2-10 やっぱり言えないことってそれなりにある、今はまだ。

 ハルの家から外に出ると、空は芙雪くんと初めて会ったドーナツ動画撮影の日のように薄暗くなっていた。


「今日は俺が芙雪送ってく!」


 元気よく芙雪くんの背中を押すハルを芙雪くんは困ったように振り返った。


「あの、前も言いましたけど、本当に僕ひとりで大丈夫ですよ? もう高校生だし……」

「ひとりのときに殴られてたやつがよく言うよ」

「なっ……」


 若干心細そうに眉を下げる芙雪くん。ハルが慌てて両手をひらひらと振った。


「冗談。ただお喋りしながら歩きたかっただけだって。……でも、ハルちゃんねるのメンバーになった以上、芙雪のことも何かあったら俺が守るから」

「……強くなるまで?」

「そ。強くなるまで。強くなったら俺のことも守ってな」


 冗談めかしてそう言うハルを、ヒロが何か言いたそうに見つめている。私はヒロの腕をつかんだ。


「ヒロ、うちらも帰ろう」

「あ、うん。そんじゃあな、お二人さん」


 ハルと芙雪くんが私たちに向かって軽く手を振る。


「おー。今度、芙雪のメンバー加入の動画撮ろうね!」

「りょーかーい」


 ハルたちに背を向けて家の門を出る。

 マンションの方向に向かって住宅地を歩きながら、私は少し、思う。

 強くなるってなんだろう。守るってなんだろう。ハルは動画投稿を通して何を掴んだんだろう。強くなったんだろうか。


「ハル、さ」


 隣を歩くヒロが私に話しかける。たぶん、私と同じようなことを考えていたのだろう。私よりも高い位置にあるヒロの顔を見上げると、彼は自分のスニーカーのつま先を見るようにして歩いていた。


「私情が入っちゃったって言ってたけど、私情ってなんだろうな」

「……さあ」


 春が終わり夏に向かおうとしているのを感じさせてくれる生ぬるい風が、私とハルの間を吹き抜ける。


「俺、ハルのことあんまり、知らないけど。あいつって学校ではどんなヤツなん?」

「どんなって……よく喋るしいつもにこにこしていて明るし、まあモテるよ」

「ああ、なんかわかる。女子に人気ありそう」


 話しながら歩くうちに住宅街を抜けて、少し交通量が多いショッピング街に出た。


「でも、そうだなあー。ハルは学校のみんなが思ってるよりも秘密主義だよ」

「秘密主義……」


 私は以前、ハルに中学の頃の話を尋ねてまともに答えてもらえなかったことを思い出していた。


「たぶん、私たちにあえて言ってないことや隠してること、いろいろあると思う」

「それは、亜紀羅がアッキだった頃、アンチに叩かれたりしたことをハルや芙雪に言わないみたいに? ハルにも言えないことがあるってこと?」

「……はっきり言うね。でもたぶん、そういうこと」


 ヒロに久々に亜紀羅と呼ばれた。私は私自身を嘲るような、軽い笑みをつい浮かべてしまう。

 ただ踊るのが好きだったのに、それだけではいられなくなったこと。私を動画で画面越しに見ているたくさんの知らない人たちは、私のダンスの上手さだけを見ているわけではないと気づいてしまったこと。志紋くんのファンに嫌われていたこと。心ない言葉を投げつけられ続け、それでも笑顔で踊っている意味がわからなくなったこと。それからもっといろいろなこと。踊り手をやめた理由。


 何もかも、ハルには話していない。話しても意味のないことだと思うから。まだ何でも打ち明けるほどハルを信頼していないから。話したところで「大変だったね」なんて同情されるのが嫌だから。

 ハルだって詳しいことはわからないけどそんな感じじゃないだろうか。

 なぜ引っ越してきたのか。前の家での話。中学までのハルの話。どうやらおばあさんと二人暮らしみたいだけど、両親はどうしたのか。


 疑問はいくらでも思い浮かぶけれど、私たちから尋ねたことはないし、彼も私たちには話さない。

 そんな話題を共有しても意味がないから。まだ何でも打ち明けてもらえるほど信頼されていないから。話してもらったところで同情の言葉くらいしかあげられないから。


「無理に聞くことでもないんじゃない?」

「……うん。でもさ、いつかはそういうことも話さないと、アッキが駄目になったみたいにまた、駄目になるかもよ。さっちゃんもハルちゃんねるも」

「……」


 私は返事をせずに明るい街中を歩く。となりでヒロが小さくため息をつくのが、耳の奥に響いた。

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