プロローグ 3-1


-3-



「こんなことを言えた義理ではないが、あいつのことは悪く思わないでほしい」


 宴席の会場からミストリアの待つ穹廬きゅうろへの帰り道、レイネリアに付き添いを申し出たのはヤノロム家の当主メイラ将軍であった。


 最初は恐縮のあまり固辞していた彼女であったが、王国有数の武人であるメイラのどこか憂いを帯びた表情が気に掛かり、何か物言ものいいたげなオヒトに別れを告げ、共に野営地の夜道を歩いていた。


 両国の要人が宿営する重要区域であるため、巡回の警備兵を除いて人通りはほとんどなかったが、未だ兵士たちの夜宴は果てぬようで、遠方からは男たちの喧騒が響いてくる。確かにこれでは女一人での帰路は心許なく、彼女は同行の申し出に改めて感謝していた。


「モリヤ将軍のことでしょうか」


 既に夜のとばりが下りて久しかったが、随所に設置された篝火かがりびのおかげで周囲は夕闇程度には明るかった。問題があるとすれば、似たような穹廬きゅうろが多くて迷いそうになることだ。二人は立ち並ぶ半球状の構造物を眺めながら、その中に隠された一軒を探すべく進んでいた。


「勿論、宴席での発言は貴族として…いや、同じ女として許せないことだ。しかし、あいつなりに王国を想ってのことだったと信じてほしい」


 二人はかつて同じ人物に師事し、共に切磋琢磨した仲だと聞いたことがある。ヤノロム家が近衛として、国王の直下で王都の守備に専念しているのに対し、トチネア家は諸侯を束ね、国境警備や国外の戦いに従軍するという違いこそあったが、共に国防を担うものとして両人にしか分かり得ない心情があるのだろう。


「メイラ様が気にさることはございません。それにモリヤ将軍のおかげで、あの場を切り抜ける方法を見つけられたようなものですから」


 その返答に幾分か救われたのか、少し表情が穏やかになったメイラを見て、演習時のミストリアへの暴言はまだ耳に届いてはいないのだと彼女は思った。どうせならば、このまま知らないでいてくれた方が良いだろう。


「まったくレイネリア殿には驚かされる。両国の重鎮が一堂にかいする中で、皇帝に向かって堂々と宣言するのだからな」


 皇帝は決して狭量な人物ではない。しかし、臣下の前で放言を許すほど寛容でもなかった。しきりに感心した様子のメイラに、彼女は自嘲的な笑みを浮かべると謙遜の言葉を述べた。


「ただの女人の浅知恵です。国王陛下や皇太子のお執り成しがなければ、全ては一笑に付されていたことでしょう」


 もしも皇太子が彼女の意図を汲み取り、口添えをしてくれなければ、あの場はどうなっていたことだろう。しかし、帝国の皇太子が何故、自国の計略を無視してまで自分を擁護してくれたのか、彼女は訝しくも思っていた。


「やれやれ、私とて女人の端くれなのだがな」


 そう言って少し頬を膨らませたメイラを見て、彼女が堪えきれずに吹き出すと、つられてメイラも顔を綻ばせる。そこには先ほどまであった憂いは既に消え去っているようにも思われた。


「しかし、本当に天人てんじん地姫ちぎ御幸ごこう陪従ばいじゅうするつもりか。今ならばあの場限りの方便とすることも叶おうが…」


 彼女がその問い掛けに小さく首を振ると、メイラもまたこれ以上は何も言うまいと頷きを返し、以降二人は黙したままを進めていた。そして、ようやく目的の場所へと辿り着くと、メイラは彼女に向けて手向けの言葉を送った。


「何か困ったときには遠慮なく申してくれ。私はいつでもそなたの味方だ」


 そうして颯爽と去っていくメイラを見送ると、彼女は周囲を警戒しながら穹廬の入口へと手を掛けた。

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