5-2 楽しいの?

 私が志紋くんが後援で踊るのを初めて見たとき、彼はまだ動画投稿を始めて数ヶ月だった。

 下の名前からそのまま取った「シモン」という名前で活動を始めていた志紋くん。

 ダンスを習っていたわけではないけれど、もともと運動神経が良くてスポーツ万能だったからか、志紋くんのダンスはリズム感がしっかりしていて体も大きく動く、見ていてかっこいいものだった。

 そのかっこよさは見ている人たちにも伝わったようで、半年もすれば彼は動画サイト内のランキングでも上位に躍り出るようになった。

 私も、いつも志紋くんと一緒に好きな曲の振り付けを練習して撮影して、たびたび動画をアップするようになり、それなりに踊り手の「アッキ」は有名になりつつあった。志紋くんのチャンネルだけど、動画のコメント欄にはアッキが好きだと言ってくれる人たちが何人もいた。突然開けた世界は小学校や家の中の小さな空間とは違い、私が人気者になったかのような錯覚を起こさせた。

 けれどそんな私の変化を上回って、志紋くんの周囲はもっと大きく変わっていった。




「いいよなあ、兄ちゃんは。東京行けて」


 玄関でスニーカーを履く志紋くんの後ろ姿を見ながら、ヒロが唇を尖らせた。


「なんか、おみやげ買ってきて。食べ物がいい」


 ヒロの要求に志紋くんが苦笑する。


「オッケー。お菓子でも買ってくるよ。アッキは? 何か希望ある?」


 ヒロの後ろに隠れていた私にも声がかかる。少し考えてみるけれど、特に何も欲しいものはない。


「ヒロと同じやつがいい」

「わかった。んー、東京って寒いかなあ。志大、マフラーいると思う?」

「ここからそんな遠くないし寒くないんじゃねえの。でも兄ちゃん寒がりだしな」

「そうなんだよ。暑いのは我慢できるけど寒いのは我慢できない。あ、やっべ、もう行かないと電車乗り遅れるわ。じゃ、行ってきまーす」


 ジャケットを羽織って志紋くんは、結局マフラーを持たずに慌ただしく出ていった。

 三月になったけれど、外はまだかなり肌寒い。


「東京かあ……」


 静かになった奈津田家の玄関に、私のつぶやきがぽつんと漂う。

 今月、志紋くんはこの地域で有名な進学校と言われている東高を卒業した。

 本来まだ受験シーズンの最後の時期だけれど、早々に東京の大学に合格して今は入学を待つのみの状態だ。

 ずっと勉強を頑張って偏差値の高い大学に受かったんだからのんびりできる……と言いたいところだけれど、実際の志紋くんは忙しそうに動き回っていた。

 高校三年間で彼はシモンとしてどんどん有名になり、踊り手関連のイベントにも出演するようになっていた。それから、他の有名な踊り手と一緒に踊って動画を撮る、コラボ動画も多くアップするようにもなった。

 今日だって東京でイベントに呼ばれているのだ。


「行きたかったら亜紀羅も行けばよかったじゃん。今日のイベント、本当は亜紀羅と二人で声かかってたって兄ちゃん言ってたけど」

「んー。私は、イベントはいい」

「なんで」


 志紋くんはどんなに有名になっていっても、定期的にこれを踊ろう、あれを踊ろうと誘ってくれて、一応私たちはコンビとして知られるようにもなっている。今回みたいに私も志紋くんと一緒に呼ばれることも何回かあった。お父さんやお母さんも、行きたかったら行っていいよとは言ってくれていて、昨年一回だけ参加してみた。でも、もう二回目はいいかな。

 私は廊下の壁に背中をくっつけて座りこんだ。キュロットとタイツを履いたお尻が床の冷たさでひんやりする。

 長話をしたいという私の心の中を読み取ってくれたのか、ヒロも隣に同じようにして座った。ヒロのほうは短パンで膝小僧が見えている。家の中とはいえちょっと寒そう。


「なんかね、イベントのときの志紋くんは、あんまり好きじゃないから。行かない。いつもとちょっと違うの。志紋くん、女の人のファンが多いからきゃあきゃあ言われるし、他の出演者のお姉さんたちにもモテるし、すごい人気者なんだよね。たくさんの人に囲まれてる志紋くんって、変な顔してるから好きじゃない」


 なんと説明すればいいのかわからず、変な顔と言ってしまったけれど、正確に意味を読み取ったヒロは、ああ、と乾いた笑みを漏らした。


「踊り手の女の人って可愛い人多いもんな。それから女のファンも多いんでしょ。きっと気取った顔してんだ」


 気取った顔。そうかもしれない。一分の隙も見せないような完璧な笑顔に相手を喜ばせるような優しい声音に、王子様みたいな態度に。

 そういった行動も確かに志紋くんなのだけれど、何かが私やヒロの前で見せる志紋くんとは違った。そういうのが、なんか嫌だ。それに。


「志紋くんのことが好きな女の人、私には冷たい人もいるしさ」


 思い出して、私はずんと肩を落とす。ヒロが隣で小さく身じろぎをした。


「女の嫉妬だ。こわ」

「私を敵対視されても……志紋くん、私のこと関係なく彼女いるときはフツーにいるし」


 できればそっちに嫉妬していただきたい。こんなちんちくりんの中学生相手ではなく。もちろん、全員が冷たいわけじゃない。私を子ども扱いする人ほど、可愛いを連呼して優しくしてくれる。でも、これから大人になればなるほどそれらの反応が冷たくなっていったりするのだろうか。想像するとぞっとする。


「それにさー……」


 無意識に続きを言いかけて、ハッと口をつぐむ。

 けれどもちろんすぐ隣にいたヒロにはしっかりと聞こえていて、言葉の続きを促すように見つめられてしまう。


「や、やっぱ……なんでもない」

「いや、そこまで言ってやめるのはなくない?」

「あー……」


 目をそらさないヒロ。話を聞くまでこのままかもしれない。仕方がないから言うか。心配してくれてるんだろうし。


「私……太ったと思う?」

「……は?」


 ヒロの口から間抜けな声が漏れる。


「あと、ブスだと思う?」

「は? え? 何言ってんのかちょっとわからない」


 そりゃそうでしょうよ。ヒロは私の踊ってみたの動画を基本的に見ていないのだから。


「だって、そう言われたんだもん」


 はあ、と大げさについたため息は、やけに響いて廊下や玄関に霧散した。



 一旦、自分の家にヒロを連れて戻り、家のパソコンを起動させる。動画サイトにログインして、一番最近に撮影した動画の再生ボタンを押した。

 すぐに動画が読み込まれ、画面の中の私が動き出した。

 立ったまま机の上のそれを覗いていたヒロが面倒そうに画面と私を交互に見る。


「何? これ見ればいいの?」

「うん」


 真冬に外で、一人で踊ったものだ。お気に入りのクリーム色のセーターに、ひざ上丈の赤いチェックのスカート、黒タイツにショートブーツという服装。

 ゆったりとした曲調に合わせて振り付けもそんなに激しくないため、とにかく音に合わせてミスのないように丁寧に踊ったのを覚えている。

 画面には、踊る私の他に動画を見た人のコメントも映し出されていた。私はそのコメントを指差してヒロに見せた。


「ほら、見て」


 いつも通りの「上手」「可愛い」といったような褒め言葉の中に、いくつか紛れ込んでいる単語や文章。


“アッキ、前に比べて太った?”

”服のせいかもしれんが、太くね?”

”ブス”

”そんな騒ぐほど上手くもないし可愛くない”


 平然を装ってヒロにこれを見せてはいるけれど、目に入るたびに胸の奥がズキズキと疼くような感覚に覆われる。

 私はなるべくいつも通りの明るい口調になるように、唾を飲み込んでヒロを見た。


「ね? だから太ったかな、ブスになったかなって。まあそういう、どうでもいい悩みですよ」


 心の読めない無表情で画面をじっと凝視していたヒロが、前屈みになっていた姿勢を正して伸びをした。


「気にしすぎじゃん? 亜紀羅もともとガリガリだったし今くらいでよくない?」

「それってやっぱ太ったってこと!?」


 私よりもひょろっとしているヒロに言われると二倍ムカつく気がする。

 彼の背中をバシバシと叩いてやる。


「いたっ、いった! 馬鹿力!」

「うるさい~!」


 そんなにきつく叩いてないし。手を止めると、ヒロはこれまた細長い腕を持ち上げて、頭をガシガシと掻いた。


「それで、これ書かれたからイベント行かないの? なんで?」

「だって、怖い。誰が書いたかわかんないけど、イベントに出たり参加したりして、やっぱり本物も太いなあとかブスだなあとか、思われるの嫌だよ」

「ふーん」


 なんでか聞いてきたわりには興味なさそうな返事が返ってきた。もういいや。今ここで何を言っても私は今日、イベントには行かないのだから。

 それに、前よりも少し太ったのは本当だ。他人に言われなくても自分の体の変化は自分が一番よくわかっている。

 デブと言われるほどでもないし学校の友だちや親からも何も言われないけれど、腕や脚が少し太くなったとは思う。顔も心なしか少し丸くなったような。ぽっちゃりの一歩手前といったところか。

 正直、イベントだけじゃなくてこうした動画の撮影そのものも、最近は躊躇うときがある。画面の中で私はどういう風に見えているんだろう。ステップ下手だろか思われていないだろうか。デブに見えてないかな。ブスに見てないかな。


「まあとにかく、色々理由があるからイベントには行かないの。しょうもない話聞いてくれてありがと。ヒロ、午後から塾じゃなかった? もうそろそろ行く準備したほうがいいかもよ」


 停止ボタンをクリックする。動画を消して、パソコンの電源を落とした。


「塾かー。あー、さぼりたい」


 ヒロは中学に入学したあたりから、学習塾に通い始めた。もともと成績は悪くなかったのにさらに良くなって、学年でも一位二位を争う成績をキープしている。

 たぶん、志紋くんと同じ東高に行くんだろうな。ただ、親に無理やり塾に申し込まれたみたいでヒロ本人は嫌々通っているという感じだ。


「さぼったらヒロのお母さん怒るよ」

「わかってる。行く。……なあ、亜紀羅」


 部屋を出て玄関に向かって歩きながら、ヒロが私を振り返る。


「んー?」


 後ろをついていきながら首を傾げると、ヒロは迷うように私から目をそらし、前を向く。


「そんなさ、嫌なことが色々あるのに、踊ってて楽しいの?」

「え……」


 予想していない質問をされて、言葉につまる。

 口を開けたまま一瞬固まる私を見て、ヒロは困ったように眉を下げた。


「いや、特に深い意味はないんだけど。俺、亜紀羅みたいに長く続けてることがないからよくわかんなくて、ただ、楽しいのかなって」

「……楽しいよ。踊るのは好きだし、志紋くんも優しいし」


 嘘は、言っていないはず。踊っているときは本当にわくわくしている。志紋くんと一緒にいるのも楽しい。

 だけど、でも。

 いつから楽しいだけじゃなくなったんだろう。こんな些細なことを気にするようになったのって、いつからだっけ。

 私、本当に楽しいのかな。

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