第五章 10-2


 レイニーの周囲を覆っていた魔法陣が崩落していく。後もう少しで起動できたのだが、一瞬躊躇ためらってしまったのが響いたようだ。私は続けて自身の後方に展開していた魔法陣を起動し、間断なく涼風一陣ウィンド・アローの群体を射出した。


 やはり、質よりも量、威力よりも手数の方を苦手としているようだ。まだ覚醒までには幾分か時間が掛かるだろう。完全に顕現した空の天人の前では魔法は無力だ。そうでなくば、四属性の天人と地姫がこぞって敗れる筈がない。


 彼女はまだその域には遠く及ばない。そもそも、まだその姿を保っていることが何よりの証だ。このままではアグニに滅ぼされる前に、私が引導を渡すことになるだろう。


 自分でも愚かな行為をしている自覚がある。しかし、私の仇敵はあくまでアーカーシャであって、レイニーではない。レイニーのまま殺してしまうなど私には耐えられない。


 分かっている、どのみち結果は同じことだ。身体にアーカーシャが宿ってしまえば、彼女の精神は消える。あの血も涙もない、好戦的で醜悪な存在へと変貌してしまうのだ。


 涼風一陣ウィンド・アローが尽きる前に、今度は星火燎原ファイア・ボールに切り替える。しかし、このままではらちが明かない。こんなことを繰り返したところで、時間とマイナを浪費するだけだ。


 やはり、あの事実を伝えるべきだろうか。本当ならば、彼女には何も知らずにいてほしかった。わざわざ残酷な現実を見せ付けたくなんてなかった。


 いや、それは土台無理な話だ。もうさいは転がっていた。投げる前であればともかく、既に盤上で回っているものは結果しか示さない。たとえそれがどんなに信じたくないものであってもだ。


「もう気付いてると思うけど、あなたとクラウディには魔力の刻印がしてあるわ」


 火球の群集を処理し終えたレイニーがいぶかしげに私を見下ろす。この身体では体格差があり過ぎて、大抵の人間からはそのような格好を受けてしまう。彼女の表情からは既に承知のことであり、むしろこの場で引き合いに出したことに対する疑念の方が強く感じられた。私は声を押し殺しながら、ある事実を告知する。


「教都に入った辺りからクラウディの反応が消えているわ」


 事態は私の想像を遥かに超える速さで動いていた。私の親友、レイニーの母親、あの王国随一の洞察力を誇るクラウディは、もうこの世にはいない。おそらくはアグニ、帝国の手によるものだろう。


 そして、それが意味することは、帝国の侵略が既に始まっているということだ。もしも彼女が私に着いて来なければ、母親と運命を共にしていたかも知れない。本当に因果な話だ。


 この旅で彼女は母親譲りの聡明さをも開花させている。私が皆まで言わずとも、それが何を意味するのか理解しているようだ。その表情は蒼白なものへと変わっていき、見るからに痛々しい。


 やはり…何かが変だ。私の身体からほとばしる攻勢は熱量を増し続けているのに、逆に心は何処までも凍て付き冷え込んでいく。私は自分が分からない。アーカーシャを憎んでいる、そこに間違いはない。あいつを討ち滅ぼすことが私の願い、使命なのだ。


 でも、あそこにいるのはレイニーだ。まだ、レイニーなのだ。いずれは覚醒を遂げる不倶戴天の敵…しかし、それでもレイニーなのだ。私は私に疑念を抱き始めている。私のこの激情は、本当に私のものなのだろうか。しかし、魔法を発動する手を止めることは出来ない。


 これを境に、彼女の処理技術は加速度的に向上していくことになる。母親の死と故国の危機という現実が更なる成長を促したのだろう。


 それでも、まだ足りない。私は全球に張り巡らせた魔法陣を起動し、有りと有らゆる手札を無尽蔵に放擲ほうてきする。どちらかが果てるその時まで、私は止まれないのだ。

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