プロローグ 2-1


-2-



「帝国と王国の恒久平和と持続的発展を祈念し、この杯を天人てんじん地姫ちぎに捧げる」


 皇帝が述べた祝辞に皆が天高く杯を掲げると、両国の合同軍事演習の完了を祝う宴席が始まった。祝宴の会場は野営地の中央に位置し、豪華な意匠が施された幔幕まんまくで仕切られ、煌々と焚かれた数多の篝火かがりびにより照らされていた。


 入口の正面に位置する上座には、向かって右側に皇帝、その隣には国王がし、そこから直角に配置された席には各々の国家の重鎮が列席していた。その顔ぶれは先ほどの陣幕に加え、軍事演習に参加した主だった将軍たちが並び、そして王国側の末席にはレイネリアの姿もあった。


 当初、彼女は演習が終了次第、ミストリアを伴い王都への帰還を予定していた。しかし、皇帝が演習時の彼女の堂々とした振る舞いを大層気に入ったそうで、帝国からのたっての要請により、急遽宴席への参席が決定したのであった。


 宮殿でのみやびな夜宴ならいざ知らず、演習地での無骨な野宴に辟易した彼女であったが、皇帝の御指名とあらば辞することも叶わず、充てがわれた穹廬きゅうろにミストリアを残すと、海千山千の猛者が集う宴へと臨むこととなったのである。


 王国側の席次は五大諸侯の出身者が大半を占めていたが、国王の次席に着座していたのはヤノロム家の女当主、メイラ将軍であった。


 ヤノロム家は代々、王国の近衛騎士団長を輩出する名家であり、その祖先が諸侯であることを望まず、自ら領地を返上して国王に近侍きんじしたことから、五大諸侯と同等か、それ以上の家格を有していた。


 メイラも若輩ながら近衛騎士団長に就任しており、国王の片腕としてこれを補佐してきた。そして、この宴席では彼女を除く唯一の女性でもあった。


 宴席の顔ぶれを改めて見回し、彼女は自分が場違いであることを痛感していた。彼女の家名であるホーリーデイ家は、天人地姫を庇護する一族であり、その家格はヤノロム家や五大諸侯にも引けを取らないとされている。


 しかし、彼女自身は成人前の処子しょしであり、戦場の強者つわものと並ぶには些か荷が勝ち過ぎた。それでなくとも男ばかりの宴席では、普段から屈強な部下とくつわを並べるメイラならいざ知らず、女人には気後れしてしまうものだ。


「レイニー、大丈夫?」


 そんな彼女を見兼みかねたのか、隣に座る人物に声を掛けられた。思わず振り向いた彼女の目に映ったのは、同じくこの場に似つかわしくない、痩せた体躯に温和な顔付きの年若い男性であった。


「あら…オヒト、あなたもいたのね」


 それは五大諸侯の一角、ノミネア家の次男坊オヒトであった。ノミネア家は祭祀の家系であり、天人地姫を庇護するホーリーデイ家とは親しい間柄にある。しかも、彼女の父親はノミネア家の出身であり、オヒトとは従兄妹同士でもあった。


「ひどいなあ。僕だってノミネアの騎士団の部隊長なんだからね」


 そう言って少年のような笑顔からは、やはりそんな大層な役職に就いているようには思えない。


 ノミネア家の当主は王国の祭司長を務めているが、年中儀礼による多忙に加えて高齢のため、騎士団の運営はもっぱら息子や孫たちに任せていた。騎士団長は嫡孫ちゃくそんであるノイテが務め、当主代行として宴席でも高次の席次にしている。


「ノイテ様も立派になられたものね。それに比べて…って、それどうしたの?」


 オヒトの姿をまじまじと眺めていた彼女は、彼の腕に巻かれている包帯に目を留めた。その指摘に対して、彼は罰の悪そうな表情を浮かべると、気恥ずかしそうに言葉を漏らした。


「さっきの演習で馬から落ちちゃってね。腕は怪我するし、兄さ…団長には怒られるしで、散々だったよ」


 それは恐らく、ミストリアの召喚した泡人形と先陣の騎兵が衝突したときのものだろう。幸いにして、彼の怪我は大事なさそうであったが、彼女は少し居た堪れない気持ちになってしまった。


「ミスティもなるべく被害が出ないようにしたんだけどね」


 代わりに謝ろうとした彼女に対し、彼は大げさにかぶりを振ると、先ほどとは打って変わって真剣な眼差しを向けてきた。


「とんでもない、ミストリア様は何も悪くないよ。あの御力、天人地姫の御威光こそが、僕らノミネア家が崇めるヌーナ大陸の平和の象徴なんだから。そう考えれば、この怪我はむしろ恩寵おんちょうと言うべきものであって…」


 そうして陶酔を始めたオヒトを見て、彼女はまたいつもの悪い癖が始まったと嘆息した。彼とは従兄妹同士であり、幼馴染でもあるのだが、どうも昔からミストリアに対して狂信的な憧れを抱いているようであった。


 無論、ミストリアの器量も才覚も自分のような凡人とは雲泥の差があることは自覚している。しかし、ここまで明け透けに語られてしまっては、まるで自身と比べられているようで、ますます惨めな想いをさせられてしまうのだ。


 彼は昔からミストリアを様付けする一方、彼女のことはレイニーと呼んでいた。彼女は真名をレイネリア=レイ=ホーリーデイといい、最初のレイネリアが名、次のレイがせい、最後のホーリーデイがうじを指す。レイが二度続くことから自然とレイニーが愛称となっていた。


 この名前の表記はヌーナ大陸共通のもので、姓は位階を表し、上からトク、ジン、レイ、シン、ギ、チと続く。トクは皇族、ジンは王族、レイは高等貴族、シンは神官、ギは武官、チは文官や御用商人で、一般の民には姓はない。


 現在、ヌーナ大陸でトクの姓を持つ者はディアテスシャー帝国の皇族だけである。また、王国内でレイの姓が許されているのは、ヤノロム家に五大諸侯、そしてホーリーデイ家だけであり、その他の貴族は其々の役職に応じた姓を名乗っていた。


 なお、ミストリアの場合は少し特殊で、本来ならば位階ではなく神階が当てられるべきなのだが、あくまで人として表記する場合には神官位であるシンが用いられる。


 彼女がそのようなことを考えている間、宴席は皇帝と国王を中心につつがなく進行していた。各人の席には、帝国中からりすぐりの食材による豪勢な料理が並び、また祝事でしか飲めないような高価な酒も振る舞われていた。


 しかし、やがて話題が今回の演習の総括に移ると、にわかにきな臭い空気が漂い始めてきた。

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