プロローグ 2-3


「…レイネリア殿に褒美を与えては如何いかがでしょうか」


 ミストリアのことで思索にふけっていたレイネリアは、自身の名が呼ばれたことにより、唐突に現実へと引き戻された。宴席の会話に耳を傾けてみると、どうやら話題の中心は彼女であるらしい。


「ねえ、どういうこと?」


 話の流れを見失った彼女は、堪らず隣に座るオヒトへ助けを求めた。先ほどまでミストリアに陶酔していた筈の彼は、もうすっかり元の状態に戻っており、呆れた表情を浮かべながら答えてくれた。


「だから、今日のミストリア様の御姿を見て、庇護者であるホーリーデイ家が称賛されているんだよ。レイニーにも帝国からご褒美があるらしいよ」


 褒美と聞いて彼女は少し複雑な気持ちになった。庇護者といっても、ミストリアの力は生まれつきのもので、別にホーリーデイ家が指南した訳ではない。演習で見せた障壁も幼少時には既に有しており、むしろ守られているのはホーリーデイ家と見る向きもあった。


 一方で、戦闘においては比類なき魔力を誇るミストリアも、私生活においては意外と杜撰なところがあり、然様さような意味においては、庇護というのも決して誤りではないのだが。


「それは善きことかと。天人てんじん地姫ちぎへとなると些か畏れ多きことですが、庇護者であれば相応でしょう」


「先の演習においては実に堂々たる弁士べんしぶりであった。あれだけの胆力は我が国の文官でもそうはおるまい」


 そこまで褒められてしまうと彼女も悪い気はしなかった。本当は他国から、それも帝国から褒美を受けるなど、あらぬ疑いを掛けられてしまう危険があったのだが、国王も同席する宴席でのことであれば、その心配も杞憂であろう。


 それに両国の重鎮が会する場で明言されるのだから、かなり豪奢ごうしゃなものになることが予想される。王国民に人気の進物しんもつといえば、西方大陸伝来の珍しい品々と相場が決まっていた。


 もっとも、帝国では他大陸との交流を禁ずる鎖国政策が執られているため、舶来品の売買や所有には厳しい制約が課せられている。すれば、帝国の鉱山から産出される希少金属や宝石を加工した装身具、或いは生産が盛んな絹布けんぷを織り込んだ衣装だろうか。


 彼女もまた女人らしく、その華やかな光景を想像して目を細めていたのだが、斯様かような浮ついた気分は、続く幕僚からの進言によって消し飛んでしまった。


「では、レイネリア殿を帝都の学院に迎え入れてはどうでしょう」


 最初、彼女はその言葉の意味するところが分からなかった。帝国の学院が何かは理解している。しかし、それがこれまでの流れとはどうしても繋がらないのだ。それは褒美などではなく、もっと別に…そう、相応しい言葉があるのではないか。


「それは名案ですな。帝都の学院であれば、レイネリア殿の聡明さにも拍車が掛かることでしょう」


「実に目出度めでたきことである。将来は両国の友好の架け橋となってくれるに違いあるまい」


 まるで示し合わせていたかのように、帝国側からは次々と賛意が述べられた。それはあまりにも露骨であり、怖気おぞけを覚えるほどのものであったのだが、皇帝もまた意を得たように言葉を重ねた。


「レイネリア殿であれば、我が娘サナリエルの良き学友となることだろう」


 ホーリーデイ家は政治などの実権は持たないが、天人地姫の庇護者として親善外交に用いられており、彼女もまた一度、母親である当主に同行して帝国に赴いたことがあった。


 その折に、皇帝の末娘であるサナリエル皇女とよしみを結ぶ機会があったのだが、何故か大層気に入られてしまい、親しげに『ニー様』などと呼ばれていた。しかし、自身が帝国に長期間滞在することの意味が分からぬほど、彼女は幼稚でも凡庸でもなかった。


 王国と帝国は同盟関係にあるが、先の演習にも見られるように、それは決して盤石なものではなく、天人地姫を介した微妙な均衡の上に成り立っていた。帝都の学院に迎え入れると言えば聴こえは良いが、要はていの良い人質である。


 流石さすがにこの提案には、王国側から反対の声が挙がった。特にヤノロム家のメイラ将軍は同性ということもあり、帝国における彼女の身の安全を強く案じていた。また、彼女の父方であるノミネア家のノイテ将軍も、封禅ほうぜんを間近に控え、彼女の不在が儀式に悪影響を及ぼす懸念があるとして反意を唱えた。


 王国の重鎮も彼女を失うことの意味をよく理解していたのだ。しかし、連合の指揮官であったトチネア家のモリヤ将軍は、あろうことか賛意を示そうとしていた。


「皇帝陛下の御厚意を無下にするとは非礼の極みである。封禅の儀への配意であれば、出御しゅつぎょあそばされてからでもよろしかろう」


 霊峰タカチホへの御幸ごこうは、原則として天人地姫の単独行とされている。それは儀式の詳細を秘匿するためでもあるが、一番の理由は護衛などは却って足手まといになるからだ。大陸を南北に縦断する旅路は厳しい自然との闘いであり、また途上には危険な魔物も生息していることから、知勇に優れた者でなければ踏破は困難とされていた。


 モリヤ将軍の言を端的に表せば、ミストリアが出立した後であれば、彼女を如何いかようにしようとも問題はないというものである。


然様さようでございますな。ホーリーデイ家にもしばしの猶予が必要でしょう」


 トチネア家の同意により、王国側は一枚岩となって反論することが出来なくなってしまった。また、シチウタ家とコトミナ家は沈黙を保っており、国王も皇帝の手前、表立っての対立は避けたいようである。


 彼女を守ろうとする声は、次第に弱く小さなものへとなっていき、帝国の提案を容認する構えがその場を支配しつつあった。彼女はようやく、自身が宴席に呼ばれた理由を理解した。帝国は天人地姫への牽制として、自分の身柄を抑えようと画策していたのだ。


 彼女の心のうちは後悔の念で溢れていた。やはり、何事か理由を並べて固辞すべきであったのに、まんまと罠に嵌められてしまったのだ。最早、自分を守ってくれる者はこの場にはいない…そのような諦念を抱き掛けていたとき、隣で黙していたオヒトが意を決したかのように声を上げた。


「か、彼女の、レイネリアの気持ちも考えてくだ…さ…ぃ……」


 それは声色のみならず身体までをも震わすものであったが、それ以上は兄であるノイテの制止により阻まれた。皇帝と国王を始め、両国の重鎮が一堂にかいする場において、彼のような若輩が発言することなど許されないのだ。


 一方、残る五大諸侯のツキノア家はというと、このノミネア家のやり取りを目ざとく見ていたのか、オイワ将軍が下卑た笑いを浮かべながらトチネア家に追従しようとした。


「またノミネア家では血が濃すぎてしまいますな。ホーリーデイ家は交流が盛んなようですから帝国でも安泰でしょう」


 そのあまりにも品性に欠けた発言には、しものモリヤ将軍も苦笑いを浮かべていた。しかし、演習時のミストリアへの不埒な態度から、モリヤ将軍も同じ認識を持ち合わせていることは明白であった。


 ホーリーデイ家は女系の一族であり、また実権は持たずとも国内外に強い影響力を持つことから、習慣的に各国の有力家を伴侶に迎えてきた。その系譜を紐解けば、王家を始めヤノロム家や五大諸侯の出身者も多く、無論そこにはトチネア家も含まれているのだが、どうやら現当主からは快く思われてはいないようだ。


 演習での一件は彼女の耳にも届いており、恐らくは天人地姫からホーリーデイ家の影響力を削ぐために、帝国の策に便乗しているのだと思われた。


 しかし、それはあまりにも早計で短慮な愚考であった。斯様かようにも姑息な方法で両者の関係を引き裂けるのであれば、うの昔にその縁は切れていたことだろう。天人地姫とホーリーデイ家の始祖の間に、どのような経緯があったのかは定かではないが、それはとても古いもので、一説には建国時にまで遡るとも言われていた。


 彼らの多くが誤解をしているが、天人地姫は王国にいるのではない。ホーリーデイ家にいるのである。次期当主たる彼女こそがホーリーデイ家とするならば、天人地姫は王国を離れ、帝国に身を寄せることになる。モリヤ将軍は勇猛果敢なことで名を馳せていたが、本当は猪突猛進の間違いではないかと彼女は内心でくさしていた。


 しかし、トチネア家とツキノア家の横槍など結局は些事に過ぎなかった。王国と帝国の力関係を顧みれば、諸侯が団結して反意を述べたところで覆すことは難しく、また仮に成し遂げたとしても後々まで禍根を残すことは必定であった。


 天人地姫という一国を凌駕する力を抱えながら、実体的な権力を持たないホーリーデイ家にとって、このような無理難題は日常茶飯事であった。彼女は迷いも憤りもかなぐり捨て、如何にこの状況を切り抜けるかを冷静に分析していた。


 武芸も魔法の才もない彼女にとって、考えることだけが自身の武器であった。力を持たぬ者が絞れるのは智慧ちえしかなく、恐らくは彼女の祖先もそうであったのだろう。ホーリーデイ家として生きるということ、その本当の意味での自覚が彼女に芽生え始めようとしていた。


 まず、彼女は宴席でのやり取りを思い返していた。これを理による謀略と見做みなすのであれば、その中に現状を打破する突破口が隠されているやも知れないからだ。


 オヒトとの会話の後、ネルウァ皇太子とモリヤ将軍を巡る論争があり、続いて天人地姫と封禅の儀が語られた。そして、話題はホーリーデイ家へと移り、褒美と称した人質の提案の末、ヤノロム家とノミネア家の反意、トチネア家とツキノア家の賛意があった。


 こうして各人の発言を時系列で並べたとき、彼女が引っ掛かりを感じたのは皮肉にもモリヤ将軍に端を発するものであった。


『封禅の儀への配意であれば、出御しゅつぎょあそばされてからでもよろしかろう』


然様さようでございますな。ホーリーデイ家にもしばしの猶予が必要でしょう』


 ミストリアの出立まで待つことには帝国側も同意のようである。如何に厚顔無恥な要求をしようとも、封禅の儀に敬意を払うくらいの分別はあるということだ。


 では、ミストリアに相談して時期を遅らせてはどうだろうか。しかし、それでは問題を先送りにするばかりか、儀式にどのような悪影響が出るのか分からない。それこそ天人地姫の御心を捻じ曲げたとのそしりを受けてしまうだろう。


 何か方法はないものか。ミストリアの出立を変えることなく、封禅の儀を理由として固辞することは出来ないだろうか。


「あぁっ…」


 そのとき、思わず彼女の口から嬌声が漏れ出た。それは普段、彼女が人前で発するものとは違い、少々艶めかしい声色であったのだが、隣にいるオヒトが何らの反応も示さなかったことから、或いは実際には発声されていなかったのかも知れない。


 たった一つだけあったのだ。現状を打破し、かつ彼女の積年の悩みを一手に解決してしまう妙案が。それはまさに天啓であったのだろう。彼女は皇帝を仰いで立ち上がると、先の演習と同様に仄かに笑みを浮かべながらこうべを垂れた。


「皇帝陛下の恩寵おんちょうを賜り、恐縮至極きょうしゅくしごくに存じます。しかし、封禅の儀が目前となった今、長期に渡り陛下の御心をわずらわせてしまうことは大変心苦しく、どうか辞することをお許しください」


 彼女の申し出を受けて、一同は真意を計り兼ねていた。封禅の儀は目前であるのに、なぜ長期に渡り煩わせることになるのだろう。


 演習では大層な振る舞いを見せてはいても、所詮は年若き処子であり、道理が通らぬことを申していると嘲笑う者までいた。しかし、そんな外野の声を諌めるかのように、沈黙を守り続けていた皇太子が口を挟んだ。


「其の方らには分からぬのか。レイネリア殿は天人地姫の御幸ごこう陪従ばいじゅうすると申しているのだ」


 皇太子の予想外の発言に、場内は水を打ったように静まり返ってしまった。御幸に陪従するとはつまり、封禅の儀への旅路に同行するということである。


 にわかには信じ難い話に、帝国側やトチネア家はおろか、彼女を擁護していたヤノロム家やノミネア家からも戸惑いが観られた。図らずも皇太子が口添えをしたことにより、重鎮たちは異を唱えることを躊躇っているようであった。


「国王、レイネリア殿の申したことは真か」


 しかし、皇帝だけは意に介さず、隣に座す国王に疑問を投げかけた。それは即ち、陪従に対する王国の見解を求めるということであり、これまで以上に張り詰めた空気が場を支配する中、国王がようやく重い口を開いた。


「さて、御幸の陪従は天人地姫のさだむること…ただ、の者たちの陪従は歴史的に許されておりましょう」


 国王のけむに巻くような返答に、皇帝もそれ以上は重ねて問うことはしなかった。以降、この話に触れる者はなく、褒美の件はそのまま立ち消えとなった。


 起死回生の策が功を奏し、安堵の息を漏らす彼女に対し、国王は他の者には悟られぬように僅かに頷きを向けた。それは表立って拒否の出来ないことへの罪滅ぼしであり、また暗に陪従を容認したようにも見受けられた。


 やがて宴もたけなわとなり、幾多の策謀が交錯した宴席は閉会となった。

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