第二章 6-1


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「妾と一曲、舞踏おどってはくださらんか」


 ミストリアと皇帝の御会見ごかいけんの後、宮殿の大広間では盛大な夜宴が催されていた。以前に荒野で開かれた野宴とは比ぶべくもなく、先の貴賓室きひんしつにも劣らぬ豪奢な調度品が所狭しと並べられ、絵画や彫刻などの美術品が威風堂々と飾られている。


 参席者も前回のような武官だけでなく、帝国の中枢を担う錚々そうそうたる顔ぶれがこぞって姿を見せており、まさに帝国の縮図そのものであった。


 帝国では要職の世襲制が廃止されて久しく、貴族の称号は名誉以上の意味を持ち得ない。代わりに発達したのが推挙すいきょの制度であり、これは優れた人物を推薦し、引き立てるものなのだが、単なる縁故とは些か趣が異なるものであった。


 勿論、有力者の子弟が優先的に推挙され、実質的に世襲と同じ結果になる懸念は否めない。それを防止するための策として、まず推挙する者は六親等内の親族ではないこと、そして推挙された人物が過ちを犯し、また能力が劣ると判断された場合、推挙した者も厳しく処罰されるようになった。


 一方、推挙された人物が功績を上げた場合、推挙した者は鑑識眼かんしきがんに優れているとして評価され、中には当人の功績よりも推挙の実績の方が高名な者まで現れていた。


 斯様かような制度下においては、たとえ大恩ある人物の子弟でも推挙には慎重となる。また、今後推挙する可能性のある逸材を門下生として、自ら育成する仕組みも形成された。結果として優れた人材が多く輩出されるようになり、帝国の躍進の大きな原動力ともなっていた。


 この夜宴には文武を問わず、徹底的な実力主義に裏打ちされた者たちが一堂に会していた。誰一人として自分より劣る者などなく、思わず尻込みしてしまう彼女であったが、傍らに佇むミストリアを一瞥して己を奮い立たせる。


 御会見から戻ったミストリアは、もう普段の様子を取り戻していた。皇帝と交わした話の内容については、なかなか教えてはくれなかったが、夜宴への参席には支障ないようだ。


 皇帝の祝辞により始まった夜宴は、また例によって皇女が同席する格好となった。既に案内役の任はまっとうした筈であったが、帝国のお歴々が引っ切り無しに挨拶に訪れるため、その存在に助けられてもいた。


 そして、夜宴も中盤へと差し掛かり、徐々に舞踏会の様相を呈してきたとき、皇女から直々に誘いを受けた。彼女も貴族の教養として嗜んではいたが、ミストリアを独りにしてしまうことには不安があった。


 しかし、意外にもミストリアの反応は素っ気ないもので、むしろ彼女には積極的に友誼ゆうぎを結ぶようにと奨めてきた。思い返してみれば、ミストリアは成人の祝宴においても諸侯の子弟に対応しており、要人の相手には手慣れているのだ。


 当のミストリアからも奨められ、断る理由が無くなってしまった彼女は、一抹の不安を胸に抱きながらも、皇女の誘いに応じて舞踏の輪の中央へと移動した。


「そういえば、ネルファ皇太子の御姿をお見掛けしませんが…」


 やがて曲が始まり、二人は互いの腰に手を当て、もう片方の手を握りながら、周囲に合わせて輪舞りんぶする。心做こころなしか皇女の手が腰よりも低く、臀部でんぶへと落ちがちだが、努めて気にしない振りをした。


「兄上なら帝都にはおらぬ。全く、相も変わらず間の悪いことよ。せっかくニー様がいらしているというのにな」


 他の演者の合間を縫うように舞踏する。互いにそれなりの腕前であり、また帝国の皇女とホーリーデイ家の嫡子という華やかな取り合わせのため、衆目を集めているようであった。


「お会いして、是非とも御礼を申し上げたかったです」


 先の野宴において皇太子の口添えがなければ、今頃は帝都に連れて行かれていたかも知れない。そして、皇女の御学友となり、こうして舞踏会に誘われていたのかも知れないのだ。


「なに、お気持ちは妾から伝えておく。いつもニー様のことばかり語り聴かせておったのでな。今ではすっかりニー様の虜よ」


 何やらおかしな発言があったが、彼女は聞かなかったことにした。やがて曲が終わると会場には万雷の拍手が沸き起こる。その中心にいたのは勿論、彼女たちであった。


「是非、今度は私と踊ってください」


 次の曲が始まるまでの間、二人は大勢の年若き男性たちから誘いを受けることとなった。皇女は魅惑的な笑みを浮かべると、その内の一人をお相手に指名し、困惑する彼女を置いて行ってしまう。焦った彼女はミストリアのもとに戻ろうとするも、自らを求める多くの男性たちに囲まれ、し崩し的に舞踏の相手をさせられる羽目になった。


 しかし、最初こそ見知らぬ人々の中で独りきりにされてしまった不安があったが、曲が始まってしまえば相手もまた一人であり、少しずつ気持ちに余裕が出始めていた。


 男性たちは帝国の武官、或いは政務を執り行う文官であった。まだ彼女と同じ若年であるため、決して国政を左右するほどの権限は有しないが、いずれはその地位に就くであろう者たちである。


 それにしても、これではまるで婚約者を斡旋されているようだ。実際のところ、舞踏会とはそういう意味合いもあるのだが、こうも白地あからさまでは却って冷めてしまうものである。


 彼女は巧みに相手を誘導しながら、徐々にミストリアに近付いていった。質実剛健な帝国の官僚たちでは、幼少の頃より躾けられた彼女の腕前には及ばないのだ。そして、あともう少しというところで、唐突に目の前に現れた男性に行く手を阻まれた。


「カエレアと申します。先の演習での凛然とした御姿が、今でもこの目に焼き付いております」


 それは演習の陣幕にいた若い武官であった。改めてその話をされると、あの無謀な振る舞いを思い出して俯いてしまう。しかし、カエレアはそんな彼女の謙遜を豪快に笑い飛ばした。ミストリアはもう直ぐそこだったが、何となく彼の無遠慮な態度に救われたような気がして、彼女は最後の相手にと舞踏の誘いに応じることにした。


 彼はお世辞にもあまり上手くはなかった。もっとも、武官としては本当は舞踏などにうつつを抜かしている場合ではないのだろう。現に彼のかいなは、今まで舞踏おどった誰よりも太くたくましかった。


 あの皇帝のす陣幕に加われるくらいだから、見掛けの年齢によらずかなり高位の武官なのだろう。彼女は恥を掻かせぬように、それとなく自然を装って先導していたが、やがて曲が終盤へと差し掛かった頃、唐突に彼は身体を密着させてきた。


 驚いた彼女が押し返そうと力を込めるが、帝国の若き武官に勝てる筈もなかった。周囲からは好奇の視線が注がれており、彼女が羞恥と怒りで赤面したとき、彼は耳元で微かに囁いた。


「このような破廉恥はれんちな真似に及んだことを陳謝します。しかし、どうしてもお耳に入れねばなりませんでした。陛下は貴方を帝国に留めるおつもりです」


 彼女は驚いた表情を浮かべたが、彼から他の者に悟られぬよう注意を受けると、素直にその言葉に従った。参席者からは異国の騎士に愛を語られ、頬を染める姫君のように見えたのかも知れない。


「このことは天人てんじん地姫ちぎも承知しています。御会見の席で陛下との間に何か密約があったのでしょう」


 にわかには信じられなかった。いや、そもそも信じてはいなかった。このカエレアという男はいったい何を宣っているのか。こんな得体の知れぬ男の言葉に惑わされる訳がない。


 なのに、それなのに…頭の片隅では冷静にその可能性を検算していた。それが現実にあり得ることだと認めている自分がいた。あの時のミストリアは、確かに様子がおかしかった。


 皇帝は野宴において自分を帝国に招こうとした。皇女が自分に向けてくる好意の正体は掴めないが、おそらく根底にある考えはそう変わらないだろう。今ここに放り出されているのも、自分を帝国に取り込もうとする企みの一環ではないか。それでは舞踏を奨めてきたミストリアの真意は、いったいどこにあるのだろう。


「滞在先は皇女の私邸になるようです。幸いにも私の身内が奉公しておりますので、後ほどその者からお伝えします」


 そうして曲が終わると、彼は何事もなかったかのように去っていった。彼女もまたミストリアのもとに戻り、変わらぬ笑顔に迎え入れられる。しかし、彼女の心に刺さった疑念という名の小さな棘が、ほんのりと痛みを与え続けていた。

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