プロローグ 2-2


此度こたびの演習の功労者はネルウァ皇太子であろうな。あの天人地姫も冷や汗をかいておったわ」


 帝国軍第1師団エフェソス、その指揮官である皇太子を補佐する老将軍が最初に口火を切った。あの時のミストリアの行為を挑発と見做みなした人物であり、幾分酒も入っているせいか、些か横柄な口調となっていた。


「いや、私にはモリヤ将軍の剣戟けんげきの方が冴えていたかに見えましたぞ」


 それに応じたのはツキノア家当主のオイワ将軍であった。ツキノア家は王国の外交を担う一族であったが、近年は帝国に敵対する勢力が軒並み姿を消したため、戦略的には手詰まりの様相を呈しており、自然と王国内での発言力も低下していた。


 最近は軍事に秀でたトチネア家に擦り寄っているとの噂もあり、この発言もまたそうした背景によるものであるのだろう。


 このやり取りに端を発し、両国の間でネルウァ皇太子とモリヤ将軍のどちらを推すかで論戦が繰り広げられていた。とはいえ、両国とも自国の指揮官を支持するのは自明であり、はなから議論の決着は付きそうにもない。


 しかし、当の皇太子は斯様かような話題には興味がない様子で、心做こころなしかその視線はレイネリアのいる方に向けられているようにも思われた。


 一方、モリヤ将軍はというと、流石さすがに自画自賛をするような真似は控えていたが、オイワ将軍を始めとした懇意の将たちがその声を代弁していた。


 両陣営で不毛なやり取りが繰り返される中、しばし各論を傾聴するように黙していた皇帝であったが、やがて戒めるように論者たちを一喝した。


「敗軍の将を語って何とする。勝者ならば天人地姫に他ならぬわ」


 皇帝の痛烈な批判により、それまでの論戦は何処へと消え、宴席は水を打ったように静まり返ってしまう。それは誰もが自覚してはいたが、指揮官への敬意と忠誠から敢えて触れずにいたことであった。


「陛下の仰るとおりでございます。あの力ならば此度の封禅ほうぜんも安泰でしょう」


 その様な重苦しい空気の中、まず初めに賛同の意を示したのは帝国の老魔術師であった。もとより帝国内では長老のような立場にあり、王国側からも一目を置かれている人物の言葉に、一同は場を取り繕うように追随し、話題の中心は天人地姫へと移っていった。


「いやはや、あの矢の雨には肝が冷えましたが、それを事も無げに防ぐとは…」


硝煙弾雨ファイア・バレッドの一斉掃射など、王都の大門でも耐えきれるかどうか」


「千体の魔法人形とは、これはもはや師団にも匹敵する戦力ではないかと」


 参席者たちは口々に演習を振り返り、ミストリアのことを褒め称えていた。ミストリアが王国に滞在することから、比較的そちら側の方が多いようにも思われたが、称賛の声は帝国側からも上げられていた。それは純粋にミストリアの魔法に感服しただけでなく、先の老魔術師の口から出た封禅ほうぜんという言葉に関係していた。


 封禅の儀とは、天人てんじんたる神に感謝と祈りを捧げる儀式である。ヌーナ大陸の最北部には、かつて天人が神の世界から降臨したとされるタカチホと呼ばれる霊峰があり、そこに天人の巫女たる地姫ちぎ御幸ごこうし、その恩寵を授かると伝えられてきた。


 しかし、儀式は秘中の秘とされ、その詳細を知る者は当世の天人地姫ただ一人であり、作法はおろか日時や場所さえも、たとえ国王やホーリーデイ家であろうとも秘匿されてきた。


 一般に広く伝わっているものとしては、約二十年に一度、天人地姫はタカチホで神と交わり、後継となる娘を現世に残した後、天上の世界へと還るのだとされている。


 宴席で繰り返される賛美の声を聞きながら、彼女は自分の心中に虚しさが拡がっていくのを感じていた。伝承の真偽は定かではないが、ただ一つだけはっきりしていることがある。それは儀式が終わったら、ミストリアはいなくなってしまうということだ。


 かつて母である現当主から聞いた話では、天人地姫の最期を見た者は誰もいないらしい。しかし、時期が来れば、必ず後継となる娘がホーリーデイ家にやってくるそうだ。


 それは世代によって異なり、身重の天人地姫が屋敷で出産したこともあれば、幼児にまで成長した娘が自ら訪ねてくることもあるのだが、いずれにしても人間離れした膨大な魔力とくだんの障壁を有しており、その判断に迷うことはなかったという。


 ホーリーデイ家に課せられた使命とは、天人地姫となる娘を来たる封禅の儀まで庇護することであった。そのために同世代の子を産み、共に愛情を持って育むことで、人に対する信頼を醸成し、神の世界に還った後も現世が善きものであると知らしめ、再び神が降臨せんことを願ったのである。


 故にホーリーデイ家の当主となる者は、幼少期を天人地姫と共に過ごすと同時に、封禅の儀に合わせて婚姻することが慣わしとされてきた。


 もともとホーリーデイ家では女子の出生率が異常に高く、男子は凶兆として早世そうせいするという言い伝えがあった。また、天人地姫には神との契りが定められていることから、決して自らとは結ばれてはならない存在であるため、自然と女性が当主となることが常態化し、現在では大陸で最も知られた女系の一族となっていた。


 彼女がミストリアと出会ったのも物心が付き始めた頃であり、それから二人は本当の姉妹のように育てられた。そのあまりの親密さには、やむを得ないことではあったが、実の妹とも疎遠となってしまったほどである。


 彼女の思い出の殆どがミストリアと共有されており、それは自分の半身も同然であった。そして、ミストリアにとっての自分もまた、そうであると信じて疑わなかった。


 だから皆が畏敬の念を抱く完全無欠の天人地姫も、彼女にとっては楽しいときには笑い、悲しいときには泣き、喧嘩をしたときには怒り、失敗したときには不機嫌になるような、道理も不条理も併せ持ったれっきとした一人の人間であった。


 そんなミストリアを知っているからこそ、ミストリアという個人を顧みず、天人地姫という名で持てはやす者たちを遺憾に思っていたのである。

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