第五章 EP(終)


エピローグ



 結局、私にはアーカーシャを降臨させることは出来なかった。それは何もレイニーの言葉を信じた訳ではない。私の心がもう既に耐え切れなくなっていたのだ。


 勝ったのはレイニー、負けたのは私だ。もう私には何も残ってはいない。私を縛り続けていた復讐心はうに消え果て、永年に渡り育んだ愛情はいま目の前に集約されていた。


 おそらく、私はアグニに利用されていたのだろう。あの御会見のときから、アグニにはこうなることが分かっていたのだ。私はアーカーシャではなく、彼女のかせを外すために捧げられた贄だったのだ。


 アグニの本当の狙いは分からない。あくまで自らの手で空の力を持つ彼女を滅ぼそうというのか。それとも彼女を使って、他の天人の優位に立とうとでもしているのか。


 それならお生憎様だ。レイニーはそんなに御しやすくない。この天の邪鬼は文字どおり、天人に仇なす切り札となるだろう。そのためにも、ゲッシュを抱えた足手まといは退場せねばなるまい。


 もうこれ以上、誰かに振り回されるのは嫌だ。私は敗者の定めに従い、この世界から消えることにする。激しい攻防の余波を受けて、間もなく胡蝶邯鄲ヴィニャーナは解かれるだろう。最後に観るレイニーが彼女であって本当に良かった。


 しかし、事もあろうか彼女は自らに空属性を行使した。馬鹿なレイニー、そんなことをして何になるの。ここであなたまで消えてしまったら、私のこれまでは何だったというのよ。


「レイニーには生きて欲しい。この先の世界はきっと辛いものになるけれど、あなたにはそれを変えるだけの力がある筈よ」


 私は懇願した。火の天人の復活によりヌーナ大陸は激変する。いや、おそらくは他の大陸でも同じことが起こるだろう。人が人を支配する時代は終わり、再び神話の世界に回帰するのだ。


 しかし、或いはレイニーであれば、かつて天人を滅ぼした力を受け継ぐ彼女であれば、そんな運命を変えることが出来るかも知れない。その芽をこんなところで摘む訳にはいかなかった。


「私もミスティには生きて欲しい。これまでも、これからも、ずっと一緒にいて欲しい。初めて出会ったあの日から、ずっとあなたのことが好きだった」


 レイニーは私から目を逸らさず、一言ずつ絞り出すように声を紡ぐ。それはまるで愛の告白、そして永遠の誓いのようでもあった。


 きっとその言葉は、私が望んでいたものなのだろう。それを嬉しいと思う、私の気持ちは真実だ。それでも、私の心には影が差す。私が愛したレイニーは、今ここにいるレイニーで、そして失われゆくレイニーなのだ。


 その溝はおそらく永久に埋められない。あなたが初めて出会った私、私が初めて出会ったあなた、それは同じものではないのだから。


 私は黙って首を振ると、空の力の奔流ほんりゅうに身を委ねる。先ほど演算してみたが、僅かに私の方が早く力尽きる。私は愛する者の手で、幸せな最期を迎えられるのだ。


 徐々に意識が混濁し、思考は緩やかに停止していく。ようやく、私はお姉ちゃんのところに逝ける。お姉ちゃんは私を褒めてくれるだろうか。また頭を撫でてくれるだろうか。


 私の意識は遥か遠けきパノティア大陸を馳せていた。お姉ちゃんにお父様、三人で暮らした日々。あの日の祭壇から始まった物語がいま幕を閉じる。


 本当の私はあのときに死んでいた。これは本来の形に戻るだけ。私には過ぎた人生だった。天に捧げられし贄は元のむくろに還るのだ。


―――否、我らが欲せしは贄にあらず。汝をせしは姉にあらず―――


 不意に私の頭に懐かしい声が響く。思わず意識を戻した瞬間、身体の中で何かが砕ける音がした。



 以上が今代の、そして最後の封禅の儀の顛末である。


 の宿業を背負いし純白の少女、悠久の刻を過ぎ去りし漆黒の少女、ここに二人の御幸は果たされた。しかし、約束された福音は既になく、これより世界は激動の時代を迎えることとなる。


 これは、現代に蘇りし空属性の御手レイネリア=レイ=ホーリーデイと、五百年を生きる異国の少女ミストリア=シン=ジェイドロザリーが、秘匿された世界の果てに至るまでの物語である。

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