プロローグ 1-4

 

 帝国軍の最大火力を物ともせず、微動だにしなかったミストリアであったが、膠着状態となった両軍に向けるように、ゆっくりと頭部を覆っていたフードを取り払った。


 そこから姿を現したのは、肩の先へと続く金髪を流水のように揺らめかし、宝石と見紛みまごう翡翠の瞳で軍勢を一望する、美しくも恐ろしい、恐ろしくも美しい、年若き少女の相貌そうぼうであった。


 少女は一度顔を上げ、天空に浮かぶ恒星を眩しそうに見遣みやると、今度は視線を落とし、眼下に散らばる無数の矢に目を留めた。先の障壁により弾かれた矢は、上空から次々と積み重なることにより、文字通り足の踏み場もないほどに散乱していた。


 少女は小さく溜め息をくと、両手を斜め下方へとかざすように広げた。次の瞬間、少女の身体から淡い蒼光そうこうが放たれ、ゆっくり大地へと染み込んでいく。


 しばらくして、地面から無数の小泡が浮き上がると、互いに融合し合い、身長大の泡塊を形成した。やがて、生え出した突起により五体を持った人型となり、自らの脚で大地へと立ち上がる。その数は大小合わせて千体にも及んだ。


有無相生クリエイト・ゴーレム


 無生物に魔力を込めることで、下僕となる人形を生み出す魔法である。その体系区分は多岐に渡り、属性、材質、形状、能力、受令など魔術師の数だけ存在するとも言われている。


 一見して泡を材質としているようだが、本来なら晴天の乾燥地でこれだけ大掛かりな水属性魔法を行使することは不可能である。しかし、少女は地下に向けて魔法を放つことにより、水脈から強引に資源たるマイナを掘り起こしていた。


 やがて、泡人形は少女を中心とした同心円状の列を作ると、前傾姿勢を取るように前腕にあたる部分を地面へと着けた。


 それはさながら走り出す準備動作のようであり、両軍の兵士たちは進撃に備えて身構えるのだが、肝心の泡人形はその場を動かず、地面に向けて何やら手を動かし続けていた。


 次第に、その行動の意図が兵士たちにも伝わってくる。泡人形は地面に落ちた矢を拾い集めているのだ。それはあたかも女子供が森林で薪を集める姿に似ていた。


 そして、泡人形は全ての矢を拾い終えると、器用に列に沿って受け渡しながら側方へと積み上げた。その光景を黙って眺めていた帝国軍であったが、師団長のもとに副将と思しき年配の武人が駆け寄ると、全軍に合図を送って陣形を変化させた。


 先の射撃から構えていた弓を収め、魔術師を後方に退避させると、前進する騎兵の後ろに歩兵を続かせる。どうやら突撃体制に移行したようだが、遠距離からの攻撃が無効化されてしまう以上、他に打つ手はないのだろう。


 しかし、副将の紅潮こうちょうした様子を見るところ、どうやら先ほどの行為は挑発と受け取られたようだ。少女の真意は定かではないが、地面に散乱した矢は少なからず突撃の障害と成り得たからだ。


 一方、王国軍もそれに迎合するかのように騎兵を先行させていく。本来、王国の中核たる五大諸侯に上下関係はないが、慣例により指揮を執るのは軍事に秀でたトチネア家であった。


 トチネア家の若き当主は王国随一の武人であり、勇猛果敢なことで国内外にその名をとどろかせていた。先の帝国軍の副将と同じ思考に陥ったのかは定かではないが、結果としての行動に変わりはないようだ。どちらからともなく、両軍の兵士はときの声を上げると、少女に目掛けて突撃を敢行した。


 両軍ともに騎兵が先陣を切り、後に歩兵が続く進軍となるが、如何せん行軍速度に差があるため、前後にやや距離が開く格好となった。


 やがて、騎兵の第一陣が泡人形の目前に迫ると、勢いに任せて馬上から武器を振り降ろす。見るからに脆そうな泡は容易に弾けるかに思われたが、逆にその弾力を以って騎馬ごと兵士を押し返してしまう。


 たちまち前線は膠着状態に陥った。後続の騎兵が慌てて停止しようとするも間に合わない。泡人形自体に殺傷能力はないようだが、前線では騎兵同士の衝突により負傷者が続出していた。


 泡人形はまさしく少女を守る防壁であった。もっとも、全く武器が通用しない訳ではないため、一時は弾けて防衛線に穴を空けることもあった。しかし、それらは同心円状に配列されているため、一陣の壁を越えてもすぐにまた次の壁が立ちはだかり、容易に中心部へは辿り着かせない。


 しかも、一定時間が経過すると弾けた泡が元に戻り、苦労して空けた穴を埋めてしまうため、多数の兵士を内側に送り込むことが出来ずにいた。騎兵は速度による機動力こそが最大の武器であったが、今やその脚は完全に封じられ、下乗して戦うことを余儀なくされていた。


 前線で泡人形と兵士が干戈かんかを交える中、少女は攻性魔法で迎撃することもせず、静かにその光景を眺めていた。もしも少女に攻撃の意思があれば、両軍はこの時点で潰走のに遭っていたことだろう。


 魔法を行使するためには、自然界に存在するマイナと術者本人に宿るプラナが必要とされている。魔法障壁に加えて多数の魔法人形を生み出したことで、これ以上の行使は不可能であるという見方もあったが、少なくとも外見上は疲弊した様子は認められなかった。


 少女の行動には不可解な点が多々あった。しかし、少し着眼点を変えてみると、一つの推測が垣間見えてくる。少女は兵士を傷付けまいとしているのではないか。そう考えてしまえば、地面に散らばる矢を撤去したことも、敢えて周辺環境にはそくさない水泡で下僕を形成したことにも合点がいくのだ。


 不運にも騎兵同士の衝突で負傷者を出してしまっていたが、帝国の軍事演習では死者が出ることも珍しくないため、むしろその程度の被害は想定内であった。逆に言えば、両軍は明らかな配慮と手心を加えられても、なお少女には接近すら出来ないでいるということでもある。


 陣幕にもそれを察する者が出始めていたが、帝国軍の最精鋭たる第1師団が一矢も報いることなく、下僕たる泡人形に手をこまねいているなど、とてもではないが口にすることははばかられた。


 一方で、皇帝の表情からは微塵の変化も窺えないが、その心中は決して穏やかなものではないだろう。もしもこのまま演習の終了が告げられでもしたら、幕僚の誰かが責任を取って処断されるかも知れない。命の危険があるのは何も現場だけではなかった。


 そのような危惧を知ってか知らでか、前線では戦局に変化が起き始めていた。泡人形の防壁の最深部にまで到達する部隊が現れたのである。


 両軍ともに防壁の全てを破壊するのではなく、空けた穴に戦力を集中させ、強引に押し進む戦術を採っていたのだが、ようやくその努力が実を結ぼうとしていた。しかし、最後の壁には他よりも一回り巨大な泡人形が配置されており、両軍ともに苦戦を強いられているようである。


 最深部に到達したのは、帝国側は皇太子、王国側はトチネア当主を中心とした一団であった。いずれも指揮官とその腹心からなる精鋭中の精鋭であり、最後の壁に穴を空けるべく、双方ともに洗練された連携で巨体に挑んでいるのだが、各々が別の箇所からの突破を試みており、決して共闘しようとはしなかった。


 両者ともどちらが先に少女の元へと辿り着き、その剣戟を振るうかを競っているかのようであった。軍事演習はあくまで両国の友好と協働を目的としたものだが、誰もがそれが建前論に過ぎないことを理解していた。


 今回の演習はミストリアという仮想敵を介してはいたが、実態は帝国から王国に対する軍事的な示威行為である。逆に王国側としては、自国の主体性を保つため、戦力が健在であることを顕示せねばならなかった。


 故に協力して事に当たることは出来ず、それが防壁の攻略に少なからぬ影響を与えていたのだが、ついに両軍の執念が実ったのか、最終防衛線を突破した者が現れた。それは奇しくも、両軍の指揮官である皇太子とトチネア当主であり、二人は少女に向けて気勢を放つと、前後からほぼ同時に斬り付けた。


 両軍の総力を結集した攻撃がようやく少女に届いたかに思えたが、無情にもその斬撃は先と同様、目に見えぬ障壁によって阻まれてしまう。少女の周囲には、投擲とうてき行為に対応する未投射、攻性魔法に対応する不干渉に留まらず、斬撃や衝撃に対応する非接触の障壁が展開されていたのだ。


 そして、直に障壁に接した二人は瞬時に理解する。これは単なる不可視の防壁ではなく、くだんの泡人形のように優れた弾力性を持ち、押し込めば押し込むほどに反発する性質を持ち合わせていた。


 当初は障壁を破るために、前進しようと力を込めていた二人であったが、今では逆に弾き飛ばされないように抑え込むことで精一杯のようである。


 幾多の部下の献身の末に放った乾坤一擲けんこんいってきの一撃は、皮肉にも両軍の指揮官をその場に釘付けにしてしまう結果となった。そのあまりの無様さに自嘲を隠せない二人は、そのとき初めて不倶戴天ふぐたいてんの敵たる少女の尊顔を拝んだ。


 それは殺風景な荒野には似つかわしくなく、月光を浴びた湖水が如き金糸の髪に、ほとりいろどる新緑のかおる瞳が覗き、この世のものとは思えない美しさをたたえていた。


 二人がその美貌に目を奪われていた一方で、少女もまた両者を観察していたが、やがて興味を失ったのか、陣幕の方へと振り向いた。それは皇帝たちに向けられたものであり、演習の終了を催促していることは誰の目にも明らかであった。


 最早これ以上は続ける意味などない…その様な空気が荒野全体に漂い始めたとき、トチネア当主が憤怒の表情を浮かべて叫声きょうせいを上げた。


「貴様、なぜこれだけの力を持ちながら売女ばいたの一族のもとにいる! この力さえあれば、王国は帝国の属国にならずに済んだものを!」


 その瞬間、まるで昼夜が逆転したかのように少女の纏う空気が変質した。ゆっくりと不埒な声の主へと向き直ったその瞳は、先ほどまでの湖面に映える新緑の如き美しさは既になく、獲物を睨む蛇のような潜在的な恐怖心を想起させるおぞましさを宿していた。


 二人は気圧されるように後方へと飛び退いた。それは生存本能に根差した行動であり、よもや少女が王国の重鎮に手を掛けようなどとは考え難いが、そう思わせるだけの異様さが今の少女にはあった。


「彼女に謝罪したまえ。先の発言は騎士として有るまじきものだ」


 皇太子は周囲を一瞥いちべつすると、未だ恐怖心が冷めやらぬ様子のトチネア当主に向けて畳み掛けた。


「しかも、我が妃となるやも知れぬ貴人に対して何たる侮辱か。重ねて述べるならば、王国は決して属国などではない」


 そのあまりの剣幕にトチネア当主は我に返ると、こうべを垂れて謝罪の言葉を述べた。それはもっぱら皇太子に向けたようにも見受けられたが、もう少女の異変は霧のように立ち消えており、先の見惚みとれるような優美さを取り戻していた。


 緊迫した事態が収まり、威儀いぎを正した皇太子が少女に声を掛けようとしたとき、陣幕の旗旒きりゅうが降下し、軍事演習の終了が告げられた。

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