからこうして私たちに交ざっていると、同じ高校生同士みたいだ。
「おお、東さんも参戦してる」
ヒロが気がついて驚いたように東さんを見た。楽しそうにハルが笑う。
「せっかくだから完成したら東さんのも動画撮りましょうよ。五人対抗にしちゃおう」
「えーっ、いいんですか? あっでも、まだハルちゃんねるがCOCに加入することが発表されていないので、誰だこの女ってなっちゃいますよ。マネージャーだって名乗ることもできないし……」
「でも、この動画が出る頃にはもう加入発表されてるんじゃないですか?」
芙雪くんの提案に、みんな少し驚いたように顔を見合わせた。
「そっか、もうすぐ十二月だもんね」
「だな、なんか早いなあ」
しみじみとつぶやく私やヒロに対してハルが苦笑する。
「ほんと、あっという間だね。というわけで、東さんも参加しちゃえばいいんじゃないですか。どうせもともと審査員やってくれる予定だったし」
「それもそうですねー……でも、いえ!」
東さんがぱんと手を叩く。
「やっぱり私はナシで動画出しちゃってください。加入直後からマネージャーが出しゃばった動画っていうのも微妙ですしね~」
「そうですか? わかりました」
まあ確かにそうかもなあ、なんて考えながら再び手を動かし始める。
それと同時に芙雪くんが「ひゃ!」と妙な声を上げる。
「崩れちゃいました……」
「わあ、どんまーい」
「ヒロさんはもう完成しそう……」
「うん、もうすぐできる。てかハルのそれ何?」
「え? まだ秘密だよ! さあ何でしょう~」
「いや、まったくわからん。やたらデカいけどさ。隕石?」
「ち、違うよ全然違うんだけど」
「でも僕も隕石に見えます」
「うそお」
わいわいと話す男子三人組をぼーっと見ていると、東さんが私を見た。
「仲良しですね」
「まあ、いつもこんな感じです」
「いいですね。この雰囲気が画面の向こう側にも伝わるから、ハルちゃんねるを見る人がいるんだと思います」
「そう、ですかね……。三人がかっこいいから好きっていう人もいるみたいですけど。学校とかで聞くと。私はおまけっていうか」
最後は冗談混じりで、弱気に笑ってみせる。
撮影も編集も、ハルがいればできるんだから。私がいなくても案外上手くいくかも、なんて。
「そんなことないですよ。ハルくんヒロくんフユキくんの三人だとまた違った雰囲気のチャンネルになっていたと思います。さっちゃんのいいところは、メンバーが楽しそうに、仲良さそうにしている雰囲気がそのまんま伝わるような編集ができること。それから、画面に映っていなくても明るい声で、三人と一緒に楽しそうにしていることがわかること。顔を見せない裏方でも、間違いなく彼らの仲間で友だちで、お互いがお互いを好きだから一緒にいるんだなって思わせてくれるところ、だと思いますよ」
私は、歌うようにそう喋りながら手を動かす東さんを凝視した。
私のいいところとかそういうの、考えたことなかった。
この人、すごいな。
高校生みたいな見た目でもちゃんと、私のことを見ていてくれる大人なんだ。
「でも仲が良い分、喧嘩とかするとそれも動画で雰囲気伝わっちゃいそうですねー。隠して明るく撮影しても、かたい空気とか視聴者にばれちゃいそう。そこらへんどうなんですか? 喧嘩したまま動画撮ったことって……さっちゃん!?」
東さんが私を見てぎょっと目を見張る。
「さっちゃん……!? どどどどうされました? なんで泣いてるんですか!?」
言われて、私は濡れた目尻と頬を拭った。
東さんの声に驚いた他の三人も、私を見て驚いた顔をしている。
目を丸くしているハルと目が合った。
ふと、何か言ってやりたくなった。
「……ハル」
「う、うん?」
恐る恐るといったふうに首を傾げるハルに、私は涙目のまま言葉を吐き出した。
「ハルの、ばーか」
「えっ、えー……?」
困惑した表情が面白くてちょっと笑ってしまう。
ヒロも芙雪くんも東さんも、ぽかんと口を開けたり目を丸くしたりして私を見ていた。おかしい。
「どうせさ、ハルの言う通り私は面倒くさいですよ、ハルとは違って!」
「な、え、ちょ……根に持ってたのそれ!?」
「私も私が面倒くさくてうじうじしてんのはわかってるよ、でもさあ、でもっ……バカやろー!」
「ままま待ってください、え!? 今ここで喧嘩ですか? 今!?」
慌てる東さんを横目に、私は思いっきり叫ぶ。
「私だってさ、みんなと同じになりたいの! みんなができることをできるようになって一緒にやりたいし! みんながカメラの前に立つなら私だって一緒に立ちたいってたまに思うんだよ! そうじゃないとさあ、そうじゃないと、寂しくなるじゃん。ちゃんと仲間になれてない気が、するじゃん……」
自分だけ置いていかれたような。
三人と私の間に線が引かれてしまったような。
気のせいだと笑って流されることだってわかっているけれど、それでも自分で納得できないことも、あるって。
「だからさあ、動画に映ってみようってやってみたくなることだってあるじゃん。みんなが無理しないでって言っても。私、面倒くさい性格だから」
あーあ。何言ってるんだろう、私。
口に出してしまうとなんだか虚しくなってきて私は砂で汚れるのも構わず仰向けに寝転んだ。
空。青にうっすらと朱色を混ぜ込んだ自然のキャンバスが目の前に広がる。
ぐだぐだ言ってないで砂アートの続きを作れ、もう夕方だぞ。もうすぐ夜になるぞ。
上からそう話しかけられているような気分になる。
何秒間そうしていたのか、静かな沈黙の中、ぽつりとハルがつぶやいた。
「じゃあ、面倒くさいままでいいよ、ばか」
上からのぞき込んで、私に目線を合わせてくる。
あんまり私はハルに、ばかとか軽口でもそういったことを言わない。
怒らせたかなと一瞬ひやっとしたけれど、そういうわけではないようで彼はにやりといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「面倒くさいのも含めて、うちのチャンネルの撮影編集のさっちゃんなんでしょ。面倒なやつだな、また悩んでるのかよって思いながら一緒にいてあげるよ」
「……何それ」
予想外の返答に、それ以上もう言うことがない。いや、ひとつだけある。
「じゃあ、よろしく。ありがと」
私の少しばかり投げやりな口調にも、ハルは律儀に「うん」とうなずいてくれた。
「……解決したの? めんどくさ」
呆れたようにヒロがつぶやく。
それを黙って見ていた芙雪くんが、ふふっと笑い声を漏らした。
「さっきから面倒くさいばかりですね。……あのー、ところで東さん」
「ふぇっ? は、はい! なんでしょう?」
勝手に解決してしまった私たちに着いていけなくて呆気にとられていた東さんが、我に返って返事をした。
芙雪くんがおずおずと彼女の足元を指差す。
「それ、東さんが作ったんですよね? えーと……もしかして美大出身だったりします?」
「いえ? 違いますよ。私、経済学部卒です」
私は起き上がって、ハルと一緒に芙雪くんの指の先を見る。
「……」
言葉が出なかった。
「東さん!?」
「……は? うっま……」
そこには、砂で造られた完璧なミニチュア版「自由の女神像」が、いた。
東さんが、へへっと屈託なく笑った。
「昔っから手だけは器用なんですよー。大して役に立ったことはないですけど」
最終的に、砂アート選手権は優勝がヒロの「超絶かっこいい自動車」、二位が私の「埴輪くん大中小」、三位が芙雪くんの「砂の城(崩れたけど見逃してください!)」、ビリがハルの「餅つきするウサギ」……だと本人は言うが見た目は隕石、という結果になった。
だけど、どう考えても今回の優勝は東さんだ。
アーティストになれるんじゃないかというくらいの出来だっから、せっかくなので彼女の「自由の女神像」も撮影しておいた。編集でカットしてしまうのが惜しい。
ちなみに公園に残された五つの造形物は、誰が作ったか知らんがめっちゃ上手い女神立っている、すげえ、と翌日遊びに来た小学生たちのあいだで話題になったらしい。
というのを、ご近所さんから聞いたと数日後にお母さんが言っていた。
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