第二章 7-2


「いったい、私をどうするおつもりですか」


 薄暗い一室でレイネリアが目を覚ますと、目の前には帝国の武官であるカエレアの姿があった。後方にはタルペイアに加えて先ほどの男たちが付き従っている。彼女は粗末な椅子に座らされ手足を縛り付けられており、もはやかどわかされたことは明白であった。


 カエレアは問いには答えず、何やら薄気味悪い笑みを浮かべていた。夜宴においては快活な人物かと思われたが、どうやらこちらが本性なのかも知れない。それはタルペイアも同様なのか、邸宅で見かけた真面目で物静かな侍女の姿は既にそこにはなかった。


 貴族の家に生まれた宿命として誘拐への対応は教えられていた。基本的に犯人の目的は金銭であり、下手に抵抗しなければ命は勿論、傷を付けられることもないという。


 もっとも今回は政治的な意図によるものと思われるため、それがどこまで当て嵌まるのかは不明である。しかし、昨日は国を挙げて天人地姫を奉迎した以上、彼らの行動は帝国の意思に反するものであるのだろう。


 仮に一部の勢力による暴走であったとするならば、いずれはミストリアや皇女が助けに来てくれる筈である。いま自分がすべきことは少しでも時間を稼ぐことであった。


 そして、もう一度カエレアの姿をまじまじと見詰め直したとき、胸鎧ブレストアーマーに刻まれた徽章きしょうに目が止まる。そこにあったのは帝国の象徴たる『炎』ではなく、今では古い文献にのみ残された『火』の紋章であった。


 にわかに彼女の顔からは血の気が引き、表情は青ざめたものへと変わっていった。この時代に、特に帝国の地において、その紋章を使うなど正気の沙汰ではない。


流石さすがは博識でおられますな。そう、我らが忠誠を誓うのは腑抜けた帝国などではなく、ネビケスト皇国にございます」


 彼女の表情の変化を目敏めざとく察し、カエレアは恍惚の表情を浮かべながら声高らかに宣言した。もはや疑う余地などない、彼らはネビケスト復権派であったのだ。


 ネビケスト復権派とは、かつて大陸を支配していたネビケスト皇国への回帰を目論む思想集団である。帝国における過激派の急先鋒として、武力による大陸統一を強硬に主張していた。


 それだけであれば帝国の主流派と大差はないが、そこには一切の政治的妥協はなく、たとえ臣民であっても穏健的な論調を呈す者は、容赦なく暗殺や破壊活動の標的とされていた。


 そのあまりにも狂信的かつ拙速な行動原理に業を煮やした帝国は、国益を害するとして集団の解散と思想の脱却を命じた。しかし、その中核を担っていたのは旧皇国の有力者の末裔であり、彼らは命令には従わず地下に潜って活動を続けていると噂されていた。


 しかし、なぜ自分がさらわれたのか。こう言っては語弊があるが、帝国に対して何らかの要求をするのであれば、自分よりも皇女の方が人質として適任ではないだろうか。実際のところ、私邸にタルペイアを潜ませていたのは、いつかこのような事態を引き起こすためのものであったのだろう。


 彼らの行動には疑問があったが、根本的には帝国から非合法と認定された危険集団である。何がその暴発の引き金となるか分からず、発言には慎重をす必要があった。しばし、問うべきことを熟慮する彼女であったが、カエレアはそんな思案を知ってか知らでか、やがて堰を切ったように語り出した。


「誤解なきようにお願いしますが、我らは決して復権派などという安易な輩にくみするつもりはございません。奴らとは既にたもとを分かっております」


 自分をかどわかしたことはその安易には含まれないのだろうか。彼女は喉元まで出掛けた言葉を抑えると、少しでも情報を得るためにカエレアの話に耳を傾けた。


「我がカシウス家は、代々皇国の将軍位を輩出する名家でございました。祖国の崩壊後は身分を偽り、帝国で細々と暮らしておりましたが、私は祖先の名誉を取り戻すべく、軍に志願して我が家の再興を誓ったのです」


 その宣言にタルペイアたちは感涙にむせんでいた。昨夜同族であることは聞いていたが、或いは他の男たちもそうなのかも知れない。確かに言っていることは立派かも知れないが、今の自分たちを省みて恥じることはないのだろうか。


「私は皇帝の寵愛ちょうあいを受け、若輩ながらも武官に任じられました。これもまた祖先のお導きなのでしょう。そして、私は帝国に息づく皇国の遺志を垣間見ました。その火は炎となりて、今もなお激しく燃え盛っていたのです」


 帝国の前身が皇国であることは公然の秘密である。そして、帝国の拡大政策が皇国への回帰であることも、決して見当違いなことではないのだろう。


 カエレアは帝国の中に皇国を見出し、その精神を受け継いだと思い込むことで、過激な復権派からの脱却を果たしたのかも知れない。しかし、それならば何故、このような暴挙に及んだのだろうか。


「帝国をかつての皇国のような強国にすることが祖先の願いだと感じました。しかし、先の軍事演習に従軍した私は我が目を疑い…そして、絶望したのです」


 そこまで語ったところで、カエレアは彼女を見据えた。その視線は焦点が合っておらず、自分ではなくその背後に向けられているようである。


「帝国軍がたった一人の少女にあしらわれるなど、あって良い筈がありません。これでは祖先に顔向けが出来ぬではありませんか!」


 カエレアの一方的な主張に、タルペイアたちが叫声きょうせいを上げて拳を突き上げる。そう、狙いはミストリアであったのだ。彼らは自分を人質にしてミストリアを排そうと…いや、殺そうとしているのだ。


 しかし、それならばまだやりようがある。ミストリアが彼らにおくれを取る訳がない。必ず自分を助け出してくれる、今は信じて待つしかないと考えたとき、彼女の耳には聞き慣れた凛とした声が響いていた。

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