第二章 7-1


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「既に天人てんじん地姫ちぎは旅立たれたようです」


 レイネリアが目を覚ました時、傍らには昨夜世話になった侍女のタルペイアが立っていた。そこはサナリエルの私邸の貴賓室であり、相変わらずの豪華な寝台に彼女は横たわっていたのだが、もう片方に在るべき者の姿はなかった。


 やはり、ミストリアは自分を置いて旅立ってしまったのだ。しかし、不思議と悲壮感はなかった。むしろ湧き上がってきたのはある種の使命感、そして万能感であった。


 これには何か理由があるに違いない。それが皇帝の策略なのかは分からないが、あのときミストリアは信じてほしいと言った。ならば自分も信じて後を追うだけである。


衛士えいしや使用人には、あなたを屋敷に留めるように命令が出ております。ここは私にお任せください」


 彼女は黙って頷くと、洗濯の済んだ自身の旅装束を受け取り、素早く身支度を整えて部屋を出た。屋敷は相変わらずの厳重な警備体制が敷かれていたが、二人は昨夜のように邸宅の隠し通路を駆使しながら、誰にも見咎みとがめられずに裏手にまで辿り着いた。


 そこには堅牢な縦格子が立ち塞がっていたが、タルペイアが長く伸びた鉄棒に触れると呆気なく外れてしまった。どうやら事前に細工をしていたらしく、空いた隙間から帝都の裏通りへと抜けることが出来た。


 そして、しばらく路地裏を進んだ先には一台の幌馬車ほろばしゃがあった。タルペイアが歩みを止めると、中からは数人の男たちが降りてくる。彼らも協力者のようだが、肝心のミストリアはどこにいるのだろうか。不安に駆られた彼女がタルペイアに尋ねると、返ってきたのは背筋が凍るような冷笑であった。


「さあ、厨房で膳夫かしわでと何やら話されてましたからね。今頃はあなたを探しているのではありませんか」


 咄嗟に彼女はきびすを返そうとするが、とき既に遅く、その身は男たちの手により羽交い締めにされていた。口と鼻を綿布で塞がれ、次第に薄れゆく意識の中で、彼女は自分がミストリアを信じきれなかったことを悔やんでいた。

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