5 澤亜紀羅の過去。

5-1 きっかけ

 志紋くんが、何やら変わったことをしているのに気づいたのは、小学五年生の夏だった。


「ヒロー、それ一口ちょうだい」


 ブランコに座ってアイスキャンディーの袋を開けたヒロが、隣りのブランコに座る私をちらりと見た。


「なんで。自分の持ってんじゃん」

「ヒロが買ったスイカ味も気になってきてさー……お願い!」


 マンションからすぐ近くの小さな公園は、コンビニに寄った帰りの私とヒロしかいない。暑いからお互いのお小遣いでアイスでも買おうという話になり二人で出かけたのだが、帰る前にアイスが溶けそうだし早く食べたいからと公園で早速袋を開けてしまった。

 買うときにはソーダ味がいいと思ったけれど、いざ隣にいる幼なじみが違う味のものを持っていると、なんだかそっちも食べたくなってくる。

 ちょっとだけくれないかな~、なんて思ってお願いしてみる。と、ヒロは「んんん」と嫌そうに数秒唸ってからスイカバーを私に差し出してきた。


「そっちのソーダ一口くれるんなら、いいよ」

「やった!」


 お互いのアイスを交換して一口囓る。


「おいしい~。はい、ありがと!」

「ん」


 スイカ味を返してソーダ味を受け取る。こっちも囓ると、よく食べるお気に入りの爽やかな風味が口の中に広がった。あっという間にスイカの後味は消えてしまった。

 蝉がうるさい暑さの中、今度はスイカ味を買おう……なんて考えていると、ヒロが「あ、」と急に声を出した。


「兄ちゃんだ」


 公園の入口を見ると、ヒロのお兄ちゃんの志紋くんが一人で中に入ってきたところだった。


「おーい、兄ちゃーん」


 ヒロの声に気づいた志紋くんは、少し目を見開いてこちらに駆け寄ってきた。


「ヒロとアッキじゃん、こんな暑いとこで何やってんの……あ、アイスだ。いいなあ」

「コンビニで買った。兄ちゃんこそ何やってんの?」

「ダンス。踊りに来た」

「ダンス!? なんの? アイドルみたいなやつ? 逆立ちして頭でくるくるするやつ?」

「こんな暑いとこで? ねっちゅーしょーなるよ」


 私たちの反応に、志紋くんがからっと笑った。


「何のダンスか訊かれたらよくわかんないし困っちゃうな。とりあえず、カメラで撮影するからお前ら画面に入っちゃったりしないように協力してな」


 そう言って志紋くんは砂場の横の開けたところに歩いていき、背中に背負っていたリュックからカメラとかを取り出して準備し始めた。


「踊るってなんで?」


 ヒロを見ると、豪快にアイスを口に入れた状態のまま首を傾げられる。


「さあ?」


 食べながら志紋くんを観察していると、彼は音楽プレイヤーから音楽を流し始めた。

 曲に合わせて準備運動のように軽くステップを踏んでから、カメラのボタンを押して、リピート再生している曲がスタートに戻るのに合わせてしっかりと踊り始める。

 聞いたことのない、電子音のような声音の人が歌う、ポップな曲調の音楽だった。

 後に、それがボーカロイドというジャンルの音楽だということを私は志紋くんから教えてもらった。

 音楽と一緒に志紋くんが手を動かす、脚を動かす。くるくるとターンする。カメラに向かって笑顔で。

 もともとアイドルみたいな顔立ちでかっこいい自慢の幼なじみのお兄ちゃんだったけれど、だぼだぼのTシャツをなびかせてリズム良く跳ねる志紋くんは、いつもの二倍かっこよく見えた。


「志紋くん、ダンス習ってたっけ? 部活でやってるとか?」


 アイスを食べ終わって彼の動きに見入っていると、ヒロが口にはさんでいたアイスの棒をぶらぶらさせながら首を横に振った。


「兄ちゃんバスケ部。あんなに踊れるの知らなかった」

「へー! すごいなあ、勉強もできるし、なんでもできるんだねえ」

「言っとくけど、俺の兄ちゃんだから。亜紀羅がどんだけ褒めてもお前の兄ちゃんにはなんないから」


 不満そうにそう言うとヒロは勢いよくブランコから立ち上がった。


「あれくらい、俺にもできるって。ほら……うわっ」


 ヒロが志紋くんの真似をしてステップを踏もうとして転ぶ。尻もちをつく彼に私は思わず吹き出した。


「できてないじゃん。あのダンス難しいのかな。志紋くん観察してたらできるかなあ」


 じっと志紋くんの足下だけを見てみる。右足が後ろに下がって次に左足を動かして、音に合わせて右に左に動いて……。


「こうかな?」


 私も立ち上がって志紋くんみたいに動いてみる。まったく同じにはできなかったけれど、少なくともヒロみたいに転ぶことはなかった。


「おー」


 地面に座り込んだままのヒロがやる気のない拍手をする。


「でも、兄ちゃんほど上手くない」

「うるさいなあ。そりゃあ完璧にマネはできないよ。でも、ああいうふうにかっこよく動きたいな。あとで撮影終わったら志紋くんに教えてもらおう?」

「えー? 俺いいよ。別に踊れなくてもいいし」


 ほどなくして志紋くんが一曲分完璧に踊り終えると、私は志紋くんのところに駆け寄った。


「志紋くん! 私にもそれ、教えてー!」


 炎天下の中体を動かしていた志紋くんが、汗だくになったTシャツを両手でぱたぱたと扇ぎながら瞬きをした。


「それって……今のダンス?」

「うん。私もやりたい」

「いいよ。ちょっと休憩したらな。ヒロは?」

「やめとく。アイスも食ったし暑いし先帰る」


 公園の出口に向かって歩きながバイバイと手を振られ、私も手を振り返してヒロを見送る。ヒロ、考えてみれば音楽とかあんまり聴かないし、ダンスもそんなに興味ないのかも。


「じゃあ、やる? 最初っから踊ってみたいの?」


 しゃがみ込んでリュックに入っていたらしいペットボトルのお茶をがぶ飲みして一息ついていた志紋くんが立ち上がる。私は公園の出口から目を離して志紋くんを見上げた。


「うん! さっきちょっとやってみたけど難しいね。ここのくるくるって回るところとかすごいね」


 言いながら、さっきヒロと見よう見まねでやってみたサビあたりの振り付けを再現してみる。


「おー、すごいすごい。アッキは才能あるな」

「ほんと?」

「うん。さっきの俺の動き見ただけでそんなにできるのすごいよ。曲の最初っからやってみよっか? 練習したらきっと一曲ちゃんと踊れるようになるよ」


 そう言って、志紋くんが曲の振り付けをゆっくり丁寧に動いて教えてくれる。私はそれを真似っこしてみる。それは真夏の暑さも忘れるくらいに楽しくて、私はあっという間に夢中になった。





 それから志紋くんは、ときどきダンスを教えてくれるようになった。公園やマンションの駐車場なんかで、志紋くんが高校から帰ってきてからや、学校が休みの日に。

 志紋くんはボーカロイドだけじゃなくて色んな曲に詳しくて、一緒に色々と聞いて振り付けも教えてもらっているうちに、私も流行りの音楽に詳しくなっていった。それから、志紋くんのように踊った動画を動画投稿サイトにアップしている人たちを踊り手と呼ぶことも、動画の再生回数が多い人気の踊り手の名前も自然と覚えていった。

 彼は自分が選んだ曲だけじゃなくて、ときには、私がはまっているアイドルの曲を一緒に踊ってくれることもあった。

 ただ二人で踊っているだけだった状態がしばらく続いて冬休みに入った頃、志紋くんは奈津田家のリビングで、遊びに来ていた私にパソコンの画面を見せた。


「アッキ、これ一緒に踊って撮影してみない?」


 画面には、二人組の女性踊り手が映っていた。志紋くんがマウスをクリックすると再生されて、二人がぴったり合った振り付けで踊り出す。

 昨年、有名なボカロのクリエイターが発表した曲で可愛い感じの曲調だ。服装もふわふわのスカートがお姫様みたいなのが印象的。

 すぐそばでゲームをしていた志紋も寄ってきて動画をのぞき込む。


「これを兄ちゃんが踊るの想像できねー。今度かっこいい曲踊ってよ」

「うるさいわ。まあアッキがかっこいい系がいいならそうするけど……どう?」


 確認するように首を傾げられ、私は首を縦に振った。


「ううん、この曲可愛いから好き。でも、撮影って? 志紋くんがよくやってるみたいに動画にするの?」

「そう。俺のアカウントでアップしようかなって思ってるんだけど。もちろん、アッキがよければだけど」

「志紋くんの動画に出ていいの……?」


 胸のあたりがふわふわと浮き立つ。実は、動画を出して高評価やコメントをたくさんもらっている人気者の志紋くんがちょっと羨ましかったのだ。彼はちょくちょく動画がランキング入りしている踊り手。その志紋くんと一緒に踊って動画をアップしてもらえるなんて。


「やりたいやりたい。私、一生懸命練習して撮影のときに上手に踊れるようにするね」

「おっ、じゃあ俺もちゃんと練習しなきゃ。いつも思ってたんだけど、俺とアッキ、ちゃんと合わせたら綺麗に振り付け揃うと思うんだ。この振り付け本家の二人組に負けないくらいの動画、撮れると思うよ」


 志紋くんが期待をこめるように私の頭をぐりぐりと撫でる。


「二人とも頑張ってー。俺はゲームの練習しーようっと」


 ヒロがゲーム機のほうに戻っていく。

 私の頭の中はもう、この曲を志紋くんと踊った動画がネット上で流れている様子を頭の中で想像していた。





 それから一ヶ月も経たないうちにその想像は現実となり、私は踊り手としてネットデビューした。

 その動画は、私と志紋くんの動きが息ぴったりだったこともあって、あっという間に再生回数も踊りを褒めるコメントも伸びていった。


「すごいねアッキ。すごく上手ってコメント来てるよ。また動画出してってさ」


 志紋くんの部屋にお邪魔すると、彼がそう言ってまたパソコンの画面を見せてくれる。


 まだ10歳なのに上手。可愛い! シモンくんといいコンビ! 次も楽しみ。


 確かにそこには、アッキという小学生の女の子にあてた優しいコメントがちりばめられていた。顔も名前も知らない人たちに褒められるなんて、なんだかくすぐったい気分だ。


「また動画……志紋くん、一緒に踊ってくれる?」


 できればまた、踊りたい。そして動画を出して、また褒められたい。

 志紋くんはにっこりと笑ってうなずいた。


「もちろん。今度は俺が振り付けした曲も一緒に踊ろうよ。それに、アッキひとりの動画だって出していいんだよ」

「私ひとり……?」

「そう。アッキが一人で好きな曲を踊るんだよ。大変なら俺が撮影や編集も、アップするのも手伝うし。そうしたら今回みたいにみんながアッキの踊りを見てくれて、コメントしてくれる」


 みんなが見てくれる。みんながコメントしてくれる。

 甘く響くその言葉に、私はただただ胸を躍らせた。

 志紋くんが踊っているのを真似してみたら、踊ることが楽しいと気づいた。だけどそれだけじゃなくて、見てくれる人や褒めてくれる人の存在も知った。

 新しい世界が私の目の前に広がっていく感覚が不思議で心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る