第五章 3-3


 天人アプとの邂逅かいこうから一年が過ぎた頃、私たちの魔法技術は著しい成長を遂げていた。マイナ溜まりに面したこの地下では枯渇の心配がなく、魔力の入出力の調整さえ慣れてしまえば、ほぼ無尽蔵に魔法の行使が出来たからである。


 一方で、私の身体はお姉ちゃんと比べて発育に遅れが目立ち、当初は然程さほど変わらなかった身長も、今では頭一つ分くらいの差が生じていた。


 お姉ちゃんはその原因が過酷な地下の環境にあると考えたようで、私にそろそろ地上へと戻ることを提案した。私はお姉ちゃんと一緒ならばどちらでも構わなかったので、二つ返事でそれを快諾した。


 そんな私たちに向けて、アプは自らも連れて行くように求めた。いわく、地上の限定されたマイナでは、私たちの魔法の素質を十分に発揮することは叶わず、未だ幼女である二人だけで生活していくのは困難だという。


 また、私たちが生きていることを知れば、教皇がどんな行動に出るのかも分からなかった。逃亡した生贄として再び幽閉されてしまうか、最悪の場合は生ける屍として討伐されてしまう危険性すらあった。


 しかし、アプは水のマイナに宿る集合意識である。祭壇下部にあるマイナ溜まりからの噴出口を離れては、私たちとの意思疎通は出来ない筈だ。そのような疑問を呈した私たちに対し、アプが提示した手段は驚くべきものであった。それは私たちのいずれかが高純度の水のマイナを吸収し、その身に天人を宿すというものであった。


 天人の器となること、それこそが地姫の本来の使命なのだという。天人を真に顕現させるため、高純度のマイナにより人としての肉体を変性させ、受肉に耐え得る依代よりしろとするのである。


 にわかには信じ難い話であった。それにアプに身体を奪われてしまっては、地上に出る意味がまるでない。私が器となればお姉ちゃんには会えなくなるし、お姉ちゃんが器となれば私は会うことが出来ない。どちらにしても、お姉ちゃんとは一緒にいられなくなるのだ。


 私たちは一旦はその提案を拒否したが、アプは尚も食い下がるように奨めてきた。あくまで身体の主導権は私たちにあり、二人が聖合国で暮らすための方策であるのだと。


 私はそれでも嫌だったが、お姉ちゃんはまた異なる考えのようであった。私の発育が遅れているのは、陽光も射さぬ地下生活が原因なのかも知れない。また、一生をここで過ごす訳にはいかないことも事実であった。


 そして、最終的にお姉ちゃんはアプの言葉を受け入れた。本当は私がそうするべきだった。私はあのときお姉ちゃんに命を救われたのだから、今度は私がお姉ちゃんのために犠牲になるべきだった。


 しかし、私たちに生じていた差は身体の成長だけでなく、魔法の力量もお姉ちゃんの方が上だった。高純度のマイナの取り込みには危険が伴い、魔法の素質が高いほど成功の確率が上がるのだという。


 お姉ちゃんにもしものことがあったら私は生きていけない。それなのに、お姉ちゃんの身代わりに成れもしない。私はただ泣きじゃくりながら、儀式に臨むお姉ちゃんを見守ることしか出来なかった。


 そんな私に向けて、お姉ちゃんは笑顔で大丈夫と告げた。それは戯曲に謡われる英雄よりも勇ましくて、幻想に彩られた未踏の大自然よりも美しくて、五百年の時が過ぎた現在でも、それ以上のものと出会うことはなかった。


 そして、お姉ちゃんは水の地姫となった。お姉ちゃんは高純度のマイナの浸潤にも耐え切ったのだ。私は嬉しさのあまり溢れ出る涙を拭うことも忘れ、弾けるようにしてお姉ちゃんに飛び付いた。そんな私をお姉ちゃんは優しく抱き留めてくれた。


 地上に出た私たちを目撃した教皇の表情は、今でも忘れられない。あれは捧げた贄の報復に怯える恐怖でもなく、信仰に背く魔性に遭遇した狼狽でもなく、等しく神の奇跡に立ち会うことの出来た歓喜であった。


 教皇は私たちに向けて祝福のことばを唱えると、おもむろに礼拝するように五体投地ごたいとうちした。意図を曲解したとはいえ、神託を授かれただけのことはあり、お姉ちゃんに宿るアプの存在を知覚したのだろう。


 こうして、パノティア大陸に久しく途絶えていた地姫が復活し、私たちは深海の双璧そうへきと讃えられた。でも、私は知っている。本当のへきは、本当の地姫はお姉ちゃんだけなのだ。

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