予告

第二部 予告


 落陽が朱に染める街道を駿馬が走る。彼を背に乗せ、只管ひたすらに最北の地を目指す。


 供回りはなく、襤褸ぼろを纏う姿は見るも無残。かつての華美な板金鎧プレートアーマーも、輝くような金髪も、女人をときめかせる精悍せいかんな顔付きも、もうそこにはない。ただ、眼光だけは以前まえよりも鋭かった。


 あの日、彼は炎上する野営地から逃げ出した。その夜は寝付きが悪く、外の空気を吸おうとして穹廬きゅうろを出た。そこには父である将軍が休んでおり、向こうにはあの少女の母親、そして国王のものも見えた。


 それは本当に不意の出来事だった。何処いずこより現れた大規模な敵集団に強襲され、抵抗も空しく全滅した。いや、生き残った者はいる。自分と、あの男だ。


 全てはあの男のはかりごとだったのだ。死して尚、汚名を着せられた父。決して善人ではなかったが、それほどの悪人でもなかった。父の無念を晴らすまで国には帰らないと誓った。もっとも、もしも帰ろうとしていたら即座に捕縛されて命を失っていただろう。


 敵地の縦断、死中に見出した活路、彼の無謀とも言える逃北とうほくは功を奏した。しもの敵も、気位ばかりが高かった気障きざな世継ぎが、まさか領地を捨てて逆走するとは予想だにしなかったであろう。羽虫を叩き潰そうと手を振り上げたら、思い掛けず胸元へ飛び込まれて取り逃がしたようなものだ。敵は彼の消息を完全に見失っていた。


 しかし、幾ら不撓不屈ふとうふくつの意志を宿す彼であろうとも、騎馬まではそうもいかない。彼と同じく傷付き疲れ果てた愛馬は、やがて限界を迎えてその脚を止めた。彼はここに至るまで――今回のことだけでなく数々の修羅場で――苦楽を共にした相棒に別れを告げ、独り先へと歩いていく。


 一縷いちるの望みを掛けて彼は往く。王国の守護者、その威光にすがるために。かつて、助力を得て縁を結んだあの事件、全てはあそこから始まっていたのだ。だが、満身創痍の身体を引き摺りながら、脳裏に浮かんでくるのは救世の巫女ではなく、傍らに立つ青みがかった銀髪の少女であった。


「いつかまた…とは言いましたが、こんな形であなたとお逢いしたくはなかった」


 彼は顔を手で覆いながら自嘲するが、その言に反して心の奥底にはほのかな熱が灯るような気がした。まだ行ける、まだやれると、今にも崩れ落ちそうな自分に鞭を打つ。あの少女がそうであったように。


 この決死の逃避行が、後にヌーナ大陸の命運を大きく左右することになるとは、そのときは彼自身にも知る由もなかった。




 ハナラカシア王国ツキノア騎士団、ディアテスシャー帝国領を侵犯、リンシ要塞及び周辺の村落を襲撃、帝国軍辺境警備隊により鎮圧


 国王ヒコイツセ、三将軍メイラ、モリヤ、オイワ並びにクラウディアナを伴い、辨明べんめいのため王都を出立


 オイワ将軍、シュンプ平野に於いて、国王ヒコイツセを弑逆しいぎゃく、同時にクラウディアナを殺害、後、モリヤ将軍により誅殺


 ツキノア公子オユミ、謀反の嫌疑、帝国領を逃北


 皇帝ドミティアヌス、三国同盟を論拠に継嗣けいしウィンダニア王女の保護を表明、四個師団を率いて王国に出兵


 皇太子ネルウァ、国家反逆罪の容疑で帝都カンヨウに幽閉、後、旧第一師団エフェソス副長スキピオらにより脱獄


 帝国軍、ツキノア領都ヘグリを攻略、続、王都オハリダへ向けて進軍


 ホーリーデイ公女サンデリカ、王下三分の計を奏上、王女をシチウタ領、王妃をノミネア領、王弟をコトミナ領へ退避


 王都オハリダ陥落、ノミネア公子ノイテ、ホーリーデイ公配ミオミら戦死


 皇帝ドミティアヌス、ネビケスト皇国の復国を宣言、自らを神皇と改号、ヌーナ大陸全土の武力統一を布告


 帝国軍第三師団ペルガモン、シチウタ領都ソガリへ進軍、王女の身柄を要求


 シチウタ公女『海賊女帝』イルカ、西方大陸ロディニア伝来の兵器をチヌ湾に展開、艦砲一斉射撃によりペルガモンを粉砕


 ノミネア公子オヒト、土雲つちぐも首魁しゅかいナガスネに援兵を要請、戦時大将軍を拝命、黄泉比良坂よもつひらさか絶対防衛線を構築


 神皇ドミティアヌス、第六師団フィラデルフィアをバラトリプル教国へ派兵


 ホーリーデイ公子レイネリア、翡翠の瞳の少女の手を引き、霊峰タカチホを下山



 滅亡の危機に瀕する祖国を救うため、最果ての地より一大反抗作戦の幕が上がる。これが後世に渡り、永劫えいごうに語り継がれる『国譲不くにゆずらず』の始まりであった。


「各々が死力を尽くし、最大の戦果を上げれば、三国…いえ、世界を救うことが出来るのです。これほど分の良い賭けもないでしょう」


おかに籠もった野郎どもに教えてやりな! これが文明のおとってやつさ!」


「如何なる罵詈讒謗ばりざんぼうも私を挫くことは出来ません。あなたが信じてくれた、私にはそれだけで十分なのです」


「開門せよ、余が皇帝である!」


「これより先はヌーナの正統なる地姫…この妾が承ろう!」


「もう私は何も要らない、何も望まない。ただ一振りの剣として、貴様を斬り捨てるだけだ」


「主君のために死ねる戦場に立てる。それがどれほど幸福なことか」


「お姉様の帰る場所を守る。それが妹の役目というものでございましょう」


「もう一度だけ彼女に会う。そのためならば、僕は何にでもなれたのだろう」


「そこで見ていなさい。あなたたちの信じた天人地姫が…如何ほどのものであるのかを!」



 これは物語


 失ったものは限りなく、れど得たものは未だなく


 故国くに破れて山河あり、戦火の灼熱なお猛り


 さあ、ここに凱歌がいかを奏でよう


 天人地姫の威光を世に示さんがために―


 そして、共に在りし日々に応えんがために――




 第二部 国不譲くにゆずらず


 第六章 一縷いちる

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