5-3 志紋くんとだけ踊っていれば

 踊るときには、人それぞれのリズムがあると私は思う。

 ちゃんとしたスクールでダンスを習っているわけでもないし上手く説明できないけれど、音楽への乗り方、拍の取り方が人によって違う気がする。

 そういったリズムが、私と志紋くんはぴったりだった。

 右へ左へステップを踏んで、曲の最後の音に合わせて体を止める。すぐ横で同じ振りを踊っていた志紋くんも全く同じタイミングで動きを止めたのが、空気で伝わった。


「よっしゃ~! 一発ノーミス!」

「わーい! お疲れさま!」


 両手を出され、ハイタッチをしてそのまま床に寝転がる。アップテンポな曲だったから息が上がっていた。

 今日は志紋くんが考えたオリジナルの振り付けで踊った。だいたい彼は、自分で振り付けた曲を踊るとき、私を誘う。練習や撮影は、家の近所のこともあるし、東京まで出て踊り手に人気の撮影スポットで撮ったりスタジオを借りたりすることもある。

 今日は、志紋くんの大学で、彼が所属しているバスケサークルの練習時間になる前にちょこっと体育館の端っこを借りて撮影した。

 時間がそんなになかったから数回しかやり直しができない状態だったけれど、逆に集中できてまさかの一回目の通し撮影で完ぺきに踊りきることができた。

 わりとゆるいサークルで、練習が始まるまでは自由に使ってOKと許可は出ていたらしいけど、本来の使用目的ではない、しかも部外者中学生の私が紛れ込んでいる状態にドキドキしていたから、早く終わって良かった。


「志紋くん、これいつ編集するの?」


 カメラの片付けをする志紋くんを手伝いながら尋ねる。


「まだ決めてないけど、今度のゴールデンウィークかな。なんで?」

「大したことじゃないんだけど、今回のってかっこいい感じの曲でしょ? 画面の明るさ、ちょっと暗めが雰囲気ありそうだし、いいなあって……」

「ああ、いいかもね」


 考えるまもなく志紋くんが賛成してくれる。二人で撮った動画の編集のとき、彼は私の希望をこうして結構聞いてくれる。今回も同じ感じかなと思っている。と、志紋くんは悪戯っぽく目を光らせて口を開いた。


「アッキ、編集してみる?」

「えっ?」


 目を瞬かせると、カメラをケースにしまい終わった志紋くんは、我慢できないというように吹き出した。


「そんなびっくりした顔しなくても。前からそういうアッキのアイデア、好きなんだよね。よく俺が編集してるの横で見てるからやり方わかるだろ? 編集ソフトの基本的な使い方は教えるからさ、やってみる?」


 確かに一度やってみたいとは思っていた。けれど、いいのだろうか。


「全部やっていいの? 志紋くんのファン、がっかりしない?」

「しないしない。誰が編集したって踊ってるのは俺だもん」

「完成したら一回確認してくれる?」

「うん」

「じゃあ、やる」

「よし、決まり」


 よろしく、と肩を軽く叩かれる。触れた志紋くんの大きな手が熱い。

 答えるようにうなずいたそのとき、しんと静まっていた二人だけの体育館の扉が開く音がした。


「ちわーっす。あ、志紋。早いじゃん……って、そっか。撮影してたんだっけ」


 入ってきたのは志紋くんの友だちの圭くんだった。バスケサークルのメンバーだけどそれだけじゃなくて、志紋くんが高校生の頃から彼と一緒によく動画を投稿している踊り手でもある。仲良しだから同じサークルに入ったらしい。

 私も前から知っている顔だけれど、高校生のときには明るい茶髪だった髪が大学生になってから黒になって賢そうな雰囲気になった。もともと黒髪でインテリっぽい感じの志紋くんとはネット上で「双子かよ」と最近言われているらしい。


「そ、今終わったとこ。一回目でノーミス終了」

「うわ、すっご。もともと志紋もアッキちゃんもミス少ないもんなー」


 のんびりと歩いて近づいてくる圭くんに私は軽く会釈した。


「志紋くん、私もう帰るね」

「あ、そう? まだ時間あるから休憩してってもいいけど」

「ううん、明日月曜なのに宿題してないから早く帰らなきゃ。こう見えても私、受験生なんだよー」


 喋りながらタオルやペットボトルのスポーツドリンクをリュックに片付けて手に持つ。背中に背負って準備万端、と姿勢良く立つと、志紋くんは軽く片手を挙げた。


「そういや中三だもんな。こんなとこまで呼び出してごめん。気を付けて帰りなよ。ばいばい」

「アッキちゃん、ばいばーい」

「ばいばい。……圭くんも」


 志紋くんには手を振り、圭くんにはぺこりと頭を下げてから、二人に背を向ける。


「……アッキちゃんの人見知り、相変わらず?」


 体育館を出ようとする直前に圭くんの心配そうな声が微かに耳に届いた。


「性格なんて人それぞれだし、アッキは……大人しいだけでいい子だよ」

「それはわかってるけどさあ……わかってないヤツもいるじゃん? 踊り手の中ではさ。あとお前のファンも」

「わかってないやつは放っておけばいいんだよ。気にしすぎるのはよくない」

「いやあ、でもなあ。イベントとか依頼は来てるらしいじゃん。二人セットで。断ってばっかじゃチャンスを逃し……」

「本人がやる気ないんだから無理に引き受けさせたって意味ないだろ」


 そっと体育館の扉を閉める。圭くんと志紋くんのひそひそ声は全く聞こえなくなった。

 唾を飲み込むと、なんだか苦いような気がした。

 しんと静かな体育館を出て、日曜で人通りの少ない大学構内を早足で歩く。早く、ここを出て帰ろう。

 踊ってみたを始めるまで、自分が年上の人たちに対してこんなに人見知りをするなんて知らなかった。志紋くん以外の人と、上手く付き合うことができない。

 何を話せばいいのかわからない。どんな顔をすればいいのかわからない。

 志紋くんの周りに集まる人たちはみんなかっこよくて可愛くて、明るくて社交的で。根本的に私と違う。圭くんも、志紋くん自身も。

 この人たちは、本当は私と同じ世界の人じゃない。一緒にいて楽しいことよりも、戸惑うことや居心地が悪くなることのほうが多い。

 イベントも相変わらず怖いから、依頼が来ても受けない。志紋くんのファンが怖い。自分のファンも怖い。何を思って私をみているんだろう。

 ださい冴えない、女子中学生? 志紋くんと一緒に実物で現れたらひどいブスだった、とか? コメント欄には下手くそと書かれたこともあるから、そういうことを思う人もいるかもしれない。


 わからない。何を思われているのかわからない。

 だけど少なくとも、カメラの前で踊っているだけならそんなに怖くない。

 コメントには何か書かれるかもしれないけれど、誰も私に会いに来て直接ひどい言葉をかける人はいない。

 志紋くんとだけ踊っていれば、私と一緒に踊って下手くそだと思う人もいない。志紋くんの邪魔をしないようにだけ必死に踊っていれば、何も怖いことなんて、ないはずなんだから。





 志紋くんに手伝ってもらいながら編集した動画は、何事もなく公開されて翌日のサイト内ランキング一位になった。


「亜紀羅ちゃんって踊り手のシモンとよく会うの?」


 放課後、帰ろうと思ったら特に仲良くもない同級生に廊下で呼び止められて、何だろうと思えば志紋くんのことか。私は無理矢理笑みを浮かべて首を横に振った。


「よくは会わないよ。忙しい人だし」

「えー。でもよく一緒に動画出してるよね? このあいだ投稿されたやつも見たよ。連絡先とか知ってるんでしょ。いいなー。友達のよしみで一回会わせてよー」


 その間延びしたような話し方をする同級生の女子は、私に話しかけているのにどこか私の向こうを見ているような態度だった。私を通して志紋くんに会ってみたいだけの人。たまにいる。それに友達になった覚えなんてない。


「ごめんね。そういうのはちょっと……無理だよ」

「えー、そうなのー? あっ、でもさ、亜紀羅ちゃんもけっこう有名だよね? 今度私と一緒に踊って動画撮らない? 私もネットに出て有名人なってみたーい」

「えっと……」


 返事に困っていると、すっと彼女の背後、私にとっては彼女を挟んで向かい側に人影が。


「なあ、廊下の真ん中、邪魔」


 見ると、ヒロが気怠そうにそこに立っていた。

 眠いのか不機嫌なのか目付きの鋭さが際立っている。


「あ……ご、ごめんなさーい……」


 小さな声とともに彼女はそおっと廊下の端に移動した。私も少し横にずれる。

 奈津田志大といえばうちの学年でも素行が悪いことで有名で、普通は話しかけられると怯える人が多い。彼女も例外ではなかったようで、ヒロと私に愛想笑いを向けると「じゃあまたね、考えといてー」とその場から離れていった。


「なにあれ。兄貴狙い? きっしょ」


 あけすけな物言いにひやっとする一方で安心もして、私は苦笑いした。


「ヒロー、きしょいとか言わない。たぶん有名人に興味あるだけだと思う、いつも通りの」

「亜紀羅は優しすぎんだよ。俺はお兄さんにに会わせてとか言ってくるやつにはガン飛ばすようにしたら誰も何も言わなくなったけどな」

「そんなんだから怖がられるんだよ……」

「知らん。どーでもいい」


 ふう、とため息をつきながらヒロは髪を無雑作に掻いた。黒髪の影で銀色の粒が光った。


「……ピアス、開けたの?」

「先輩に開けさせられただけ」


 面倒くさそうに答えるヒロの背後から、「志大ー」と呼ぶ声がした。

 派手な金髪の下級生と、同じ学年で制服改造しまくり、メイクも濃くてよく先生に呼び出されている女子が手招きしている。よくヒロがつるんでいる人たち。


「じゃ、行くわ」

「どこ行くの?」

「カラオケ。じゃあな」


 ヒロはふらっと私に背を向けて彼らのところへ行こうとした。けれど、思い出したように振り返って私を見た。


「そういえばさ、兄貴、こないだ彼女できたって家に連れて来てたけど、マジなん?」

「……え?」


 マジも何も、そんなの知らない。

 ゆるく首を横に振ると、ヒロは意外そうに目を見開いた。


「踊ってみたで知り合ったって言ってたから亜紀羅とも知り合いかと思ってた。なんだっけ、かりんとう……? って名前で活動してるとか言ってたけど」

「あ……」


 名前を聞いて思わず顔をしかめる。

 踊り手の花林糖さんなら知っている。志紋くんを通して会ったことならある。

 志紋くんとはお似合いかもしれないけれど、私は苦手な華やかなタイプの人だ。

 志紋くんと本当に付き合い始めたのだろうか。それじゃあ、マンションにも来ることが多くなるだろうか。


 あんまり会いたくない。


 それにしても、志紋くんはそういうこと、私には教えてくれないんだな。

 私だって花林糖さんのこと知ってるのに。一緒に踊ってるのに。幼なじみなのに。

 気がつくとヒロはもういなくなっていた。周囲の生徒たちもほとんど下校したか部活に向かったかで姿が見えない。


「……帰ろ」


 もやもやとした嫌な気分を抱えたまま、私は帰宅したのだった。

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